「(息を)吸って、(息を)吐いて」
「足を大地に安定させて、両腕を空に伸ばして」
青空の下、日差しを浴びながら体を動かし、ポーズをとる。聞こえるのは動きを促すインストラクターの声と打ち寄せる波の音だけ。時折ほおをなでる潮風も心地よく、動きに集中するうちに次第に心も体も解き放たれるよう。
瀬戸内海に面する岡山県玉野市の渋川海岸では毎月2回程度、ビーチヨガが行われている。担当するのはヨガインストラクター歴11年を超える生本直也さん。岡山市内を中心にさまざまな教室やオンラインレッスン、介護予防のためのヨガ講座など多方面で活躍するほか、おかやまビーチスポーツ協会のもとでビーチヨガの指導を始めて今年で10年になる。

潮風を浴びながら深呼吸。体がどんどん軽くなっていく

原因不明の体調不良に悩まされ

姿勢よく小柄で引き締まった体。まわりの誰をも引きつけるやさしい笑顔の生本さんは、見るからにはつらつとして健康そのもの。ところが、子どもの頃は原因不明の背中の痛みと闘い、病院通いばかりしていたそう。

そこで、ヨガを嗜む母親の影響で自身も10代の頃からヨガを始める。独学で行ううちに強張った体が次第にほぐれ、呼吸や精神状態が楽になっていくのを感じるようになった。

「今だからわかるんですが、当時はただ治したいということばかり考え、生きるモチベーションに意識が向いていませんでした。いつも不安で緊張ばかりしていたけれど、リラックスできるようになってだんだん楽になれました」

「波の穏やかな瀬戸内海は、ヨガの調和や静けさを象徴しているように思います」

体に悩みを抱えながらも、好奇心とチャレンジ精神は旺盛だった生本さん。10代の頃からの自転車旅好きが高じ、大学時代は学校を休学してアメリカ自転車旅にも出かけた。途中、体調不良とも闘いながら、ヒッチハイクも使ってなんとかゴールにたどり着く。その時に心に浮かんだのは、「自分は心と体がバラバラだ。これをなんとかしなければ」という思いだった。

帰国後、単身赴任の父親が住んでいた神戸で、いったん就職活動をして内定は得たものの、体に自信がなくて就職を諦めた生本さん。アルバイトをしながらカイロプラクティック、鍼灸、東洋医学と、ありとあらゆる治療と勉強に時間を費やした。

しかし、一向に改善せず、どうしようもない苛立ちの日々を送っていた。体調不良は日常生活に差し支えるレベルにまで陥ったこともあったそう。「やりたい気持ちはあるのに、仕事もできない。どうしたらいい?」と悩みに悩んでいた。

ビーチヨガを知ったのはそんな時だった。

悩む自分を救ってくれたヨガ

「たまたまYouTubeのイメージ映像を見たんです。日差しが降り注ぐ海辺でヨガをしている、それだけのものですが、僕の中でこれこそ自分が求めているものだ!とインスピレーションを感じて。その時は感動で自然に涙が出てきました」

そこで、須磨海浜公園で一人ビーチヨガをしてみた。最初は人の多さになかなか集中できなかったが、集中力がついてくると気持ちよさが実感できるようになり、そのうち体調も徐々に回復してきたという。

「自分にはどんな治療より、ヨガがあっていることに気づきました」

さまざまな体の不具合が改善し、身を持ってヨガの効果を体感した生本さん

その後、父親の転勤に合わせて岡山へ引っ越した生本さんは、仕事をしながらスタジオにも通ってヨガを続けるうちに本場で学びたいと思うように。

意を決して、インドのアシュラム(道場)へ50日間のヨガ修行に出かけた。そこでの学びは生本さんの生き方を大きく変えるきっかけになったという。

「ヨガでは、まず『自分の存在は体ではない』ということから学び始めます。それまで『体=自分』と思っていた僕には驚きでした。そして人生には大いなる力に導かれるような流れがあり、それが人生の本質であるということを知りました。自分の思いで生きているのは半分。もう半分は自分に与えられた役目のようなものがある。僕の場合、苦しみやヨガによって楽になった自分自身の経験を、今度は人を助けることに生かすのだと。それに気づいてからは体も心もどんどん楽になっていきました」

ビーチで行うメリットとは

最初はたった一人で始めた渋川海岸でのビーチヨガだったが、2013年頃から人を集めて行い、そのうち参加者が増えて今に至っている。

現在は3月から11月までの間、月2回程度行っている。開催は天候や天気に左右され、スタート時間も肌寒い時期は午前中、それ以降は夕方からなどその時々によって変わる。

一つ一つの動きを丁寧に指導するので、初心者でも無理なくついていける

ビーチで行うメリットにはどんなことがあるのだろうか。

「まず、呼吸が深まります。二つ目は不安定な砂の上で行うので、自然に体幹が鍛えられます。三つ目は気持ちがいいため体が動きやすくなるしリラックス効果も高まります。参加者のみなさんは、開放感があって普段のヨガとまったく違うと言われます。最後に仰向けになって横たわるシャバアサナというポーズの時、寝てしまう人もいます。また、屋内だと鏡や人目が気になりがちですが、開放的な場所だと気にせずできるため、初心者にはおすすめですよ」

駐車場などの設備が整った渋川海岸。傾斜がなく、ビーチヨガには最適

反響があるのは満月ビーチヨガ。昼間とは違い、幻想的な月明かりのなかで行うのは神秘的な体験だ。レッスンの中盤あたりで満月がのぼり、月光浴をしながらのリラクゼーションも最高。もちろん必ずしも月が見られるとは限らないが、だからこそ運よく見られた時の感動は大きい。2022年は週末の開催日に満月が重なる日は8、9、10月の3回あるそうなので楽しみだ。

満月ビーチヨガ。月明かりのなかで行うヨガは集中力も高まる

また、ビーチヨガをする際に欠かさないのはレッスン前のビーチクリーン。ヨガを行う場所をきれいにするという意味もあるが、はだしで砂浜を歩くことの健康効果に注目しているため。生本さん自身、「いわゆるアーシング効果で血流が良くなり、睡眠の質も高まるだけでなく、小さな炎症も緩和される」と自らの体験を話してくれた。

レッスンに入る前にみんなでビーチのゴミを拾ってきれいにする

自然の中にこそ本来のヨガの姿がある

「体調不良も病気も、ある意味不自然なこと。そもそも現代の暮らしはパソコンを見続けたり、座りっぱなしだったりなど、自然からかけ離れていることばかりだから、それが続くと体調不良になるんです。自然の中で行うビーチヨガは体と心を解放し、最高のリラックスをもたらしてくれます」

それは、生本さんがヨガを通じて伝えたいと常々考えている「ヨガとは自然と一つになること」ということを意味している。

夕日を眺めながらポーズ。身も心も穏やかになれる気がする

「今は心の時代だと思います。コロナ騒ぎや戦争が起こり、経済も下がってネガティブなことが多く、世の中は閉塞的になっています。そんなときこそいかにマインドを落ち着かせ、リラックスし、自分をいい方向に導いていくかが大切。ヨガはそんな今に一番フィットしているものだと思うし、そのためにもビーチヨガをもっと広めていきたいと思っています」

「アーシング効果で血流が良くなり、睡眠の質も高まります」

まだまだどこかで窮屈さを感じることが多い毎日。波音を聞きながらビーチヨガで伸び伸び体を動かし、大自然に心と体を解き放ってとびきりのリラクゼーションを味わってみてはいかがだろうか。

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