香川県多度津町の会社員、小國聖治さんは、子どもの頃から親しんでいた公園で新品種の桜を発見した。そして今、ふるさとに「桜の街道」を作ることを計画している。賛同者の協力を得て2年間で苗木およそ30本を育成した。「桜の街道」に必要な計100本の苗木育成に向けて、里親を募集中だ。生まれ育った町を「桜で彩りたい」という夢を、地域の人と育てている。

ニックネームは《桜の博士》

《桜の博士》。小國さんは地域の人からこう呼ばれている。

新品種の桜と出会ったのは、2008年ごろ。近所の桃陵公園を散歩中に、特色ある桜に気づいた。

「あの桜、ソメイヨシノじゃないな、と目に入ったんです。人の手で植えたとは思えない斜面に咲いていたので、新品種かもしれないと直感しました」

その後、10年ほど毎年咲き続けていることを確認し、「日本花の会」に鑑定を依頼。2021年5月に新品種と認定された。ヤマザクラとオオシマザクラの交配品種と推定されている。

桃陵公園で咲く桃陵八重桜(右)。ソメイヨシノも咲いており、咲き方の違いがわかる(小國さん提供)

桜の名前は、多度津町による公募で『桃陵八重桜』に決まった。「おそらく、鳥がさくらんぼの種を運んで、あの場所に落としたのでしょうね」と小國さん。自然界の偶然がもたらした新品種の桜。それを発見できた偶然を小國さんは「運命の出会いでした」と表現した。

桃陵八重桜は10枚以上の花びらがあり、咲き始めのピンクから次第に白くなり、散り際は濃いピンクに変化する。小國さんが見つけた原木は、樹齢30年ほどと考えられている。

1キロの桜街道を構想

花びらの枚数が多く、咲き始めから色が変化する桃陵八重桜。多度津町が商標登録した(小國さん提供)

小國さんは「多度津でも新品種の桃陵八重桜を使って活性化できたら」と思い描いた。桜は多度津町の花でもある。ソメイヨシノよりも1週間ほど遅く咲くため、「桜の季節に2回足を運んでもらえる」と期待する。賛同者とともに「桃陵八重桜を育てる会」を作って、苗木を増やしているところだ。

計画によると、JR多度津駅から歴史的な街並みが残る同町本通までの約1キロに、桃陵八重桜の鉢植えを並べて「桜の街道」を作る。けやきの街路樹の隣に、桃陵八重桜の鉢植えを配置するイメージを描く。現存する豪商の家屋として知られる旧合田邸の庭でも、花見ができるよう準備している。

日本遺産にも登録されている旧合田邸。多度津町の歴史的な街並みの一角にある

これから5年ほどかけて桃陵八重桜の鉢植えを増やしていくが、小國さんは地域の人と活動を盛り上げるために、苗木の里親を募ることにした。既に30人ほどの里親が協力しており、その中には地元の高校生もいる。

「まずは、目の届きやすい多度津町内や近郊の家庭に里親をお願いしたいと思っています。難しい作業はなく、水やりとアブラムシなどの駆除をして、枯れないように見守ってほしい」と話した。

賛同者と協力して桜プロジェクトで使う苗木を準備した

里親として苗を育ててもらう期間は2年ほどで、根が十分に張ったら小國さんたちが大きな鉢に植え替えて育成するという。

「桜は樹齢50年くらいが最盛期なので、いまから苗木を育成すれば50年後に最も美しい姿を楽しめます。若い世代の方々にも未来への投資だと思って、お手伝いしてもらえたら嬉しいです」

賛同者と一緒に桜プロジェクトの準備作業をする小國さん(左)

町にもう一度にぎわいを

小國さんの実家は、江戸時代に「こんぴら参り」の参拝客が通っていた旧金毘羅街道沿いにあり、明治時代の終わり頃まで「あん餅」店を営んでいた。砂糖が貴重だった時代に、あん餅は贅沢なスイーツ。お土産として、大勢の参拝客が買い求めていたという。

近所の家屋も町がにぎわっていた頃の面影を感じさせる。旧合田邸や、銭湯のリノベーションで観光スポットになった「芸術喫茶 清水温泉」などがある。

江戸時代に建築した家屋が残る旧中心街で「桜の街道」について語る小國さん

時代の流れとともに地元を離れる人が増え、町の人口は減少傾向が続く。「もう一度、この町がにぎわってほしい」と考える小國さん。

「ふるさとに桜の街道を作る」という夢が花開くのは、2028年ごろの予定だ。

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