4歳のころから、皮膚に炎症が生じて膿や痛みを伴う「皮膚潰瘍」が全身に見られるようになったミカそらヒカルさん。15歳のころには、皮膚症状に加えて関節の腫れや痛みが現れ、指に変形が見られるようになりました。
皮膚症状や関節炎には長らく明確な診断名がつかない状態が続きましたが、発症から30年後「PAPA症候群」という難病であることが判明します。これは皮膚症状と関節炎の両方を引き起こす病気です。
現在は難病と向き合いながら、SNSで自身の経験や考えを発信し、個人セッションや歌を通してメッセージを届ける活動を行っています。そんなミカそらヒカルさんの歩みに迫ります。
幼少期から続いた原因不明の症状
ミカそらヒカルさんは4歳のころ、皮膚潰瘍のため大学病院を受診しましたが、病名や原因、治療法はわからないままでした。さまざまな内服薬を試したものの、症状は改善しませんでした。
小学生のころには、入浴時に毎回傷の処置を行い、そのたびに痛みでなく日々を過ごします。小学2年生のときに母親が亡くなってからは、その処置もすべて自分で行うようになりました。

中学校に進学してからも、傷はできては治ることを繰り返していましたが、中学3年生のころには肩や手首などの関節に痛みが現れます。やがて膝や足首にも広がり、症状は悪化。自転車通学や体育の授業も難しくなりました。
高校1年のころには足の皮膚潰瘍が悪化し、地元を離れた病院に入院することになります。
大学進学後は一人暮らしを始めましたが、皮膚の状態は悪化を続け、大きな潰瘍ができるたびに入退院を繰り返していました。学費や生活費に加え高額な治療費もかかり、当時は家族に対して申し訳なさを感じていたといいます。
その後、症状が似ていたことから「膿疱性乾癬」として難病指定を受けることになりました。
手術を経てたどり着いた「PAPA症候群」という診断
手指や膝関節には常に痛みと腫れがありました。それでも勉強のためにペンを握り続けていたことで、1~2年のうちに手指は内側へ曲がっていきます。
その後、左手の指に人工関節を入れる手術を受けますが、術後すぐに感染症を発症し、人工関節は抜去。左手中指は関節がない不安定な状態となりました。そのため、添え木のようなもので固定しながら、ほかの指を使って大学生活を送り、無事に卒業しています。
また膝関節には関節液が溜まりやすく、月に1回ほど整形外科で抜いてもらっていたそうです。

病名がはっきりするまで、20代のころは「膿疱性乾癬」として難病指定を受けていました。また「血管炎」や「多発性関節炎」など、症状に近い別の診断がつけられることも。
その後、34歳のときに初めて本来の病名を知らされました。結婚を機に転居した後、主治医からの電話で伝えられた病名は「PAPA症候群」。皮膚症状と関節炎はいずれも、その病気によるものでした。
発症から30年以上が経ち、病状も寛解していたことから、ミカそらヒカルさんは「遅いよ…」「いまさら病名がわかっても何も変わらない」と複雑な思いになります。
「私にしかできないことがある」とSNSでの発信を開始
ミカそらヒカルさんは、15年間会社員として働いた後、2年間ケアマネージャーとして勤務していました。ケアマネージャーをしていた5年前、ふと「私にしかできないことがある」と感じたといいます。
その思いをきっかけに仕事を辞め、これからの生き方を考えるなかで、SNSの世界に触れるようになりました。そして、ふと自分の手を見たとき「この手や病気の経験は、誰もが持っているものではない」と感じたことをきっかけに、SNSでの発信を始めることになります。

発信を決意したものの、手を見せること、顔を出すことは大きな勇気が必要です。初めての投稿は不安でしたが「この体を隠さずに生きていく、最初の一歩だったのかもしれません」と語っていました。
「この体とともに生きる」という言葉の意味
ミカそらヒカルさんは、SNSで「この体とともに生きる」と発信しています。その考えに至ったきっかけは、成長していく子どもたちの姿でした。

ミカそらヒカルさんは、幼いころから健康な体や安定した心の状態を実感できないまま育ち、自分を受け入れられない時期もあったといいます。だからこそ子どもたちには「自分を嫌いになったり、生きづらさを感じたりしてほしくない」「ありのままの姿で笑っていてほしい」と願うようになりました。
その思いから「まずは自分が変わらなければ」と考え、鏡に映る自分に何度も謝り、優しい言葉をかけるようになります。そうした積み重ねのなかで、少しずつ自分を受け入れられるようになり「この体とともに生きる」と思えるようになりました。
この言葉は、ミカそらヒカルさんにとって覚悟であり決意でもあります。
「この言葉が、自分を受け入れられない誰かの一歩につながれば嬉しいです」と話していました。
この体で生きて、私自身を表現していく
現在ミカそらヒカルさんは、SNSで自分の経験や考え方を発信し、個人セッションや歌を通してメッセージを届ける活動をしています。また障がい者・難病者専門の芸能プロダクションに所属して、さまざまなレッスンを通して新たな道を開拓中です。

ミカそらヒカルさんは、同じような悩みを抱えている人へ「あなたの体はあなたの敵ではありません。一緒に闘ってくれている仲間です。痛みを知ったあなたは強い。そして美しい。その体にも自分自身にも、いつか心から声をかけられる日がくるはずです」とメッセージを送ります。
今後については「この体で生きながら、自分自身を表現していきたい」と語ります。また、自身の言葉や歌を通して、誰かの心に小さな光を届けられたら嬉しいとも話していました。さらに、モデルや講演活動など、さまざまな分野にも挑戦していきたいと考えているそうです。
「この体とともに生きる」という言葉には、ミカそらヒカルさんの思いが込められています。ありのままの姿を発信するその姿勢が、誰かにとって新たな気づきや一歩につながるきっかけになるかもしれません。

