みなさんは妊娠中や出産後に、脳卒中を発症する可能性があることをご存じですか?
日本では妊産婦(出産前後の女性)の脳卒中が、妊産婦死亡原因の第2位です。妊娠によって体内の循環血液量や心拍数が増加し、さらに体質などの要因が加わると、脳卒中発症のリスクが約3倍になるとまで言われているのです。しかし、今回話を聞いた立川あんさんのように、原因がわからないこともあります。
そこで、32歳で第一子を出産の12日後に脳出血を発症して緊急搬送された立川あんさん(@an_20230514reborn)に、妊娠中や産後のことなどを聞きました。
※脳卒中…脳の血管が詰まったり破れたりすることによって、脳が障害を受ける病気のことで、脳の血管が詰まる「脳梗塞」、破れる「脳出血」や「くも膜下出血」があります。
産後、激しい頭痛に襲われ…
立川さんの妊娠中の経過は良好で、妊婦健診もすべて順調でした。

妊娠初期のつわりがあった時期は吐き気が強く、体重は一時5kg落ちたものの、妊娠中期に入り徐々に落ち着きます。それからはバランスのいい食事を心がけ、臨月に入ってからはお産に向けての体力作りのために毎日散歩をしていました。
また、妊娠中になりやすいとされる「妊娠糖尿病」や「妊娠高血圧症候群」にはならず、母子手帳の妊婦健診の欄には最後まで「経過順調」のスタンプが押されていたといいます。
そして出産後も母子ともに健康で、何事もなく順調。そのため、予定通りに産科を退院しました。
しかし出産から9日目の朝、立川さんは最初の違和感を覚えます。睡眠中に今まで経験したことないような激しい頭痛で目が覚めたのです。
数分で頭痛は治ったため、出産してから2~3時間おきの授乳が続いて睡眠不足だったことが原因だろうと思っていました。また、数日前に陣痛を経験していたため、痛みに対しての感覚が麻痺していたこともあり、病院の受診はせずにそのまま過ごしていたといいます。
さらに里帰り出産だったこともあり、家族からも病院の受診を勧められますが「生まれたばかりのこの子には私がついていなければ!」という思いから「大丈夫大丈夫!」と受診を拒んでしまいます。それは「今思うと、産後で冷静な判断ができていなかった…」とも語っていました。
そして、その3日後の夕方、最初の頭痛と同じような激しい頭痛が起こります。
市販の頭痛薬を飲んでベッドに横になってみましたが改善せず、様子を見に来てくれた家族の前であまりの痛みに自然に涙がボロボロと出てくるほどだったといいます。それだけではなく、突然左手に痺れの感覚が現れました。立川さんは隣にいたお母さんに「ちょっとヤバいかも」と話しかけようとすると、呂律が回らず自分の言葉が急にスローモーションのようになり、自分自身の体の異変に驚いた…と振り返ります。
救急車を待っている間、お母さんが涙で震えた声で「頑張って」と立川さんの名前を呼びながら、何度も何度も体をさすってくれているのが分かりました。
「死んじゃだめだ。生きなきゃ!!」と祈るように強く思ったのを覚えているという立川さん。また、意識が遠のく中で「亡くなった父やおじいちゃんが私を迎えにくるかもしれないけど、私はまだそっちに行けないって断らなきゃ」とも考えていました。
救急車で搬送されているときの記憶はなく、病院に到着して先生が立川さんの耳元で「このままだと危険な状態なので、全身麻酔で緊急手術をします。頑張ってくださいね!明日には自力で目を覚ましてもらいます!」と声をかけてくれました。
「意識は遠い中でしたが、その言葉で喝が入りました」と…。
そして、手術から数日経過し体調が落ち着いたころ、脳出血の原因を調べるために脳の血管造影の検査を行いました。その結果、特に大きな異常は見られないためはっきりとした原因は掴めず、おそらく周産期のホルモンバランスが関わっているのではないかとのことでした。
手術後、目が覚めた立川さんは「生きてた。本当に良かった…」という安堵と喜びの気持ちでいっぱいだったといいます。左半身麻痺になったことに対しては自覚がなく、まだそのときは衝撃や悲しみさえもありませんでした。
その3日後からリハビリが始まりました。そのときリハビリスタッフさんからコロナ対策のマスクを渡され、今までは両手でサッと紐を耳にかけていたはずが、左手が動かないため片手で着けなければいけないことに気づき、そのときに初めて半身麻痺になったことを自覚したといいます。
また、立川さんは自分の左半身のイメージが薄れる症状もあり、ナースコールで看護師さんを呼び「すみません、私の左手ってどこにありますか?」と尋ね、そのたびに「ここだよ」と左手を触ってもらい、自分の体の上に乗せてもらっていたことも話してくれました。
「半身麻痺でも我が子を抱っこしたい」
リハビリは、リクライニングベッドを徐々に起こしていくことから始まりました。しかし、最初は頭を少し上げるだけで吐き気があったといいます。
そして、最初の1ヶ月は左半身にまったく力が入らない状態だったため、右半身の力だけで寝返りや立ち座り、片手で着替えを行う練習などをしました。2ヶ月目に入ると、ようやく手すりに掴まらず自分1人の力で立っていられるようになったのです。ナースコールを押さずに、トイレまで1人で車いすで行けるようになったのもこのころでした。

また「トイレに行くこと」への独り立ちをするため、病棟の看護師さんたちの前で実際に1人で病室からトイレへの行き来を試験のような形で見てもらいます。
「それに合格した瞬間は本当に嬉しくて、サポートしてくださったリハビリスタッフさんの前で嬉し泣きしました」と立川さん。

3ヶ月目には、装具を着けてゆっくりではありますが自分の足で歩けるようになったのです。それ以降はリハスタッフさん同伴で、病院を出てバスや電車に乗って外出の訓練を行いました。

また「半身麻痺でも我が子を抱っこしたい」という目標を達成するために、当時生後7ヶ月で体重9kgだった娘さんを想定して、9kgの重りを入れたリュックを前に抱えて歩く練習も。さらに退院直前には、実際に抱っこ紐を付けて子どもを抱っこした状態で歩くことができたのです。
「リハスタッフさんたちのおかげで目標を達成でき、とても感謝しています」と語ります。
リハビリを頑張る立川さんでしたが、最初はトイレや入浴などの今までは当たり前に1人でできていたことが、急に誰かにお世話してもらわないとできない体になってしまったことがとてもストレスだったと話します。
手術から3週間程度、身体中に繋がっていた点滴などの管が外れて初めての入浴の際、本当は久しぶりにお風呂に入れることを楽しみにしていたはずなのに、浴室用の車いすに座り、裸で体を看護師さんに洗ってもらっている…1人では何もできない自分の姿が鏡に映っていて、非常に虚しい気持ちになり号泣したといいます。
入院中は片手での生活に慣れず、苛立つことも多くありました。しかし、ご主人が半年間の育児休業を取得してくれて、毎日のようにお母さんと一緒にお子さんを連れて病院に面会に来てくれたのです。
首が座って、寝返りができるようになった「あー。うー。」とおしゃべりするようになったなど、お子さんの成長を一緒に見守ることができた立川さんは、それがとても幸せで心の支えとなりました。
また、入院中のため自分の手で育児ができない分は、ご主人や実家の家族や親戚がしてくれていました。お子さんのいろいろな「初めて」の瞬間を、立川さんの代わりに立ち会ってたくさん喜んでくれたのも嬉しい出来事でした。
さらに「以前と何も変わらず接してくれる友達の存在も大きかった」と友達とテレビ電話をしたときの気持ちも話してくれました。
妊娠・出産期に脳卒中のリスクが高まることを知ってほしい
立川さんは病気について、SNSで発信しています。そのきっかけは、お姉さんに「やってみれば?」と言われたことでした。
自身も「妊娠・出産期に脳卒中のリスクが高まるという知識を持っていれば、もっと早く病院を受診していたかも」という思いがありました。そのことを1人でも多くの人に知ってほしい、そして辛い思いをする人が少しでも減るといいな…と思っていたことも発信のきっかけとなりました。
どの位の人に届くかはわからないけれど、とりあえずやってみようとSNSでの発信を始めます。すると「頑張って」という励ましの声や「出産は命懸けだと感じた」というコメントをいただくように。中には、同じく妊娠出産期に脳卒中を発症した方からもコメントやDMをいただくこともありました。
「思っていたよりも私と同じ境遇の方は結構いるんだな…」と感じたといいます。
また悲しいことに、命を落とした方もいることを知りました。
立川さんは「悲しい思いをする人が減りますように」もしくは「少しでも後遺症が軽度でありますように」という思いを持っています。
「自分の経験が役に立つかはわかりませんが、今後も発症時や入院中、退院後の生活について発信をしていきたい」と。
また「SNSを始めてよかったと感じています」と、妊娠出産期にかかわらず、脳卒中当事者の方やそのご家族の方と繋がることもできました。
職場復帰を目指して
脳出血の発症から1年以上が経った現在は、旦那さんとお子さん、そして立川のお母さんが家事育児のサポートのために同居してくれています。

自分のことはおおむね自分で行っていますが、子どものおむつ替えはまだ片手ではこなせません。また、買い物や子どもと一緒のお散歩などは旦那さんやお母さんの協力を得ながらしています。
そんな中でも「どうしても片手でできない作業は補助してもらっていますが、子どもの離乳食作りは自分の担当としてキッチンに立っています」と話します。
そんな支えとなる家族は、立川さんにとって「たからもの」です。
「今後どんなことがあっても、守っていきたい存在です」と私が言うのも変ですが…と笑いを交えながら話していました。
立川さんは、今年の春に職場復帰を目指しています。
「左手はほぼ全廃なのでパソコンのタイピングは片手になってしまったり、満員電車に乗ることができなかったりなど以前と同じようにとはいきませんが、少しでも以前の生活に戻せるよう、自分の脳と体を信じてリハビリを続けながら、子育てを目一杯楽しみたいと思っています」と今後について語ってくれました。
順調に妊娠生活を終え、お子さまも無事に出産した立川さんが、突然脳出血になるとはご本人はもちろん、誰も思わなかったでしょう。妊娠中、出産後は外見だけではなく、内面にもさまざまな変化があります。そのため誰にでも起こりうることなのです。
産後は特に睡眠不足などで、体調が悪くても気づきにくいかもしれません。立川さんの体験から、脳出血になる可能性も頭の隅に置いて、何か変化を感じたらすぐに病院を受診する必要性を感じました。ご本人は気づきにくいかもしれないので、周りの人が気をつけてあげることも大切なのではないでしょうか。