人生の転機は、思いもよらない出来事から訪れたりします。
今回は、バスケットボール選手だった及部一堯さんに、これまでのバスケ人生や越境活動について取材しました。
いったいどんな歩みだったのでしょうか?及部さんに話を聞きました。
バスケ人生と大怪我がもたらした転機
及部さんがバスケットボールを始めたのは小学5年生。転校先の学校でできた友人に誘われたことがきっかけでした。
中学3年間、高校1年間、大学ではサークルとクラブチームで活動し、社会人になってからはバスケチームにも所属。平日5日の夜と休日の朝・夕方を合わせて週9回コートに立つ生活を続け、バスケットボールは人生の中心でした。

しかし、入社1年目の冬、練習中にゴールポールへ足をぶつけ、すねの骨を骨折。入院と2度の手術、そして長いリハビリを経験し、実業団選手としての道を閉じることになります。
突然趣味を失った喪失感は大きく、悔しさも強く残りました。それでも、病室で過ごす時間の中で多くの人に支えられていることに気づき「誰かの役に立てる人に」という思いが芽生えます。

越境活動が導いた総合エンターテイナーへの道
バスケットボールで培った俯瞰力や継続力、仲間と連携する力は、その後の新規事業創出や挑戦の原動力となりました。もし怪我がなければ、バスケ中心の生活を続け、社会への関心を持たないまま人生の枠を狭めていたかもしれないと話します。
入院生活の中で得たものは、身の回りにあるものがすべて誰かの手によって作られていること。親切にしてくれたスタッフの方々、お見舞いに来てくれた会社の人々、当たり前に置いてあるベッドのシーツなどもその一部です。
その事実に気づき、及部さんは社会への恩返しを考えるようになりました。

模索の中で訪れたのはアーティストのライブ。その経験が転機となり、シンガーソングライターとして音楽活動を開始。やがて介護施設での公演に挑戦しますが、最初は思うような反応を得られず「相手目線の喜ぶこと」を徹底的に考えるようになります。
耳が聞こえにくい方にも楽しんでもらうため、マジックやジャグリングなども練習。音楽とパフォーマンスを融合させた総合エンターテイナーへと進化し、その後の活動の軸となりました。

さらに印象的だったのがカンボジアでの国際支援活動です。インフラが整っていない村で経済活性化の施策を考える中、自分の経験が通用しない現実を目の当たりにします。
井戸の寄付活動では、多くの人に協力を求めながら行動し続け「自分自身で稼ぐことのできる人材」の大切さを体得。この経験が新規事業への挑戦や起業、コミュニティ構築へとつながっていきました。
人を笑顔にする未来へ
及部さんが掲げる目標は「人を笑顔にすること」。
しかし、本人の中ではまだ道半ばという感覚があるそうです。もっと多くの人に影響を与えるためには、信頼も実績も知名度も足りていないと話します。
一方で、人の笑顔が生まれた瞬間には「やってよかった」と心から感じるといいます。越境活動を称える社内表彰制度「E-1グランプリ」を立ち上げた際には、多くの喜びの声が寄せられました。

今後の夢は「好き×得意で個人が輝ける社会」を作ること。越境×組織還元人材を表彰するJapan E-1グランプリの構想や、セルフブランディング支援、ラジオ番組など、多方面から挑戦を続けていきます。
仕事を“夢が叶う手段”へと変えていく文化づくりに向け、及部さんの行動はこれからも止まりません。
バスケットボールから始まった人生の物語は、現在、多くの人の背中を押す新たな挑戦へと広がっています。

