教師として日本国内外で活躍していた井本亜希さんが、新たなステージとして選んだのは岡山県北部の小さな町・勝田郡奈義町。2020年、地域おこし協力隊としての活動を始めた背景には、奈義町に住む、高校時代の友人からの「遊びにおいでよ」という何気ない一言がありました。
調べてみると、奈義町は岡山県内でも在住外国人が少ない地域。だからこそ、外国人との交流の場が必要だと直感し、初めて町を訪れた新緑の時期、心を打たれて直感的に奈義町に住むことを即決したといいます。アート好きの井本さんにとって、美術館のある町の雰囲気も大きな魅力でした。
「見えていなかった存在」が見えた瞬間
活動を始めてまず感じたのは、外国人住民の存在が「地域の中で見えにくく出会いにくい」ことでした。自ら地域を歩き出会いを重ねる中で、日本で就労しているベトナム人の方と結婚したベトナム人女性と出会います。日本語が十分でなく、出産後子育て支援にもアクセスしづらい彼女の姿を通して、初めて“見えていなかった存在”に気づいた井本さん。
そこから、外国人を対象にした日本語学習の手助けや子育て支援施設への同行など、プライベートの時間を使いながらの支援が始まります。誰かの暮らしにそっと寄り添い、小さな不安に耳を傾ける。そんな一歩一歩が、地域と外国人との新しい橋を架けていきました。

小さな出会いがつながりを生む
コロナ禍の最中、奈義町に暮らすベトナムやミャンマーの方ともつながりを持つようになりました。イベント開催の制約がある中でも、少人数制やオンラインを駆使しながら、子どもたちとのオンラインによるイベントや文化交流の機会を創出。「見た目では気づかれにくい」外国人の存在にも光を当てました。
さらに、日本の子どもたちにとっても異文化に触れることの大切さを感じ、「グローバルキッズ」と題した放課後教室も実施。異文化理解の芽を、幼少期から育てる取り組みにも力を入れていきます。
異文化理解への関心の原点
もともとは、中学生のころにALT(外国語指導助手)の先生との出会いをきっかけに国際的な視野を広げていった井本さん。大学生の時にはカンボジアへのボランティア派遣に参加し、現地の子どもたちとの交流の中で教育の持つ力と可能性を肌で感じます。「先生になりたい」と夢を語る少女や、支援のあり方に悩みながらも対価という形での援助を学んだ経験は、今の活動の原点となりました。また、大学在学中に参加した国際交流プログラム(内閣府青年国際交流事業、東南アジア青年の船事業)も、井本さんにとって大きな転機でした。東南アジア10カ国の青年たちと寄港地でのホームステイや表敬訪問、船上でのディスカッションや文化交流など様々な体験をしました。



大学卒業後は中国の日本人学校で4年間勤務。その後、岡山県内の中学校で講師をしたのち、玉野市で5年間の教員生活を経て、インドネシアの高校で日本語授業アシスタントもしました。職場は移り変わりながらも、一貫しているのは「教育と異文化理解」への関心でした。
開発途上国で異文化経験と教育に携わることができるJICA海外協力隊に関心を持ちながらも、仕事との兼ね合いからすぐに参加することは難しい。そんな葛藤を抱えながら過ごしていた時、開発途上国に10日間程滞在するJICAの教師海外研修プログラムをみつけ、「これだ」と思い2017年に参加しました。訪れたスリランカでは、2つの民族語、シンハラ語とタミル語を、どちらも公用語として使用されていました。そのため、街の道路表記なども両方の言葉で記載されています。もちろん都市部では、英語の表記もあり多言語社会の現実を目の当たりにしました。また支援の在り方を考えさせられる出来事もありました。最も印象的だったのは、バスで山道を走っていた時に停車した場所で乗り込んできた、中学生の花売りの男の子。花自体は質の良い綺麗なものでしたが、井本さんたちは移動中の身で、数日後には帰国するのでゆっくり飾って楽しむこともできず、必要といえない状況でした。

同じバスに乗っていた教師海外研修の参加者全員で、ここで買うべきなのか、よく話し合ったのだそう。男の子にとっては、ひとつでも多く花を売ることがその子の現金収入になる。結果的に参加者全員でひとつ、買うことにしました。果たしてその判断は、どうだったのだろうか?この時迷い、モヤモヤとした経験は、折に触れ帰国後の授業の中にも取り入れ「あなたならどうする?」と子どもたちへも問いかけました。自分の体験に基づいた問いかける授業で、子どもたちの想像力を引き出し、世界とのつながりを実感させる教育を大切にしてきました。
与える支援から、共に育つ「Asian Hope Lab.」という拠点から
教育活動を通じて一貫しているのは、「与える」ことではなく「共に育つ」ことへのこだわり。物ではなく、経験や対話を通して心を耕すことが子どもたちには必要だと感じています。教師時代には、世界各地の子どもたちと手紙を交換したり、無料ビデオ通話が出来るSkypeでの交流を通して「同じ時代を生きる」実感を育んできました。
現在は、奈義町にある古民家を改修し、異文化交流の拠点「Asian Hope Lab.」を立ち上げた井本さん。主に社会課題(、「平和」「環境」「教育」など)に関するテーマを扱った映画上映会や、子どもたちとの世界の料理づくりワークショップやオンライン交流など、小さな取り組みから異文化理解の輪を広げてきました。
子どもたち自身がメニューを選び、レシピを調べ、国の背景をプレゼンテーションし理解を深めた後に料理を作ることで、「自分で選び、自分で学ぶ」姿勢を育んでいます。「種まきのような活動を続けていれば、いつかどこかで花が咲く」と井本さんは語ります。

点と点が、やがて線になり、網目になる
活動の成果はすぐに見えるものではありませんが、時間をかけて育まれたつながりが網目となり、ある日ふと戻ってくることがあります。中学生の時にオンライン交流に参加した子が、数年後にLab.に来て活動を支援してくれたこともありました。そのつながりの「芽」があちこちで育っている実感があります。「何かできた」という成果ではなく、「今、ここで種をまいておくこと」が未来につながると信じ、井本さんは今日も地域で芽を育てる活動を続けています。
つながりは平和を作る鍵
「つながりをさらにつなげ、平和な社会をつくる」。それが井本さんの願いです。個人でできることには限りがある、と本音を語りつつも世代や国籍、宗教や人種といった境界を超えて、人と人がつながること。奈義町だけでなく、岡山、日本、そして世界へとつながりをつくりたいと考えています。
世界のどこかで起きた出来事が、ニュースではなく「友達のこと」「聞いたことがある」「知っている場所」として感じられるようになる。そんな“つながり”を紡いでいくことが、平和をつくる鍵になると確信しています。これからも井本さんは世界との出会いの糸を少しずつ、ていねいに紡いでいきます。
