かつて全国各地を駆け巡っていた寝台列車は、車体の色から「ブルートレイン」と呼ばれていました。ゆったりとした列車の旅が思い出に残る人も多いでしょう。
現在は、新幹線や高速バスなどの台頭で大半が姿を消しています。その中で、かつてのブルートレインの客車を改造した民宿「四国遍路の駅 オハネフの宿」が、2023年春、香川県観音寺市に開業します。

「オハネフの宿」客室。ブルートレインの客車を改装している。

民宿として改装された「オハネフ25-2209」「オハネフ25-206」は、2008年まで寝台特急「なは」として、機関車にけん引されて京都~熊本間を走行していた客車です。「2209」は指定席「デュエット」(2人用個室B寝台)が9室あり、カーペット敷きの床・壁灯・オーディオなど、設備はさながら“走るホテル”。現役当時は運賃・特急料金と別途で12,500円の寝台料金が必要でしたが、観光や新婚旅行などに重宝されていたと言います。

一方で、「206」(解放型B寝台客車)は1室に4つのベッドを備えた相部屋仕様。修学旅行などで乗車した方も多いのではないでしょうか。ちなみに「オハネフ」とは客車の形式を表す記号で、重量・用途をカタカナで表したものです。(例→「ネ」=寝台列車、など)

車両の諸元。「オ」は32・5トン~37・5トン、「フ」は緩急車(手動ブレーキと車掌弁を搭載)の意味

この宿の開業は、地元でうどん店を経営する岸井正樹さんの「ブルートレインを買おう!」という決意からはじまります。客車の購入だけでなく、移設や補修などで多くの人々に助けられたという岸井さんに、開業に至るまでの8年間を振り返ってもらいました。

客車は100万、運搬にかかるのは…“ブルートレイン700Km移動”までの道のり

農家だった岸井さんが香川県善通寺市に「岸井うどん」を開業したのは2003年のこと。ビニールハウスを改装した店舗で提供されるうどんは好評で、県内外からの来客で賑わう人気店に成長していきました。

香川県善通寺市「岸井うどん」の看板商品・肉うどん。現在は「オハネフの宿」開業準備もあって休業中。(画像提供:オハネフの宿)

そんな岸井さんは、子どものころからの鉄道・ブルートレイン愛好家。寝台特急「なは」の客車をずっと気にかけていました。

のちに岸井さんが購入することになる2両の客車は「なは」運行終了後、ライダーハウス(ツーリング向けの宿泊施設)として鹿児島県阿久根市に移設されていましたが、運営団体の解散により2014年に閉鎖。補修されず朽ち果てる姿を見過ごせなかった岸井さんは、この客車を四国八十八か所霊場を回る「お遍路さん」の宿にしようと思い立ったのです。

しかし、客車そのものは100万円ほどで購入できるものの、廃車となっているため線路を走れません。700kmもの距離をトレーラー・フェリーで移送するために、1両を運ぶだけでも750万円ほどの費用が見込まれていました。

ここで岸井さんは、周囲の勧めもあって、2018年12月にクラウドファウンティング(募集による資金調達)を実施。ひとりの鉄道ファンの呼びかけは反響を呼び、「もう一度客車に泊まり、列車旅の気分を味わいたい」というメッセージとともに、続々と資金が集まっていきます。またうどん店の来客や、周辺の飲食店からの寄付もあったそうです。

2度のクラウドファンディングによって、岸井さんは1700万円近い資金を調達。2021年4月に、トレーラーに載せられた2両の客車は阿久根市を離れ、大分県・臼杵港から愛媛県・八幡浜港まで「オレンジフェリー」で四国に渡り、香川県観音寺市・雲辺寺ロープウェー第二駐車場まで移動。4日間・約700Kmにも及ぶ長旅を経て、ついにブルートレインが到着したのです。

観音寺市に到着し、地上に下ろされる客車(画像提供:オハネフの宿 修繕ボランティア)

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