香川県高松市の屋島(やしま)といえば、四国では瀬戸内海や高松市街を一望する観光スポット。この8月には山上交流拠点施設「やしまーる」もオープンし、ますますホットなエリアになっている。

その屋島の東側、屋島東町の森の入り口で17年前から養蜂を営んでいる人がいる。井上勲さん80歳。まるでペットのように巣箱の蜜蜂を「うちの子」と呼んで愛情を注ぎ、その魅力を蜂博士のごとく語り続けている。毎年のように近くの小学生に校外学習授業を行い、わかりやすい説明で子どもたちにも人気だ。取材に訪れたときにも、蜜蜂なぞなぞ形式で楽しく説明してくれた。

ひとつ質問すると豊富な蜜蜂知識が湯水のように返ってくる。

「蜜蜂一匹が一生働くとコップ1杯のはちみつを集める。これは◯か×か? はい、答えは×です。一生でティースプーン1杯分くらいしか集められない。だから、さっき舐めたあのスプーン1杯は蜜蜂が一生かけて集めた分なんですよ。貴重でしょう? ちなみに生まれてから死ぬまで寿命はたったの1か月。成虫になって外に出て働くのは10日程度。蜜蜂の一生はこんなに短いんです」
子ども向けのクイズかと思いきや、大人が聞いても答えに「ほぅー」、解説に「ほほぅー」と驚く。クイズ形式で軽妙な語り口のレクチャーが続く。未知なる蜜蜂の世界にすぐに引き込まれてしまう。

巣箱をどこに置くかは蜜蜂目線で考える。蜜蜂が入りたくなるような場所に置く。

「西洋ミツバチは昆虫であるが牛や豚と同じ家畜である。◯か×か? 答えは◯。家畜を管轄する保健所の人も『なんでミツバチが?』って言ってました(笑)。ちなみにもうひとつ、昆虫だけど家畜があるんです、何でしょう? 答えはカイコ。」
軽妙な語りでスラスラと。気がつけば次のなぞなぞを待っている自分がいるほどだ。

 はちみつの旬は初夏。結晶するのは天然の証

はちみつの旬、と聞かれてすぐに答えられる人は少ないだろう。一年中あるイメージが強いが、花が咲く時期に蜜蜂が活発に蜜を集め、その後、蜂の巣にたっぷりのはちみつがしたたる、という順序を想像すれば、おのずと旬があることがイメージできる。

屋島では3月中旬から5月にかけて、桜、アカシア、ヘアリベッチ、ミカンや黄櫨(こうろ=ハゼノキ)などの樹木や野草に花が咲く。井上さんは春先に自宅兼作業場にしている高松市香川町から屋島に巣箱を運び入れ、次々に咲く花の蜜を蜜蜂たちに集めさせる。蜜がいっぱいになった巣箱は再び持ち帰り、5・6月の2か月をかけて順次、遠心分離機にかけて採蜜し、瓶詰めは手作業だ。採蜜からは奥さんも加わり、夫婦二人三脚で作業している。

「秋に新米が出るように、はちみつも新蜜の時期があって、それは初夏なんです」
ちなみに、冬、白く結晶したはちみつを目にすることがある。結晶は天然の証し。40〜50度くらいのぬるま湯にゆっくり浸けておけば溶けて元どおりになるそうだ。

 蜜蜂に出会ったのは20歳のとき

きっかけは大学時代にさかのぼる。大学構内で蜜蜂を飼っている先生から分けてもらい、巣箱5箱で飼い始めた。進路を決める際は教員と自衛隊員のふたつの選択肢があったが、自衛隊でフライトエンジニアとして活躍した。

「蜜蜂を飼いながら教員生活もいいな、と思ったんですけどね」

蜜蜂とはいったんお別れ。そして定年後に、大好きだった蜜蜂を再び飼い始め今に至っている。
「17年前からは井上養蜂園の看板を掲げて、業として本格的にやっています」

 

巣箱から取り出した蜂の巣1枚を取り出して見せてくれた。

蜜がいっぱいになると蜂がミツロウで蓋をする。これはまだ蓋をする前の蜜を集めている途中の巣。精緻なハニカム(=蜂の巣)構造が美しい。

「養蜂業というのは空中農業とも呼ばれ、巣箱を置くわずかな土地で周囲の空中圏を使った農業なんです。屋島は私のものではありませんが、養蜂業者の調整会議で空中圏は私が養蜂をさせてもらっている、うちの蜜蜂が働く所。私は地上でそれをコントロールしているというわけです」

現役時代はフライトエンジニアとして自身が空を飛び、今度はかわいい蜜蜂に屋島の空を飛ばせて蜜を集める。空中を飛ぶことに縁の深い人生だ。

「何を望んでいるか」いつも蜜蜂目線で考える

20歳で出会って60年。蜜蜂の何がそこまで井上さんを魅了するのか聞いてみた。
「ただ、好きなだけですよ。蜂は生活の糧であり、趣味でもある。仕事が趣味みたいに楽しい。好きなことをやってお金がもらえるなんて、いちばん幸せなことだと思うんです。蜜蜂のためなら、何か厳しいことが起きも全然苦にならない。小さな子どもがいっぱいいるようなものだからね、楽しい(笑)」
目を細めながらそう話す井上さんは、本当に幸せそうだ。

「でもね、犬や猫と違って、どんなにこちらが愛情を注いでも、一向になつくことはないんですよね。『ありがとう』のしぐさのひとつもないどころか、ときには刺してくる」
取材をしたこのときも、作業中に刺されたが、涼しい笑顔。蜜蜂に刺されることに慣れていることにも驚いた。

蜂に刺されても冷静。「針は蜂の体内から毒の袋ごと抜けて、蜂の体を離れたあともポンプのように自動的に毒を送り続けるんです。蜂は死にます」

屋島のはちみつの年間生産量は、現在は2トン程度。屋島の貴重な特産品だ。屋島山上のカフェ「れいがん茶屋」では、ピザやスイーツなど、いろいろメニューに屋島のはちみつを使っている。隣接する土産物店は県内数か所の取り扱い店のなかでも、「桜蜜」や「アカシア蜜」などとくに種類豊富に取り揃えているという。

れいがん茶屋では品揃え豊富にいろいろな種類のはちみつが並ぶ。写真はれいがん茶屋提供

れいがん茶屋のメニュー「屋島のはちみつクロワッサンワッフル」。ほかにもいろいろな料理に使われている。写真はれいがん茶屋提供

「うちのはちみつを使った商品には『屋島のはちみつ◯◯』というふうに、名称を入れてもらっているんです。蜜蜂たちが短い命で丹精込めて集めたはちみつですからね」
井上さんの元を巣立ったあともずっと見守っている。まさに親の姿だった。

この記事の写真一覧はこちら