「正解のない問い」が引き出す子どもの本音。驚きに満ちた哲学対話の現場とは

「正解のない問い」が引き出す子どもの本音。驚きに満ちた哲学対話の現場とは
子どもの哲学対話をファシリテートする杉原あやのさん

「神は本当にいるのか?」「愛は地球を救うか?」。簡単には答えが出ない問いに向かって、子どもたちが考えを述べ合う哲学対話。そのファシリテーターを務める香川県多度津町の杉原あやのさんは、子どもの自由な発言を引き出す名手だ。何を言っても咎められず、しっかり話を聞いてくれる場が子どもたちの思考を刺激する。活発な意見が交わされる子どもの哲学対話を覗いた。

二者択一を超えて

「神は空気かもしれない」。白熱する哲学対話の時間に、ある女子児童はこう言った。この日のテーマは「本当に現実に神はいるのか?」。この女子児童は、もともと「神はいない」と考えていた。

しかし、対話が進行する過程で、ファシリテーターの杉原さんから「神様に会ってみたい?」と問われ、女子児童は「なんとなく会いたくない。もしかしたら、すごく身近な存在かもしれない」と反応。そして、神が身近な存在であるならば、空気かもしれないという考えを導き出した。

考えすぎて分からなくなってしまうこともある

杉原さんは、この日の対話をこう振り返る。

「神がいるのかいないのかという二者択一の議論ではなく、神様はどんな格好をしているのか、身近な石に化けているかもしれないなど、思考が広がっていったところが面白かったと思います。大人だったら考えることに挑戦しないかもしれません。子どもたちの姿は哲学者そのものでした」

子どもたちは「こんなことを言ったら間違いかもしれない」などと恐れはしない。正解を求める様子も見せない。ただただ、自分たちの経験や知識、発想を駆使して自由な対話を展開する。

子どもの哲学対話をファシリテートする杉原あやのさん

対話を見て驚く大人たち

そんな様子を見た大人たちは、一様に驚くという。普段は親に注意される立場にある子どもたちも、対話の場では思考する一人の人間として存在している。さらに、子どもたちが意見の違いはあっても、「共に考えようとする行為」を見せるとき、その姿は多くの大人にとって心に残るのだという。

杉原さん自身が深く考える姿を子どもたちに見せている

では、杉原さんのファシリテートは、どこが違うのだろうか。

「子どもたちは思考する人の姿をほとんど見たことがありません。まず、私が『分からない』ということを引き受け、思考する人間なんだという態度を子どもたちにしっかり見せることを意識しています」

実際、哲学対話の中では、杉原さんは子どもたちによく問いかける。
「どういうことなんだろう?」「それはなぜ?」「どうしてそう思う?」などだ。杉原さんは、子どもたちの考えをもっと知りたいという姿勢を見せている。すると、子どもたちは活発に自分の意見を展開する。

中には、問われると言葉に詰まる子もいる。
「分からない」という素直な言葉にも価値があると杉原さんは考えている。
「なかなか、分からないと言えるものではありません」

哲学対話は、どんな場合にうまく展開できるのだろう。杉原さんは「みんなで考えていく場を作ることを大切にしています。対話では、もっと本当のことや、より正しいことを探していきますが、一人で取り組むのは難しい。質問をしたり、反対の意見を言ったりしながら、みんなで協力していくことによって対話が深まっていきます」と話した。

対話の場を構成する一員に

ある中学校での哲学対話が印象に残っている。

テーマは「詩は消滅したか?」だ。
紙に印刷した詩を持っていき、生徒にその紙をビリビリに破いてもらった。パソコンにあった詩はゴミ箱に捨てた。さて、詩は消滅したのだろうか。

あるクラスでは、「みんなの記憶から消えたら、その詩は消滅する」という意見が大多数だった。

子どもの小さな反応を見逃さずに声をかける

杉原さんは「何かが存在することは記憶に依存するのであれば、存在させているのは私たちの側になる。すると私が世界を存在させていることになる。すごく面白い」と振り返る。

もう一つのクラスでは、「そもそも詩は存在しているのか」という意見が出た。生徒は「自分たちが見ているのは、紙とインク、スクリーンの光だけ。詩というのは読んだときに浮かぶ情景であり、人によって違うので、同じ詩は存在しない」というのだ。そこから様々な意見が出て活発な対話が展開されたという。

哲学対話の試みで、杉原さんが思っているのは「子どもたちの中には、もとから内側から上がってくる感覚がある」ということ。哲学対話を重ねる中で、その感覚に焦点が当たり、ゆっくりと言葉になっていく。そして、対話の場を構成する一員としての実感が子どもたちに育っているという。

次々に手が挙がり、活発な意見が交わされる

大人の知らないところで、子どもたちは思考している。子どもたちは、すでに哲学者のように思考しているのかもしれない。必要なのは、答えを教える大人ではなく、共に不思議がり、共に揺れてくれる伴走者なのだろう。杉原さんが見守る対話の場では、小さな種である子どもたちが芽吹きに向けて、しっかりと対話を重ねていた。きっと新しい価値観の花を咲かせるに違いない。

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