「科学は絶対に真実を明らかにしてくれると信じていました」と穏やかな口調で話すのは、札幌市博物館活動センターの研究者、古沢仁さん。
クジラなどの大型海生哺乳類をはじめ、世界最古の大型カイギュウと言われる「サッポロカイギュウ」の発掘に携わった研究者です。
サッポロカイギュウは約820万年前に札幌で暮らしていたと言われる動物で、現存するカイギュウにはジュゴンやマナティーがいます。

カイギュウの発掘に魅せられた古沢さんの半生に迫ります。

釧路の地質に魅せられた小学生時代

科学に魅せられたのは小学生のころ。近くの山に友人と2人で遊びに行ったときに地質が露出している場所があり、その壮大さに圧倒されました。

「何百年も前のものが積もりに積もって現代の私と出会えているという奇跡が、子どもながらに衝撃でした」と振り返る古沢さん。

あまりにも魅了され、夕方まで見ていると「どこにいったんだ」と町ではちょっとした騒ぎに。結局その友人とはその1度だけしか山に行けませんでしたが、その後も一人で山に行ってはその地質に見とれていたそうです。

研究者になろうなんて思っていなかった

小さなころから研究者を目指していたのか聞いてみると「全く思っていませんでした」と古沢さんは即答。学生のころ目指したのは「教師」か「画家」だったため、教育大学へ進学しました。

そこで研究者の道は潰えたかと思いましたが、当時の教育大学では専攻する分野を選択できるシステムだった事から小学校のころに魅せられた「地質」について学びます。また同時に化石の発掘に帯同して、研究者としての礎も築いていきました。

カイギュウに導かれ研究者へ

発掘から研究までの一連の流れを解説したもの。

その後、小学校で勤務しながらも長期休暇中には、化石の発掘に責任者として従事。古沢さんはこの発掘を終えたら研究者ではなく、教師として小学校に戻るつもりだったそうです。しかし、そんな思いとは裏腹に、今までに見たことのない化石(のちにカイギュウの化石であると判明)を発掘することに。

「小学校に戻る気満々だったんですけど、なんとも数奇な運命と言いますか、研究者になりなさいといわれている感じでした」

そして、周囲の声にも押される形で、わずか1年で教師を退職。研究者の道へ本格的に舵を切ります。

その後は恩師の紹介で「滝川市」「沼田町」など道内を転々としつつ、カイギュウの研究や発掘に携わりました。

発掘を続けていくにあたり、カイギュウの祖先となる化石を発見するなどカイギュウのルーツがどんどん解明されていく過程を「本当に偶然の連続という感じです。カイギュウの方から私の方に来てくれました」と笑顔で語ります。

そして2003年に、札幌市内で巨大なサッポロカイギュウの化石が発見されその発掘に携わることに。

追い求めていた化石と出会うことができたのです。

科学は絶対に真実を教えてくれる

発掘された貴重なサッポロカイギュウ標本(レプリカ)を展示。

新種の化石を発掘した研究者として日本と海外を行き来し、日夜研究に勤しんでいた古沢さん。

しかしながら日本国内では「若い奴が海外に日本代表ヅラしていくなんて」というような心無い言葉を多数受けたり、発見したカイギュウの化石が新種だと認められるまでに30年という期間を要するなど、その道のりは決して穏やかではありませんでした。それでも、古沢さんは辛くはなかったといいます。

「科学は絶対に嘘をつきません。もし仮に私が生きているうちに認められなくてもいずれ科学が真実を伝えてくれる。それだけを信じて進んできました」と力強く答えました。

科学を通じて日常に気づきを

現在、古沢さんは研究とは別に「おさんぽミュージアム」という平岸の地質について地域の人に説明する取り組みをしています。

古沢さんが書いた本。文章だけでなく絵も手掛けている。子どもにもわかりやすく伝えるには絵本がいいだろうという思いから、文章は少ないながらも地層のでき方などが解説されている。

「化石なんて出ないだろうと思っていた札幌からも2003年に大型のカイギュウの化石が見つかりました。普段何気なく暮らしているありとあらゆるところに科学の面白さは沢山あります。近所の地形や地質をきっかけに科学の面白さに気づいてもらえたらと思います」

校庭の一部だけ水捌けが悪いところがあったら、もともと水路があった場所だったということはよくあるらしく、日常の「なぜだろう?」も科学で解明できると笑顔で古沢さんは語ります。

小学生時代に地層の楽しさに魅せられた少年が、今度は小学生に科学の楽しさを伝える立場になりました。

古沢さんと札幌市博物館活動センター

カイギュウ研究の第一人者、そして子どもたちに科学の魅力を伝える学芸員として、古沢さんの研究と、科学の魅力を伝える活動はまだまだ続きます。

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