諦めかけた俳優への道 中学校教員との二足のわらじで本格復帰

諦めかけた俳優への道 中学校教員との二足のわらじで本格復帰
手話裁判劇『テロ』での一コマ。左が木下健さん(撮影:河西沙織)

大阪市の公立中学校の教員である木下健さん。数学の授業を担当し、休日は部活動の副顧問として部員の引率などを行う。そんな彼にはもう1つの顔がある。関西の舞台を中心に活躍する俳優としての一面だ。

演劇に熱中した学生時代

木下健さん…:辻実成)
木下健さん…:辻実成)

「中高生の時、学校は面白くないと思っていました。そんな時に演劇と出会いました。吉本新喜劇の芸人さんたちが、コントではなくお芝居をやっていて。すごく面白くて、どきどきして、わくわくして。自分もこの人たちみたいな演劇をやりたいと思いました」

高校時代に熱中したテレビ番組の影響で、演劇を志した木下さん。大学進学後に、関西の学生演劇界では名高い『学園座』に参加した。

「大学では演劇に没頭しました。年5回ある公演に向けて、1か月半くらい前から週6回で稽古がありました。期間中は、日中授業を受けた後、16時くらいから終電まで。稽古と裏方作業を同時並行です」

学園座時代
学園座時代

大学3年の時には座長も経験。卒業後は演劇の世界へ進みたいと思っていたという。大手がダメなら実力不足だと考えていた木下さんは、関西の大手2社に絞ってチャレンジした。1社は最終選考までいったが不合格だった。

「この業界で食べていくのはご縁がないと思い、そこから遅れた就職活動を始めました。そして、大手家電量販店に就職しました。売り場で販売職をしていました。8年働きましたね」

演劇はやめようと思っていた木下さん。だが、大学時代の友人が仕事をしながら続けており、誘われるようになる。もちろん仕事が忙しかったので、俳優としての活動は難しい。そこで、裏方のスタッフとして大道具を作ったり公演前の舞台を組んだりしていた。

「でも、小さいイベントでいいから出てくれと言われるようになりまして。開演前の注意事項をコント風にやってほしいとか。イベントのMCをやってほしいとか。キングオブコント(2013年)に挑戦したこともありました。そんなことが続くうちに、ちょっとずつまたやろうかなという気持ちになりました」

教員への転身で本格復帰

そんな木下さんが、本格的に俳優として復帰したきっかけは、教員への転身だった。

「教育実習は地元の姫路でやりました。30歳過ぎたおっさんが母に弁当を作って貰ってね。そうして非常勤講師となり、特別支援学校の寮の先生を経て、現在の中学校の教員となりました」

そして無報酬を前提に、俳優活動へ再び力を入れ始める。友人と結成した演劇ユニット『短冊ストライプ』の代表を続けながら、現在もオーディションを受けて年間2回ほどの公演に参加している。

「教員との両立はめちゃくちゃ大変です。やりたいことなのでやれていると思います。仕事終わりや週末の部活動が無い時間帯に稽古に参加しています。稽古期間は本番の約1か月半くらい前からですが、その期間は生活が全てぼろぼろになりますね」

一方で、教員としての経験が演劇に生きることもある。

昨年10月に参加した手話裁判劇は、キャストの半分が聴覚障害を持つ俳優という異色の舞台だった。全盲の俳優も参加した。木下さんは弁護士の役を演じた。そこでは、特別支援学校時代に学んだ手話を生かして、キャストたちの架け橋となった。

手話裁判劇…河西沙織)
手話裁判劇…河西沙織)

これからも、教員と俳優の二足のわらじを続けていく予定だ。木下さんにとって、そのどちらの側面も欠かせないもの、両方あっての木下さんなのだろう。教員としての目標は海外で教えること。そして、俳優としては、高校生の頃憧れたザ・プラン9と同じ舞台に立つことだ。

「学校が苦しかった中高生の頃、演劇に救われました。表現することの楽しさや面白さは、子どもたちにも伝えたいですね。演劇には人の気持ちを想像したり、創造力が豊かにしたりする力があると思います。海外では演劇を取り入れた授業もありますしね。でもすみません。普段はこんなに真面目なことは考えてなくて、とにかく純粋に、楽しいからやっています。たくさんの人に舞台を観てもらいたいという気持ちです」

先生自らがやりたいことを挑戦し、熱中して楽しむ姿は生徒たちにとっても素晴らしいロールモデルなのではないだろうか。

木下さんの次回の舞台は、5月24日から28日に一心寺シアター倶楽(大阪市)で行われる南河内万歳一座の『楽園』だ。

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