岡山市の中心部、大通りから少し入ったところに南インド料理店・パイシーパイスはあります。店を営むのは、インド・ケララ州出身のシャビン・ジャバーさん、田畑智美さん夫婦。岡山産の食材を可能な限り使った品々は、いずれもシャビンさんが祖母から教わった家庭料理です。

色とりどりのおかずが並ぶ定番のミールスは、肉と野菜のバランスを重視。メインのカレーを前面に押し出す店が多いなか、ラッサムと呼ばれるスープや副菜も存分に盛り込むなど、現地で実際に親しまれている味わいにこだわっており、その日の仕入れによって献立を組み立てます。

「人の人生が変わる瞬間には絶対に料理がある」とやりがいを語るシャビンさん

「野菜と特別メニューは毎日変わる。チキンカレーも、骨付きの鶏だったら味付けは変わるし。もも肉、胸肉を使うときはそれに合う味付けとか」

食材や季節、さらにはお客さんの体調、食の嗜好まで考慮して調理法を変えていることを、シャビンさんは流暢な日本語で教えてくれました。時折、智美さんから入るフォローは、まるで夫婦漫才を見ているかのよう。しかし、ミシュランプレートに選出されるほどの人気店ができるまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。

夢を先延ばしにしない――その一念が開店のきっかけに

出会って間もないころの2人

2人が出会ったのはインドでも日本でもなく、オーストラリア。お互いが留学、ワーキングホリデーで滞在していた先で恋に落ち、結婚することを決めました。将来的にはオーストラリア永住を視野に入れていましたが、紆余曲折があり岡山で暮らすことに。インドでの婚姻手続きを経て、当時仕事のなかった2人はやむなく智美さんの実家に転がり込みました。

そこからが苦労の連続。かつてホテルマネジメントを学んだシャビンさんは、ホテル勤務などを経験したものの、「会社の決まりだから、ひげは剃ってほしい」といった日本的な慣習になじめず、職を転々。「楽しい未来が全然想像できなくて」と智美さんが語るように、夫婦ともども悩ましい毎日を送りました。

オーストラリアでチョークアート学び、絵本の出版経験もある智美さんのイラストに彩られた店内

結局のところ、経済的な安定以上に、精神面の充足を求めていたことに気づいた2人。退路を断つべく仕事を辞めて向かったのは、インドのデリーでした。収入源さえなくしてしまえば、心からやりたいことを追求できるはずとの考えからの行動でしたが、酷暑のタージマハルで大きな事件が。

なんと、シャビンさんが熱中症で倒れてしまったのです。集中治療室に運び込まれ、一時は生死をさまようことになりました。いまとなっては「あれもいい経験だよ」と振り返れるほどのエピソードですが、容体が危険な状態にあったことは確かです。もうろうとする意識のなか、シャビンさんは思わずこうつぶやいたといいます。

旅行先のインドにて

「智美、僕はもういくよ」
「いやいや、まだでしょ」

そんな切実なやりとりが天に通じたのか、シャビンさんは奇跡的な回復を見せ、幸いにして一命を取りとめることになりました。この出来事を境に鬱屈とした気分が晴れて、「夢を先延ばししないように」と考えを切り替えた夫婦。満を持して、シャビンさんのかねてからの夢だったレストラン開業を決意するのでした。

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