軽いめまいに違和感。→その後、友人の勧めで受診した結果…緊急入院になったわけとは 現在の強い思いに迫る

軽いめまいに違和感。→その後、友人の勧めで受診した結果…緊急入院になったわけとは 現在の強い思いに迫る
鬼谷選手①(鬼谷選手より提供)

パリ・パラリンピックの陸上女子円盤投げで銀メダルを獲得した鬼谷慶子選手。

鬼谷選手は20歳のとき、脳幹部に炎症が起きる難病「ビッカースタッフ型脳幹脳炎」と診断されました。

もともと陸上競技に取り組んでいましたが、病気の影響で車いすでの生活となり、一時は競技から離れることに。その後、あるきっかけで再び陸上に向き合うようになります。

病気への思いや、競技に復帰した経緯について話を聞きました。

めまいから始まった突然の体調異変と入院

鬼谷選手は中学生の頃から陸上競技に取り組んできました。しかし大学在学中の試合当日、ウォーミングアップ中に軽いめまいを感じます。当初は「貧血かもしれない」と考えていましたが、これが病気の始まりでした。

翌朝には、船に乗っているような強いめまいに襲われ、友人に勧められて病院を受診。検査の結果「ギラン・バレー症候群」の疑いと診断され、そのまま緊急入院となりました。

入院中(鬼谷選手より提供)

入院後、治療とリハビリによって一時は杖で歩けるまで回復し、復学することができました。しかしその後は半年おきに再発と寛解を繰り返し、3度目の再発では起き上がることや入浴、排泄など、日常生活のほぼすべてに介助が必要な状態となりました。

再発を防ぐために何に気をつければよいのかわからず「頑張ればできるはずだ」と無理を重ねていたといいます。当時は病名が確定しておらず、適切な管理方法が不明な状態でした。

杖を使って歩けるまでに(鬼谷選手より提供)

杖で歩く際も、友人に心配をかけまいとペースを合わせるなど、自分の状態を後回しにしていた結果、再発を繰り返していました。

病名が明らかになったことで見えた道

そうした状態が3~4年続き「ビッカースタッフ型脳幹脳炎」と診断されます。

診断がついたとき、発症から時間が経っていたこともあり、ショックよりも安堵の方が大きかったと語る鬼谷選手。また「これで生活を立て直せる」という希望を感じることができたのです。

難病を発症(鬼谷選手より提供)

診断により治療方針が明確になり、再発を防ぐための生活の工夫や周囲に説明するための言葉を得られたことは、大きな転機となりました。

現在は体幹機能に障がいがあり、一般的な椅子では安定して座ることが難しいため、角度調整ができる電動車いすを使用しています。左手足には麻痺があり、物が二重に見える複視の症状もあるといいます。

支えとなった恩師からの言葉、そして再び陸上の世界へ

鬼谷選手は大学を休学していた間、周囲の友人たちが進級や社会に進む姿を見て、自分だけ時間が止まっているように感じていました。

また、大学を続ければ身体への負担が大きく、辞めればこれまでの努力が途切れてしまうため、どちらも選べず約5年間模索を続けます。まるで出口の見えないトンネルの中にいるような感覚でした。

そんな中で支えになったのは、恩師から何度もかけてもらった「変えられるものを変える勇気、変えられないものを受け入れる冷静さ、その両者を識別する知恵」という言葉でした。

鬼谷選手①(鬼谷選手より提供)

この言葉は、鬼谷選手の人生をもう一度動かすことになります。

診断当時は、家か病院にしか居場所がなく、社会とのつながりもほとんど感じられずに不安を抱えていました。入院中の23〜24歳の頃、担当の理学療法士に「パラスポーツをやってみたら」と勧められ、病院にあったボッチャを体験。

これが、再び陸上競技に向き合うきっかけとなりました。

その後、パラリンピックの陸上競技に座って投げる種目があることを知り、円盤投げを始めました。鬼谷選手が出場する「F53」クラスは、椅子に座ったまま投げる競技です。

一人では諦めていたかもしれない場面も多かったといいますが、そのたびに周囲の支えにより競技を続けることができたと語っています。

自分の身体と向き合った競技スタイル

パラ陸上競技に取り組むようになってから、鬼谷選手の大きな変化は、失ったものではなく残っている機能に目を向けるようになったことでした。
「その機能をどう活かすかを考え、自分の身体に合った投げ方を一から追求しました」と話します。

鬼谷選手②(鬼谷選手より提供)

以前は「自分に負けてはいけない」と限界まで追い込む考え方でしたが、感染症や過度な疲労が再発リスクになると知り、意識を変えました。記録向上のために練習の強度や頻度を見直し、休むことも重視するようになります。

競技歴1年半でパラリンピック銀メダルを獲得。
「パラアスリートとしての2年間は短いですが、とても濃い時間でした」と振り返ります。また、それ以前の約10年間の陸上経験も大きな土台になっています。

競技を続ける中で、家族をはじめ多くの人の支えがあり、その時間に結果で応えたいという思いが努力の原動力になっていました。

自身の経験を社会へつなぐ活動

鬼谷選手は、教育機関や自治体向けに講演活動を行っています。講演のなかで伝えているのは「助けを求めることも、生きる力の一つである」ということです。

今後は、困難に直面したときに同じ道に固執せず、柔軟に進む方向を変えたり、現状を冷静に見極めて「手放す(諦める)」勇気を持つことで、新たな可能性が開けるという考えを、自身の経験を通して伝えていきたいとしています。

鬼谷選手③(鬼谷選手より提供)

病気や障がいを経験したからこそ得られた視点を活かし、誰もが心地よく暮らせる社会を形にしていくことが鬼谷選手の目標です。
「将来振り返ったときに、過去の自分に『大丈夫だよ』と声をかけられるような生き方をしていきたい」と明かしています。

病気によって立ち止まる時間を経験しながらも、新たな道を見つけて進んでいく鬼谷選手。環境や状況の変化を受け入れながら、自分らしい形で前に進んでいく姿からは、多くの気づきが得られます。こうした歩みは、新たな可能性について考えるきっかけとして、誰かに届くことでしょう。

この記事の写真一覧はこちら