出産直後…医師に「遺伝子検査したほうがいい」と言われた息子→その後…母「世界が真っ暗になった」当時の思いを聞いた

出産直後…医師に「遺伝子検査したほうがいい」と言われた息子→その後…母「世界が真っ暗になった」当時の思いを聞いた
医師からの一言(中村さんより提供)

中村さん(@miwa.happy.nakamura)は、息子さんの出産後、NICUを巡回していた遺伝科の医師から「遺伝子検査したほうがいい」と勧められました。検査の結果、息子さんは生後半年で病名が判明します。

顔立ちの特徴が診断の手がかりになることもあるという、息子さんの病気について話を聞きました。

85万人に1人の難病「CFC症候群」と診断

生まれてすぐに遺伝子検査を勧められた中村さんは、「原因や病気の診断につながるのであれば、ぜひお願いしたいと思いました」と当時を振り返ります。

検査の結果、息子さんは85万人に1人の難病とされる「CFC症候群」と診断されました。

医師からの一言(中村さんより提供)

CFC症候群とは、Cardio-Facio-Cutaneous(心臓・顔・皮膚)の頭文字をとった遺伝性疾患です。心臓や顔、皮膚、髪の毛など体のさまざまな部分に症状が現れ、心房中隔欠損症や肥大型心筋症、特徴的な顔立ち、湿疹や角化異常、成長や発達の遅れなどが見られることがあります。

検査につながった(中村さんより提供)

診断後の不安を支えた家族の存在

息子さんがCFC症候群と診断されたとき、中村さんは「世界が真っ暗になったようだった」と明かします。さらに、現在の医学では根本的な治療法がないと知り、先の見えない不安を抱えたこともありました。

そんな中、支えになったのが家族の存在でした。

里帰り出産で沖縄の実家にいた中村さんは、主治医から飛行機搭乗の許可が下りず、息子さんが1歳になるまで実家で暮らしていました。その間、両親はもちろん、お姉さんと妹さんも夜間のケアや長女さんのお世話を引き受けてくれたといいます。

息子さんが1歳になって自宅へ戻ってからは、義妹さんも2年間同居し、子育てを支えてくれたそうです。

また、夫婦それぞれの実家は遠方にあるものの、必要なときには家族が飛行機で駆けつけてくれるなど、多くの支えに助けられてきたと話していました。

現在の治療と活動について

息子さんはこれまでに気管切開や胃ろうの造設を受けており、難治性てんかんや肥大型心筋症、体幹保持不全、肢体不自由などの症状がありました。

現在も、難治性てんかんと肥大型心筋症の治療を続けています。

息子さんの子育てをしながら講演活動などにも取り組む中村さん。大変だと感じるのは、息子さんの急な体調不良によって予定が大きく変わることです。また、旦那さんの出張や子どもたちの長期休暇なども重なるため、家族全体のスケジュール調整に苦労することもありました。

息子さんの子育てや講演活動と並行して、中村さんはSNSでの発信も続けています。

発信を始めたきっかけは、医療的ケアを必要とする息子さんが、18歳以降に安定して通える居場所がないかもしれないと先輩ママから聞いたことでした。そこで現状を知ってもらう必要があると考え、発信を始めることに。

また、CFC症候群には特徴的な顔立ちが見られることがあり、発信を見た人が「うちの子と似ている」と感じ、実際に診断につながったケースもあったそうです。

そうした経験から、「誰かが診断へたどり着くきっかけになれば」という思いも込めて発信を続けていると話していました。

特徴①(中村さんより提供)

我に返ることができた保育士さんの一言

息子さんの病気と向き合う中で中村さんには、印象に残っているエピソードがあります。それは、息子さんの病気の確定診断を受けた日のことでした。

診断を受けた帰り、長女さんを保育園へ迎えに行った@中村さん。保育園の玄関で張り詰めていた気持ちがあふれ、その場で泣き崩れてしまったといいます。

すると、その様子を見た保育士さんが、何も聞かずにただ「大丈夫よ、大丈夫よ」と声をかけてくれたそうです。

その言葉に救われた中村さんは、「みんなが笑って過ごせる人生を目指せばいいんじゃないかな」と思えるようになります。それは、息子さんとともに歩んでいこうと決意できた瞬間でもありました。

「あの保育士さんの何気ない一言が、私たち家族の人生を前に進めてくれたように感じています」と振り返っていました。

息子さん(中村さんより提供)

障がいのある人たちが青春を楽しめる居場所を…

中村さんの今後の目標は、息子さんが18歳になるまでに、障がいのある人たちが青春を楽しめる居場所をつくることです。また、医療的ケアが必要な人たちも安心して暮らし続けられるよう、社会的な受け皿を増やしていきたいと考えています。

さらに、SNSや講演活動を通じて、障がい児家族のリアルな日常や、「思いは口に出すことで少しずつ形になっていく」という自身の考えを発信していきたいと話していました。

これからも発信を続けていく(中村さんより提供)

その考えの原点の一つになったのが、エイプリルフールの出来事だったといいます。

冗談で「デンマークと日本の二拠点生活を始めました」と投稿したところ、多くの人が信じてくれたことから、「人が信じられることは実現できるのかもしれない」と感じるようになります。その後、実際にデンマークの福祉を見に行き、それが現在の活動や挑戦につながっているとのことです。

最後に、「障がい児を育てていても、自分らしく生きていい。家族もまた、自分自身の人生を楽しんでいい。そのことを伝えていきたい」と話していました。

投稿には「顔貌の観察は大事」「応援しています」といった声が寄せられています。
診断や子育ての経験を伝える発信は、多くの人にとって病気への理解を深めるきっかけになりそうです。

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