「骨髄異形成症候群」という難病と向き合っている@ruiruiokanさんの息子さんは、移植後に虫垂炎が壊死し、さらにムコール感染を起こします。その菌は腸と右足の太ももを壊死させ、筋力が落ちて歩けなくなりました。しかしその後、リハビリに励んだ息子さんが、3年半ぶりに歩くことができたのです。
今回は、息子さんの病気のことや、歩けたときの気持ちなどについて@ruiruiokanさんに聞きました。
※「骨髄異形成症候群」…血液の病気の一つで、骨髄の中にある血液を造る造血幹細胞に異常が起こり、正常な血液細胞が減少することで、貧血、出血傾向、感染に伴う発熱などの症状が現れる。
※ムコール…ケカビのこと。ムコール症は、多くの種類のカビによって引き起こされる真菌感染症のこと。
顔色が悪く、腕や足にアザが…
息子さんが「骨髄異形成症候群」という難病と診断されたのは、小学6年生の卒業式前、痔の症状がきっかけでした。
それまでにも顔色の悪さはあったものの、当時はコロナ禍だったこともあり、日光に当たっていないためだと思っていました。また、熱を繰り返し出したり、腕や足にアザが多く見られたりしていましたが「どこかでぶつけたのだろう」と深く気にしていなかったと、@ruiruiokanさんは振り返ります。
しかしその後、春休みに入っても痔が治らなかったため、病院で薬を処方してもらうことに。@ruiruiokanさんは仕事のため、旦那さんが午前中に息子さんを病院へ連れて行きました。しかしその日の昼食後、息子さんが突然倒れ、顔色は真っ青に。意識ももうろうとしていたため、救急搬送されることになります。
「骨髄異形成症候群」と診断され…
病院ではまず腹痛と痔の治療が行われましたが、診察に加わった別の医師が、息子さんの顔色の悪さに気づき「念のため血液検査をしましょう」と提案。
その結果、検査数値に異常が見られ、精密検査として骨髄検査(マルク)が実施されました。
そこで「骨髄異形成症候群」という難病が判明したのです。
「病名を知らされたときはそんなのテレビの中だけの話だと思っていたので、まさか我が子が?と、現実とは思えず待合室で涙をこらえきれませんでした。」
治療には骨髄移植が必要であることを知らされ、思考が追いつかず頭の中も混乱。
病名については、息子さんにはすぐには伝えられませんでした。
「私たち親でさえ動揺していたのに、12歳の子に受け止めさせるのはあまりにも重すぎると感じ、医師にはしばらく伝えないようお願いしました」と@ruiruiokanさん。その後しばらくは仕事にも行けず、保育士として子どもたちと笑顔で向き合う気力が持てなかったと語ります。
治療がスタートするが…
息子さんの治療は、ドナーが見つかるまでの間、輸血に頼るしかありませんでした。しかし、その輸血が命をつないでくれていたといいます。
やがて骨髄移植が決定。しかし地元の病院では対応できず、提携する他府県の大学病院で行うことになりました。
移植前の抗がん剤治療が始まった直後、息子さんは「お腹が痛い!」と強く訴え、トイレで倒れることもあったそうです。当初は抗がん剤の副作用と判断され、そのまま移植に進みました。
ところが、移植後の夜に撮影したCT検査で虫垂炎が見つかり、薬で炎症を抑える治療が開始されました。しかし経過観察の結果、虫垂炎が壊死に進行しており、緊急手術を受けることになります。
手術後も腹痛は治まらず、その結果、原因は「ムコール」というカビの一種であることが判明。感染は腸や右太ももにまで及び、このままでは全身に広がる恐れがあったため、集中治療室での治療が始まりました。
長期の入院と過酷な治療により、息子さんは筋力が低下し、歩行も困難に。さらにその間にも複数の手術や脳炎、人工呼吸器の装着など、命に関わる局面がいくつもあったといいます。

移植前に説明では「3ヶ月で退院できる」と聞いていたため、@ruiruiokanさんは想定を超えた状況に戸惑いが続いたと振り返ります。
3年半ぶりに歩くことができた
歩けなくなってから3年半が経過していましたが、その間も息子さんは訪問リハビリと通院リハビリを続けていました。

闘病やリハビリに懸命に取り組んでいた息子さんですが、次第に笑顔が見られなくなり、つらそうな様子が続いていたといいます。
その姿に心を痛めた@ruiruiokanさんは「私が代われたら…と何度も思いました。元気に産んであげられなくて、ごめんという気持ちでいっぱいでした」と振り返ります。
家族にとっても、初めての介護に直面したことで、家庭の雰囲気が大きく変わり、苦しい時期もあったそうです。
「一番つらかったのは息子ですが、私たち家族も前を向けるようになるまでに、かなりの時間がかかりました。前向きに頑張っているときに限って、病気に足を引っ張られて…。リハビリも気持ちも、まるでゼロからの再スタートのようでした」

そんな日々を乗り越え、息子さんはついに3年半ぶりに歩くことができました。
「筋力も体力もまだ不十分なはずなのに、“歩きたい!”という思いで一歩を踏み出した息子の姿に、うれしさと『ごめんね』という気持ちがこみ上げました」

そのとき息子さんは「俺はやればできる!」と言っていたそうです。
「普通の生活」がしたい
現在、息子さんは治療を続けながら、支援学校に通い、病院での通院治療を受ける日々を送っています。
中学校3年間と高校1年生の1学期が空白になったため、今は生活のリズムを整えながら少しずつ前へと進んでいます。
気持ちが不安定になることもあり、家族とぶつかることもあるそうですが、それでも日々向き合いながら過ごしているといいます。
@ruiruiokanさんは「息子の血液の状態が安定し、歩けるようになって、“普通の生活”ができるようになることが願いです」と語ります。また「来年1月には修学旅行があるので、それまでに歩けるようになって、友達と一緒に楽しめたら」と、希望を込めて今後の目標も話してくれました。
息子さんの闘病の記録や@ruiruiokanさんの思いは、Instagramを通じて発信されています。なかでも「3年半ぶりに歩けた」という投稿には「すごい!感動しました」「今の姿があるのは諦めずに継続したからですね」「いろいろ気づかされました」といった多くのコメントが寄せられました。
息子さんと家族の歩みは、多くの人の心に届いています。@ruiruiokanさんの言葉は、同じように病と向き合っている人への励ましとなり、一日一日を大切に生きることの意味を、あらためて教えてくれるものでもあるでしょう。