母として、仕事人として、地域に根差す人として……キャリアを築きながら活動範囲を広げている、小松好美さん。司会業、食育アドバイザーとしての活動、地元の子育て世代向けサイトでの情報発信など、その範囲は多岐に渡ります。原動力は、生まれてから入退院を繰り返してきた2人の子どもたちの存在です。

「息子たちあっての、今の私なんです」

そのおかげで今の自分があります、と言う小松さん。さまざまな転機や経験を生かしながら前に進む、バイタリティ溢れる姿を取材しました。

病気がちの子どもたちのために、定住を決断

小松好美さん

小松さんの2人の子どもたちは、今は元気に過ごしていますが、幼い頃は入退院を繰り返す日々が続いていました。複雑性熱性けいれん、気管支喘息、てんかん、胃食道逆流症など、小さな体には大きな負担のある病名が連なります。

「息子たち2人とも、生後1か月で入院をしています。長男は1歳9か月の時に心肺停止状態になり、意識は戻ったものの容態が落ち着かないので、個人病院から総合病院へ緊急搬送されたことがありました。次男は、年に2、3回は緊急搬送されていました」

病気がちの子どもたちと共に生きる中「あってはならないような経験もあって、自分を責めたこともありました」と顔を曇らせる小松さん。しかし、当時お世話になった病院の先生が精神的な支えとなってくれ「その恩は、今でも忘れられない」そう。

小松さんの夫は当時、転勤族。子どもたちの病気治療のため長期入院を迫られても、場所に悩むこともしばしば。幼い子どもたちが入退院を繰り返すことは、支える側の親としても、肉体的にも精神的にもハードでした。限界を感じていた小松さん夫婦は『息子たちのために、岡山定住を決めよう!』と決断したと言います。

体質改善のきっかけ、食育との出会い

その後、家計の収入を賄うため「手に職をつけられるもの」を探していたところ、友人から声をかけられたのが「司会業」。人、そして人と話すことが好きだった小松さんは、結婚式やイベントで司会進行を行うなど、忙しくも充実した日々を送っていました。

しかし、コロナ禍のために仕事が激減。それが「食育」と出会うきっかけになったのです。

「それまで司会業で忙しくしていたので、食事も市販のお惣菜だったりと、食や子どもの病気にきちんと向き合っていませんでした。しかし友人から『口から入るものは大事だよ。体質改善してみない?』とアドバイスを受けたことを機に、家族の体質改善のための食育に取り組むことにしたんです」

その効果は、てきめんに現れたそう。

「それまで次男は薬を6種類ほど服用していましたが、今では飲まなくても体調が落ち着いています。口から入れるものの大切さとすごさを痛感しました」

小松さんは「食」で体調が変わることを伝えたいと思い、食育アドバイザーの資格を取得。さらに子育て世代に向けての情報発信サイト「LaLa Okayama」に参加。家族の体質改善ができた経験から、レシピを発信しています。また飲食店とタイアップしたレシピの提案や、食育にまつわる健康メニューの開発を行っています。

海鮮サラダのレシピ提案で、打ち合わせを行う小松さん

「もし我が家のように、病気がちなお子さんを持つ親御さんがいたら、食の大切さを教えてあげたいです」

栄養素だけでなく「春」をイメージした海鮮サラダ。

人と人を結びつける存在へと

2021年12月には、食育アドバイザーとして、岡山市立石井中学校で『食べ物から考えよう〜健康な身体作り〜』という授業を行いました。

石井中学校にて「食」の授業を行う小松さん

さらに「ESDコーディネーター」としても活動を開始。ESDコーディネーターとは、人と街とを繋ぎ、地域を舞台とした課題解決に向けた学び合いや活動の場を企画・実施する存在です。「子育てしやすい岡山になってもらいたい」と大きな目標を抱く小松さんは、「人と人、人と街とを繋げていきたい」と語ります。

岡山市立石井中学校にて、青野校長先生と

これまでの経験ややりたいことを仕事として結びつけ、さらに家庭内だけでとどまらず、大きな輪へと広げている小松さん。そんな「今」があるのは、応援してくれた人たちと、2人の子どもたちのおかげだとか。

「息子たちあっての、今の私なんです。私のところに来てくれて、本当にありがとう、と心から思っています」

左から、小松さん、長男の拓海さん、次男の蒼空さん。

バイタリティの原点は、子どもの存在。そこから学び、得たものを周囲への「感謝」に変えて、小松さんはこれからも活動範囲を広げます。

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