病気が進行するにつれて『肌が黄色』に。その後…”余命2ヶ月”を宣告されたが「私は自分が難病だって知っていたから、できるときにやりたいことをした」挑戦を続ける姿に迫る10/05(土)ほ・とせなNEWS編集部