カタクチイワシの煮干し「イリコ」は、讃岐うどんのダシには欠かせない食材。なかでも香川の特産品「伊吹(いぶき)いりこ」が有名だ。

その産地、伊吹島は香川県の西の端、観音寺市に属する、瀬戸内海に浮かぶ小さな島。周囲約5.4キロ、人口約400人。漁業で栄えるこの島にとって、6月中旬から9月上旬のカタクチイワシ漁(=地元ではイリコ漁)の時期は、観音寺市からだけでなく、県外からも働き手がやってくるほど、島がもっとも活気づく繁忙期だ。2021年の解禁日は6月14日。伊吹島にイリコの季節が始まった。

イリコ漁解禁前の大安の日。「よべっさん」が網元をまわる

取材に訪れた6月10日は、イリコ漁が解禁になる前の大安の日。「よべっさん」とは伊吹島で「えびす」のこと。えびす信仰の厚い伊吹島では、イリコ漁が解禁される前の大安の日に、えびすさんを含む4体の阿波(徳島)のでこまわし(人形)が、島内15軒の網元の各加工場で舞い、豊漁と海上安全を祈願する。

江戸時代から続くと言われているこの行事。かつては阿波に「でこ遣い(人形遣い)」と呼ばれる芸人がたくさんいたそうだが、今では阿波木偶(あわでこ)箱まわし保存会が、その伝統を引き継いでいる。

阿波のでこまわしがイリコの加工場を舞う。

えびす人形が加工場で舞ったあとは、家族や従業員の体をさすって安全や健康を祈願する。

網元のなかには、神棚を祀るようによべっさん(人形)を祀っているところもある。この日はそんな一軒の網元に代々伝わるよべっさんを保存会の人が分解し、「かしら」と呼ばれる人形頭部の中を点検確認する、めったに見ることのない場面にも遭遇した。

伊吹島には古くから伝わる伝統や祭、風習が多く残っていることから、歴史や民俗学で研究対象としている専門家も多いそうだ。

頭部を外した人形の鑑定をするようす。内側に製作者の名などが記されていた。

「伊吹いりこ」がおいしい理由

伊吹島のイリコについて、網元のひとつ、平三(ひらさん)水産の代表、真鍋和弘さんと妻の美桂さんに話を聞いた。

和弘さんは漁師歴30年の4代目。18歳で漁師になり、父親から漁を学び、26歳で観音寺市出身の美桂さんと結婚。しかし、その翌年に父親が急逝し、和弘さんが会社を引き継ぐことになったそうだ。

「27歳で突然社長になったので、最初は従業員を養わないといけないプレッシャーにつぶされそうでした」と和弘さん。あれから20年。最近は息子も一緒に漁に出るようになった、後継者がいる勢いのある網元のひとつだ。

真鍋和弘さん、美桂さん夫妻。この桟橋にカタクチイワシを積んだ船が着き、ここから向かいの加工場へ直送される。

つい数年前まで、夫妻は伊吹いりこが他産地のものに比べて特別とは思っていなかったそうだ。ところが初めて販促イベントでの対面販売で、直接客と話をしたときに気付かされたという。

まず驚いたのは「伊吹いりこ」という名前が、香川や四国だけでなく、多くの人に知られていたこと。「やっぱり伊吹島産は違うね、おいしいね、とたくさんの人に言われて、ほんとにすごいイリコなんだと実感しました」と和弘さん。

美桂さんも「ただ加工して出荷していただけでは気付かなかったこともあり、お客さんから高い評価をいただくと『もっと工夫していいものを作ろう』と思うようになりました」と、意識が変わったことを振り返る。

伊吹イリコ。大きさによって大羽、中羽、小羽、カエリと分類されている。これは大羽。

その「スゴイ」理由を漁協や島の人に尋ねてみると、なるほど、確かに「すごい!」と思わずにはいられない。

・漁から加工まで網元ごとの一貫生産をしている。
・2隻の船で漁(パッチ網漁)をして、獲れたカタクチイワシは運搬船に積み、すぐに加工場へ運び込む。運搬船から“イリコホース”と呼ばれる太いホースで吸い上げられ、加工場に直送する。
・漁場と加工場は目と鼻の先。1網1時間程度で、1日7~8回、多い網元では12回も、カタクチイワシの鮮度を維持するために何度も往復する。
・水揚げされてから30分以内に釜茹でする。
・島周辺の海水の水質が良いため、釜茹でには海水を使用。真水を使用すると浸透圧の関係で塩分といっしょに旨味も抜けてしまうが、海水の塩分とともに旨味も逃さず加工している。
・カタクチイワシの大きさによって茹で時間、乾燥時間を細かく調整している。
・網元それぞれにこだわりがあり、競い合っている(が、仲はいい)。

運搬船からイリコホース(フィッシュポンプ)で吸い上げ、加工場に直送するようす。

ダシだけじゃない。丸ごと食べる「釜揚げイリコ」は学校給食でも人気

伊吹島には、ここ数年で新たなイリコ商品が登場している。例えばそのひとつ「オリーブイリコ」。県の研究機関といっしょに商品開発したもので、香川を象徴する果実、オリーブの「葉」とカタクチイワシをいっしょに釜茹でしている。オリーブの葉の成分で、カタクチイワシの内臓や頭部の苦味、また、魚特有の臭いや脂質の酸化を抑える(=時間が経っても変色しにくい)ことに成功した。「オリーブイリコ」として販売されている。

また、漁師の家では昔からおかずに食べてきたという「釜揚げイリコ」=茹でただけの乾燥前のイリコが、3年前から冷凍商品で流通している。最初に冷凍「釜揚げイリコ」の試作に取り組んだのは、平三水産だった。一般的なイリコ(乾物)は脂がのっていない痩せたカタクチイワシが適しているが、釜揚げイリコは「脂イワシ」と呼ばれる脂がのったものが向く。丸ごと食べる魚はそのほうがおいしい。

「秋口に脂イワシが獲れ始めると、以前は漁を諦めていたのですが、冷凍釜揚げイリコに加工できるなら、どちらが水揚げされてもいいわけです。それと、乾燥させる際には重油代がけっこうかかるのですが、冷凍ならそれほど経費がかからない点でもいい」と和弘さん。その後、他の網元も次々と冷凍設備を整え、2021年からは12軒が冷凍「釜揚げイリコ」を製造するまでに拡大した。

−30℃の冷凍庫で凍結させる釜揚げイリコ。

イリコどうしがくっつかないよう、バラ凍結にしているのもポイント。

持続可能な漁業をめざす「伊吹島プロジェクト」が動き出した

釜揚げ後、一気に−30℃に冷凍された「釜揚げイリコ」は、そのまま網焼きや、天ぷら、フライなどで丸ごと食べられる。廃棄する部分がない食材としても有望だ。主にダシとして使われてきた従来の「イリコ」とは別の食シーンで、飲食店や惣菜加工などの需要が見込める。

イリコにこだわってきた島にとって革命的ともいえる新たな加工品を全国に普及させようと、網元や地元、観音寺の冷凍食品メーカーなどが取り組み始めたのが「伊吹島プロジェクト」だ。伊吹島の産業として古くから栄えてきた「イリコ漁」を未来につなげるために、伊吹いりこは「ダシでよし食べてもよし」で幅広い消費を目指し続けている。

カタクチイワシ漁はパッチ網漁の漁船2隻、運搬船1隻、魚群探知機船1隻の計4隻の船団で漁をする。写真は平三水産の4隻。

この記事の写真一覧はこちら