事故や病気の後遺症として、記憶障害や失語症などが残る高次脳機能障害。全国に約50万人いるとされるが、障害が目に見えないため、社会の理解不足による辛さを経験することもあるという。香川県高松市の合田仁さんは、広告営業マンだった頃の経験を生かして高次脳機能障害の認知度アップに取り組んでいる。

脳出血で倒れて意識不明に

突然倒れた経緯や高次脳機能障害にまつわる活動について語る合田さん

「リハビリの最中に、『なんで、俺はここにおるん』と周りに聞いたところから記憶があるのですが、倒れた頃の記憶はないんです」

合田さんは広告代理店で営業として勤務していた2015年10月、未明に目が覚めて脳出血で倒れた。別の部屋で寝ていた妻に、携帯電話で「気分が悪いから来て」と知らせた後、意識を失った。家族が救急車で搬送したが、「一生、寝たきりを覚悟してください」と医師に告げられた。

家族が撮影した動画には、病室で食事している合田さんの姿が残っている。しかし、そんな場面もまったく記憶になかった。倒れた日から2か月ほどの意識不明を経て、周囲と会話できるようになっても合田さんの記憶は、まだ戻っていなかった。

脳出血で倒れた背景には、ハードワークと不摂生があったという。健康診断では「このままでは倒れます」と医師に指摘されるほどの高血圧。頭痛にも見舞われ、市販薬を飲んでしのいでいた。「でも当時、医師の言葉を聞く耳は持っていませんでした。仕事が楽しくて、大きな仕事ができる東京に転勤することを楽しみにしていたんです」

奪われてしまった「普通」

しかし、脳出血の後遺症である高次脳機能障害は、合田さんの「普通」を奪った。高松市内の「かがわ総合リハビリテーションセンター」まで毎日リハビリに通い、「生活訓練」「就労移行」の段階を踏む過程で、それを自覚する。人に頼まれた内容を忘れたり、複数の仕事を同時進行するといった「それまで普通にできていたこと」ができなくなっていた。

「リハビリでは、電話番をする場面などをやってみます。『そんなのできる』と思うのですが、実際はできません。私の場合は、特に記憶力が弱くなっていることが分かりました」。記憶力対策として、こまめにメモを取ることを教わって、実行した。

高次脳機能障害の講習会に向けて森川さん(右)と話す合田さん

障害者生活支援センターたかまつの森川麻理所長は「突然の出来事なので、障害を受け入れられない人もいます。実はそれも障害で、病識欠如と言います。そのために必要な支援を受けられないこともあり、広く高次脳機能障害を知ってもらうことが大事です」と話す。

合田さんは「普通」をなくした事実を受け入れて前進した。「早く復帰して仕事がしたいという思いが、辛さを上回っていました。仕事が好きだったんです」。職場の理解もあり、時間をかけて職場復帰を目指すことになった。

リハビリ中、時に焦りを感じる合田さんを家族は「ゆっくりだよ」とサポートした。「リハビリは失敗できるところがいいんです。弱点がわかるので対策もできます。同じ障害で悩んでいる人には、リハビリセンターで失敗することをすすめたいと思います」

職場復帰まで1年8か月を要した。

「知ってもらう」が新たなミッションに

「ぼちぼち」の定例会では、家族や本人が悩みを語り合う(提供)

合田さんは2019年、障害を持つ患者と家族でつくる「かがわ高次脳機能障害友の会ぼちぼち」に入会し、20年から会長を務めている。月1回の定例会は、意見交換や悩みを打ち明ける場だ。活動を通して、頻繁に転職を繰り返すケースや、心ない言葉をかけられた事例を耳にした。「障害を知ってもらうことが出発点になる」と考えるようになった。

合田さんがリハビリに通っていた「かがわ総合リハビリテーションセンター」には高次脳機能障害の相談窓口もある

高次脳機能障害は、交通事故や脳の病気によって起きる。約束を忘れたりミスが増えたりする「記憶・注意障害」や、計画が立てられない「遂行機能障害」、感情のコントロールが難しい「社会的行動障害」といった症状がある。障害者自立支援法(2006年4月施行)に伴い、支援の網から漏れていた対象者もサポートを受けられるようになった。都道府県ごとに相談窓口があり、日常の困りごとサポートを受けられる。

講習会のチラシを持つ合田さん。「多くの人に映画を見てほしい」

古くは1963年の三井三池炭鉱爆発事故で高次脳機能障害の被害が出ており、その実態を描いたドキュメンタリー映画「いのち見つめて 高次脳機能障害と現代社会」(2022年、港健二郎監督)が完成。「ぼちぼち」は11月27日、オンライン参加もできる講習会「高次脳機能障害の理解と支援」で、映画上映会と座談会を開く。参加希望者は「ぼちぼち」のフェイスブックから申し込みできる。

「そういえば倒れる前は、知られていない商品を知ってもらうことが仕事だった」。上映会が決まって合田さんは、そんなことを思った。営業として新商品のPRにも携わり、脳出血で倒れた翌日は、東京に出張してクライアントと商品撮影するはずだった。「いまは高次脳機能障害について知ってもらうことが、新たな仕事になっています」と合田さんは微笑んだ。元気だった頃と今の自分が重なった。

営業サポートの内勤としてパソコンに向かう合田さん

職場では、内勤として勤務を続けている。外回りの苦労話を聞くと「うらやましい」と感じることも。しかし、もう一度かつての仕事に戻りたいかといえば、「それは全然ありません」。脳出血の再発防止を心がけ、慢性的な頭痛もなくなった。妻と二人の子供と夕食を楽しむ毎日だ。

「『神様はいる』と思えるんです。もし、倒れたのが翌日の東京出張中だったら、どんな風に発見してもらえたでしょうか」。そして、家族への感謝を新たにする。

高次脳機能障害を多くの人に伝えるミッションと共に、「新たな普通」を生きる合田さんがいた。

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