10年の不妊治療を経て生まれた双子。しかし出産後…医師「奥さんが心肺停止しました」 それまでの話を聞いた

10年の不妊治療を経て生まれた双子。しかし出産後…医師「奥さんが心肺停止しました」 それまでの話を聞いた
命がけの出産(@beteran_funin_chiryoさんより提供)

「出産は命がけ」という言葉がありますが、あまり身近には感じられない方も多いかもしれません。不妊治療の末に子どもを授かった渡辺さんは双子を出産しますが、子宮からの出血が止まらず、出血性ショックで容態が急変し、一時は心停止にまでなりました。

その後、手術を5回経て意識を取り戻すことができた渡辺さん。現在、双子ちゃんもすくすくと育っています。

「子どもができること、生まれること、育つこと、生きていること、すべてが奇跡だった」と話す渡辺さんに、当時のことを聞きました。

子どもができること、無事に出産できるのは当たり前ではない

年齢的にもそろそろ子どもを…と考えた渡辺さん夫婦は妊活を始めましたが、なかなか妊娠には至りませんでした。
「もしかして不妊ではないよね?」と不安になり、念のため検査を受け、病院を受診したことから、夫婦での不妊治療が始まったのです。

不妊治療を始めたころ、渡辺さん夫婦は不妊症という言葉にもあまりピンとこなくて、子どもは欲しくなったらできるもの、そして子どもは自然に生まれてくるものだと思っていました。
「自分たちが不妊症だとは思っていなかったし、まさかこんなに長い間不妊治療をすることになるなんて思ってもいませんでした」ともいいます。

長い不妊治療生活を乗り越え、ついに子どもに恵まれた渡辺さん夫婦。出産まで約10年の月日が経っていました。
しかし「ようやく会える」と思って臨んだお産で、思いがけず心停止し、危険な状態に…。
「不妊治療を始めたあのころは、お産というものがこんなに大変で奇跡の塊だとは思っていませんでした」と当時のことを振り返りながら話します。

渡辺さんと娘さんたち(@beteran_funin_chiryoさんより提供)

不妊治療から出産までこの10年を経て、今渡辺さんが思うことは、子どもができることは本当に当たり前のことではない、母子共に無事で出産を終えられることも当たり前ではないということ。

そして「命が生まれるのは本当にすごいことで、出産は死と隣り合わせであり、覚悟を決めてそして命を懸けて臨むものだと思います」と話してくれました。

出血性ショックで容態が急変し…

渡辺さんは2024年10月10日に、双子の女の子を帝王切開にて無事出産しました。

ところがその日の21時過ぎに、双子の帝王切開に加え、子宮筋腫や妊娠高血圧症候群など、さまざまな要因が重なり、子宮からの出血が止まらず出血性ショックで容態が急変して心肺停止に…。そこで医師がすぐに対応し、蘇生した後に緊急手術が行われました。

翌日には大きな病院へ転院して、止血や子宮全摘出などの手術を5回も実施。そして、渡辺さんは10月17日に意識が戻りました。

10月17日に目が覚めた渡辺さんでしたが出産数日前からの記憶がなく、出産当日の記憶もすべてありませんでした。そのため、子どもたちが無事に産まれていることもわからなかったといいます。

意識がもうろうとしている中で目を覚ましたときに、2人が無事に産まれたことを聞き「ホッとした気持ちと同時に会いたくて会いたくて仕方なくなりました」と渡辺さん。

双子の娘さんたちに会える日は、10月24日に決まりました。
「会えると決まった日からすごく嬉しくて楽しみでしたが、再会当日は緊張に変わり、胸がいっぱいになって、その気持ちと共に子どもたちがいるNICUに向かいました」と語ります。

初めての抱っこ(@beteran_funin_chiryoさんより提供)

保育器から抱き上げられた娘さんの姿を見た渡辺さんの目からは、涙が溢れ出しました。そして、両手にスッポリ収まるサイズの小さな娘さんを抱っこした瞬間、それまでにあった緊張がスゥーっとほぐれたのです。
「とっても可愛くて愛おしくて…待たせてしまったこと、遅くなってごめんね、あなたたちのお母さんよ。小さな身体で本当によく頑張ったね、そして無事でいてくれてありがとう、といろいろ気持ちが溢れてきたのを覚えています。自分の子どもを抱ける日が来たことが信じられなくて、本当に夢みたいで嬉しくてたまりませんでした」と話していました。

また渡辺さんの旦那さんは、ずっとそばで寄り添い続けてくれていました。

「不妊治療を始めてから約10年、この日を夢見て私とずーっと一緒に頑張ってくれた夫は、今回妊娠できたときも悪阻が酷くて動けなかったときも毎日私の身体を気遣い、いつも支えてくれました」と話します。

寄り添い続けてきた旦那さん(@beteran_funin_chiryoさんより提供)

「俺がやる!」が口癖の旦那さんは、全部自分だけでやろうと必死に頑張っていて、その姿を出産前から渡辺さんはずっと見ていました。
「いろいろあって、まさかの早い段階からの入院…入院中も本当によくやってくれている夫に感心していました」

そして「あの出産からその後も、きっと自分がしっかりしなきゃと毎日涙を流しながら、私が目覚めたときのために、産まれてきた子どもたちのためにやるべきことは何か…夫として、そして父として、毎日必死だったと思います」と話します。

「私だったら夫のようにはできなかった…」と語る渡辺さん。抜けているところもたくさんあるけど、本当によく頑張ったな〜と尊敬しています…と語ります。

旦那さんは、渡辺さんにとって絶対になくてはならない大切な存在。旦那さんが隣で支えてくれるからこそ、渡辺さんは頑張れるのです。
「私にとって、なくてはならない大切な存在であり、活力の源です」と話していました。

出産は奇跡の塊、我が子に会うために命をかけて臨んでいる

渡辺さんは、不妊治療、流産、手術などさまざまなことを経験しました。そのことについて「不妊治療から始まり、やっとのことで辿り着いた出産、そして子どもたちをこの手で抱くまで本当に長くて、つらくて、苦しくて…。思い出しただけで胸が苦しくなるくらい、本当に大変な出産経験でした」と振り返ります。

不妊治療では、採卵をやってもなかなか卵が取れない、育たない、やっとのことで残ってくれた卵を移植しても妊娠できない、一つひとつの壁をクリアしていくことが本当に大変で、ようやく妊娠できたと思ったら流産…ということもありました。また、自分を責めて何度も心が折れて、それでもやっぱり諦められなくてたくさんの涙を流しながら、数えきれないほどの移植をしたといいます。

渡辺さん夫婦が不妊治療を始めたころは、まだ保険適用ではありませんでした。そのため、金銭的にも本当に苦しかったといいますが、それでも夫婦で話し合ってまた前を向き、何度も挑戦したのです。

しかし、やってもやっても結果は出ず、気がつけば不妊治療を始めてから9年が経っていました。妊娠できること、妊娠できてお腹の中で赤ちゃんが育つことがどんなに難しいことか身に染みて感じたといいます。

もうこれが最後と望んだ移植では「できる検査はすべてやった、不妊治療のために仕事も辞め環境もかえた、今の私たちにできることはすべてやった、結果はどうであれ子どもがいる生活を夢見て、夫と一緒に頑張ってきたこの9年間、もう悔いはないと自信を持って言えました」と。

双子の娘さんたち①(@beteran_funin_chiryoさんより提供)

長い不妊治療生活を経て出産を経験した渡辺さんは「命が誕生することは本当に奇跡で、母子共に健康で産まれた子どもを抱けることがどんなに幸せなことか、そして命があり大切な人たちと一緒にいられることは決して当たり前ではない」ということに気づいたと語っていました。

そんな経験をしたからこそ、渡辺さんが伝えたいことがあります。それは、妊娠できること、無事出産予定日を迎えて産めること、そして母子共に無事に出産を終えることがどれだけすごいのかということです。

「子どもが生まれてくることは、決して当たり前ではありません。出産は、いくつもの奇跡が重なって初めて実現します。母親はわが子に会うために、命を懸けてその瞬間に向き合っている――その尊さを心に留めてほしいのです。」

渡辺さん家族(@beteran_funin_chiryoさんより提供)

不妊治療中、渡辺さんの支えだった大好きな3匹のワンちゃんと、やっとのことで会えたかわいいかわいい2人の天使、そしてずっと隣で支え続けてくれた旦那さん、長い年月はかかりましたが、ようやく家族7人揃うことができました。

今後は「まずはとにかくみんなの健康第一、そして子どもができたらやりたかったことや行きたかった場所に行ったり、悩んだり、泣いたり、怒ったりしながらも、家族7人みんな笑顔いっぱい笑い声が溢れるような日々を過ごしていきたいです」と話してくれました。

不妊治療や出産を支え続けた旦那さん

不妊治療や出産のときのことについて、渡辺さんの旦那さんにも話を聞きました。不妊治療について旦那さんは「不妊の原因が私にあるのですが、不妊治療して負担がかかるのはいつも妻で何度も変わることができたらと思っていました」と話します。

長い不妊治療の中で何度もした採卵や胚移植は、渡辺さんにかなり負担をかけてしまったといいます。そのため「全然足りないですが、少しでも自分にできることはやろうと思って料理などをしていました」とそのときの気持ちを振り返っていました。

夫婦で不妊治療について多額にかかるお金のこと、仕事のことや子どもを諦めるタイミングなどを何度も話し合いました。不妊治療は受診のタイミングが直前に決まることが多いため、旦那さんは休みを取って一緒に行きたかったのですが、実際には一緒に受診に行けないことも多くなり、転職もしたのです。
「喧嘩もたくさんありましたし、涙もたくさん流しましたが、最後にいい結果が出てよかったと思います」と話していました。

双子の娘さんたち②(@beteran_funin_chiryoさんより提供)

出産は10月でしたが、渡辺さんは7月から切迫早産の危険があるために入院していました。妊娠期間中もとてもつらそうだった…といいます。

つらい妊娠期間を終え、やっとお産が終わったとき医師から「出血が多かったが止血もできました。後はしっかり観察するので安心してください」と言われます。
「やっと妻も少し身体が楽になるかな?」「早く子どもたちと妻と自宅で過ごしたい!」と思い、病院から帰宅した旦那さん。

しかし帰宅して自宅にいたとき、病院から渡辺さんの容態が急変したと連絡があったのです。さらに、心肺停止したのですが、今は蘇生して緊急手術をしているとのことでした。
「私たちは、約10年不妊治療をしてきてやっとの思いでここまで来たのに、何で?と言う気持ちでいっぱいでした」と語ります。

渡辺さんが目を覚ましたのは、出産からちょうど1週間後のことでした。
目を覚ます前日に、医師から電話があり「あまりよい話ではないですが、明日お話があります」と言われていたという旦那さん。そのため、すごく不安な気持ちで病院へ向かっていました。

到着したところ、看護師さんが「驚きますよ!」と。そこで病室に行くと、渡辺さんは目覚めていたのです。

すごく驚いたのを覚えていると話す旦那さんは、まだ意識がはっきりしない中で言葉は交わせませんでしたが、ゆっくりと頷く姿を見て、嬉しさや安堵、さまざまな感情が込み上げてきました。そのとき「まだまだ自宅に帰れる状況ではないですが、とにかくゆっくりさせてあげたいと思いました」と振り返っていました。

医師から「あまりよい話ではないですが…」という内容は「もしかしたら意識が戻らず、植物状態になるかもしれないと言う話をするつもりだったみたいです」と旦那さんは話してくれました。

双子の娘さんたち③(@beteran_funin_chiryoさんより提供)

つらい不妊治療を乗り越えたにもかかわらず、出産時にも大変な思いをした渡辺さん。子どもができることは当たり前ではなく、生まれるのも育つのも決して当たり前のことではありません。出産の大変さ、命の大切さに気づかされた方も多いでしょう。

つらいことをたくさん乗り越えてきた渡辺さん夫婦。双子の娘さん、そして3匹のワンちゃんと一緒に家族7人で、笑顔溢れる日々をたくさん過ごしてほしいですね。

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