2015年に東京から家族で徳島県神山町に居を移して8年。地域おこし協力隊をきっかけに販売を手掛けるようになった昔ながらの梅干し「神山ルビィ」で都市と田舎をつなぐ暮らしをしている滝下智佳さん。「ここではない、どこか」を求めて地球の裏側まで行った彼女が、やっと見つけた「自分の生きる場所」。彼女の求める循環する暮らしとは何か。

尾崎豊に憧れた高校時代

90年代、社会への反抗や反支配などを歌い、若者からの人気を誇った尾崎豊。彼の歌に憧れ、生まれ育った徳島を出て関東の大学に進学した。しかしいざ、都会に出てみると周りと比べて気後れする自分がいた。そこで、語学の講義を選択する際に「みんながゼロからスタートする、全く知らない世界」という理由だけで、マレー・インドネシア語を選んだ。週末にはいちょう団地(インドシナ難民が住んでいる団地)に出向き、外国にルーツを持つ人たちに日本語を教えた。ここで体験した異文化コミュニケーションにどっぷりはまり、長期休暇にはバックパックを背負い東南アジアを周る旅に出た。旅だけでは物足りなくなり、大学を1年間休学して海外の子どもたちに日本語を教えるボランティア活動にも参加した。

インドネシアの小学校で日本語を教える滝下さん(左端)

JICA海外協力隊との出会い

大学卒業後は東京にある子ども向け教材開発の会社に就職する。日々の仕事に充実感を感じつつも、徳島を離れた時と同じで、まだ「どこか」を探している自分がいることに気づいた。卒業後に一度は応募しようと思ったJICA海外協力隊。当時、数々の要請が出ているにも関わらず、自分が応えられるものを一つも見つけられず愕然とした。それから6年。社会経験を積んだことで、伝えるべき技術を身につけた彼女は合格を手にした。しかし、マッチングされた要請は自分のやりたい活動でも、希望の国でもなかった。行くかどうか悩みに悩んだが、ある人の「人生で一度ぐらい、人から求められたことをやってみたら?」の言葉に背中を押され、ボリビア行きを決意する。

JICA海外協力隊時代の滝下さん(右から3番目)

答えられなかった質問

赴任先は標高3,700mに位置する鉱山の町だった。現地の子どもたちに学びの楽しさを教える活動を通して「持たないことは不幸ではない」「教えるじゃなくて伝える」「変えるじゃなくて共有する」ということに気づかされた。ボリビア行きをあんなに悩んだものの、いざ来てみると外国人である自分をおおらかに受け入れ、また、大切にしてくれる周りの人に感謝した。そんなボリビアの人たちは何よりも家族を大事にし、「家族がいるところが故郷だ」と口にする。ある時、そんな彼らから「あなたのやりたいことは家族と離れてまでしたいことなの?」と率直な質問が投げかけられた。自分自身はボリビアの人たちのように家族に感謝の気持ちを、また故郷に対する誇りを示せていないのではないか、と答えに窮した。

活動を通して交流したボリビアのアニメサークルの若者たち

暮らしの循環が見えるところへ

人生の半分近くを都会で過ごし、故郷に戻ろうにも今度は徳島の友人らのライフステージと比べて自分は遅れてしまったような、そんな引け目を感じた。そのため、帰国後は、東京で開発教育を推進する業務に就いた。しかし、仕事で「地球が持続可能であるためには途上国との協力関係が欠かせない」等と口にするものの、都会での暮らしは物事の循環が実感できず、自らの暮らしに矛盾を感じるようになっていた。そうした中、東日本大震災が起こり、改めて人や国とのつながりを見直した。それをきっかけに、暮らしの循環の見えるところに行きたいと考えるようになり、地域おこし協力隊として徳島にUターンすることにした。

梅の選別の様子(神山町)

徳島・神山町の財産

地域おこし協力隊を募っていた徳島県・神山町は、人口約5,000人という規模ながら高速通信環境が整っており、IT系の仕事をしている夫にとっても都合がよかった。越してくる前は「田舎でゆっくり子育てしよう」と思っていたが、実際は季節に追われる日々だと話す。農作物を保存食に変えるという昔ながらの暮らしの知恵を神山で目の当たりにし、純粋に感動した。しかし、高齢化が進み、農家も減少している今、各家庭に伝わってきた味がなくなりつつあった。この神山の“財産”を自分が教わり、継いでいきたいと素直に思えた。そして、それが「神山ルビィ」を手掛けることにもつながった。

阿川梅の里の風景(神山町)

ここから世界につながる

地域おこし協力隊をきっかけに初めて足を踏み入れた土地だったが、滝下さんにとって神山は“奇跡の田舎”となった。農作物の恵みがあり、人とのつながりもある。任期を終えた今では、自分の子どもの通う学校で甘酒や味噌づくりを教え、東京で神山の梅やすだちを使ったワークショップを開催したりもする。また、それとは別に自身のJICA海外協力隊経験を県内の学校で話すこともある。“Think Globally, Act Locally / 地球規模で考え、自分のできることから行動する”が滝下さんのモットー。自分自身が中高生の頃から「徳島を出たい」と思い続け、ボリビアまで行ったものの、魅力的な世界が足元にあったことに時間がかかったけれど気づいた。世界の出来事を自分事のように思いを馳せる想像力と共感力。また、今いる場所を自分で面白く変えることができるということを次の世代に伝えたいと話す。都市と田舎をつなぎ、世界と子どもをつなげる。彼女の循環する暮らしはまだめぐり始めたばかりだ。

この記事の写真一覧はこちら