日本の伝統である着物の原材料になる絹。一反が出来上がるには2500ほどの蚕が必要だといいます。着物を着る機会が減っている今、山本浩士さんは絹を別の形で蘇らせようと、東南アジア・ラオスで養蚕を始め、スキンケア製品に生まれ変わらせました。山本さんにラオスで養蚕を始めた経緯や、海外で学んだことについて聞きました。

デザインの世界で人生の転機が訪れる

大学を卒業して日本の会社でSEとして働きつつ、いつでも好きな仕事にシフトできるようにお金をためていた山本さん。働き始めて2年、目標額が貯まり、元々興味があったデザインを学ぶため専門学校に行きます。

「デザインに興味が出たのは、流行る店の独特の居心地のよさがなぜかを知りたかったからです」

この時「海外へ行きたい」という願望がありましたが、具体的にやりたいことは決まっていませんでした。

卒業後は個人事務所を立ち上げ、デザインの仕事をしてしばらくたったある日、呉服屋の内装を担当。その店は、素晴らしい商品があるにも関わらず、店を閉める方向で考えていたのです。

「今の時代、着物が売れない。伝統は守るものではなく今を作るもの」という考えを持っていた店主。

そこで山本さんは「絹の良さを海外で伝え、日本へ逆輸入するのがいいのでは」と提案し、海外展開していくことになります。「海外に行きたい」と思っていた山本さんにとって、願ってもないチャンスが舞い込みます。

絹がスキンケア製品に生まれ変わる

「着物以外で絹をどのように生かすか」と考えていた山本さん。良い絹を作るには日本で限界を感じていたため「自分たちで養蚕しよう」と決め、東南アジア・タイへ渡ります。

そして絹について勉強する中で「繭は人口の皮膚や骨に応用できる」ことを知り、2017年頃からスキンケア製品に注目し始めます。

しかし、人の肌に触れる生体材料レベルのピュアな繭を作るには、微量の有害物質も検出されない土壌が必要でした。養蚕に適した場所を探すため、タイから隣国ラオスへ行きます。そこで見つけたのが、現在の拠点となるラオス・シノムノー村でした。

無農薬の畑で作られたラオスで生産している繭(写真提供:山本さん)

2018年からシノムノー村に来て養蚕を始めて4年。手探りで始めた海外での挑戦でしたが、製品の加工を日本の会社に発注し、念願だったスキンケア製品を完成させたのです。

「海外で挑戦して5年が経ちます。着物に使っていた絹を別の形で残したいと動いた結果、今の形に出来上がりました。ここまで来たのも村の人たちの協力があってこそです」

繭は一つ一つ手作業で形を整えている(写真提供:山本さん)

ラオスの人々に教わったこと

さらに山本さんは、ラオスの人々から教わったことがあると話します。

「村の人たちに会うまでは、利益を優先していました」

村の人々は「自分たちの体と心を痛めつけてまで仕事をやることはない。今やれる範囲のことをやり、自分たちがやりたいことで仕事が回り、お金も回るといいよね」という考えを持っていました。

さらに昨日の事も後悔しない、未来を描くでもなく「今を生きる」という大事なことをラオスの人たちに教わったと言います。

自分たちが今できることで幸せな暮らしをしているラオスの人々(写真提供:山本さん)

「環境で考え方が変わりました。何も知識がないところから、手探りながら挑戦してきました。新しい環境でのトラブルは想定内です。これからも流れに身を任せ『今を生きていこう』と思います」

山本さんの「今を生きる」挑戦は、これからも続きます。

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