イタリア菓子と聞いて、多くの人はティラミスを思い浮かべるかもしれない。しかし、イタリアの郷土菓子にはビスコッティやクロスタータをはじめ、数々の焼き菓子がある。日本ではまだあまり知られていないそれらの魅力にどっぷりとはまったのが、イタリア菓子職人の土井敬子(のりこ)さんだ。

岡山県出身の敬子さんは大学卒業後、飲食業の道へ。ソムリエやコック、サービススタッフとしてマルチに活躍していた彼女は、あるイタリア菓子との出会いをきっかけにイタリア菓子職人となった。日本人にも「イタリア菓子をもっと身近なものにしたい」と話す彼女に、イタリア菓子との出会いやその面白さについて尋ねた。

イタリア郷土菓子”シチリア風アーモンドビスコッティ”。赤と緑のドレンチェリーが目を引く可愛らしいお菓子。独特の食感がくせになる。

イタリア菓子と出会うまで

地元の高校を卒業後、関東の国立大学で国際関係学を学んでいた敬子さん。入学時は「発展途上国支援がしたい」という夢を描いていたものの、就職活動を目の前に「自分に何ができるのか分からなくなった」という。

答えが見えにくい学問を勉強する中、飲食業は魅力的に映った。

学生時代は洋食店の厨房でアルバイトをしていた。良い仕事をしたら、お客様から良いリアクションが返ってくる。そんなレスポンスの速さにやりがいと魅力を感じていた敬子さんは、意を決して大学を1年間休学し、調理の専門学校へ通った。

1年後、「やっぱり自分には飲食業が合っている」と感じた敬子さん。もう迷いはなかった。

新卒で働き始めたのは、南イタリア料理とナポリピッツァの店。3年間、サービススタッフとして接客をしたり、コックとしてドルチェなどを作ったりした。ワイン好きが高じて、ソムリエの資格も取得した。

ワインショップ勤務を経て、ピッツァの名店でソムリエ兼サービス、そしてドルチェ担当として働いていたときのこと。知り合いが営むレストランのウェブサイトに突然、見たこともないイタリア菓子の写真がたくさん掲載された。「このお菓子は何?」「どんな人が作っているの?」居ても立ってもいられなくなった敬子さんは、すぐにそのレストランを訪れた。

師匠の岩本彬さん。憧れの師匠と2017年にイタリア郷土菓子イベントを開催したときの一枚。

出迎えてくれたのは、後に敬子さんが師匠と仰ぐ、イタリア菓子職人の岩本彬さん。それまでティラミスやパンナコッタといった生菓子をメインに作っていた敬子さんは、彼が作る焼き菓子に心を奪われた。特に、ズッケリーニ・モンタナ―リを初めて食べたときの衝撃は今でも忘れない。

”山のお菓子”は敬子さんの原点。エミリア-ロマーニャ州にある田舎町発祥で、イタリア菓子の中ではかなりマニアックなものだという。

イタリア語で“山のお菓子”を意味するズッケリーニ・モンタナーリは、イタリア北部の山間にある田舎町の郷土菓子。アニスシードがふんだんに使われ、一口食べると口いっぱいにアニスシードの甘い香りが広がる。しかし食べ終わる頃には爽やかさすら感じる、他には例えようもないほど独特で魅力的なお菓子だ。

「これを食べたときに、岩本さんの弟子になりたい!イタリア菓子をもっと勉強したい!と思ったんです」

“自分のイタリア”をつくりたい

師匠の岩本さんから教わったレシピを参考に、お菓子作りに励んでいたという敬子さん。しかし、「このお菓子を“自分のもの”にするには、自ら現地へ行ってお菓子を食べたり教わったりしなくては」という思いが次第に湧いてきた。師匠を通してしか見えていなかったイタリアの景色を自分の目で見るために単身イタリアへ渡り、北から南まで2か月かけて巡った。

知り合いのツテを使い、ホテルの菓子職人や郷土菓子作りが上手なおばあちゃんから手ほどきを受けた。現地の人は皆とても優しく、自分が求めていることを明確に伝えさえすれば、全力で応援してくれたという。空き時間はひたすら郷土菓子を食べ歩き、現地の味を自分の舌に記憶させた。

イタリア郷土菓子”ミモザケーキ”。ミモザの花に見立てた角切りスポンジの下には、優しい甘さのカスタードクリームが。

イタリアで日本以上に色濃く感じたのが、それぞれの土地の「地域性」。北と南ではもちろん、隣接州同士でも片方の州にしか存在しなかったり、同じ名前なのに見た目や味が異なったりするなど、郷土菓子の面白さや奥深さに触れた。一つ一つのお菓子にストーリーがあり、知れば知るほど興味が増したという。

イタリア郷土菓子”タラッリ・アル・ヴィーノ”。ドーナツ型のビスコッティ。甘いもののほかに、しょっぱいものも。

イタリア菓子は見た目の華やかさこそ、他のお菓子に劣るかもしれない。しかし一口食べると、良い意味で期待を裏切られる。どこか懐かしさすら感じ、もう1口、もう1口と自然に手が伸びる。素朴な見た目からは想像できない、奥深い味わいがあるのがイタリア郷土菓子の魅力だ。

イタリア郷土菓子”ヨーグルトのトルタ”。油脂にヨーグルトを使用し、素朴で懐かしい味わいの一品。師匠に教わったお菓子の1つ。

日常の中にイタリア菓子を

帰国してから現在に至るまで、敬子さんは京王井の頭線・富士見ヶ丘駅近くにあるイタリアン「furo(フウロ)」で働いている。店頭に並ぶのは、敬子さんが心を込めて作った焼き菓子たち。これらのお菓子を身近に感じている近所の子どもたちが、母親に買ってとおねだりする姿を見るのは大きな喜びだ。

昨年、オープン10周年を迎えたfuro。幅広い世代の住民に愛されている。

敬子さんは決して、イタリア菓子を特別な存在にしたいわけではない。

「イタリア菓子だから買うのではなく、純粋においしいと思って買うお菓子がイタリア菓子、というくらいイタリア菓子が身近な存在になるのが理想です」

お店に入ってすぐ右手に並ぶイタリア菓子。固定のファンがいるお菓子も。

多くの人にイタリア菓子を知ってもらうための地道な活動も欠かさない。現在は、レストランやワインバーに自作のお菓子を卸しているほか、チョコレートやコーヒーの専門店とコラボ商品を作って、出張営業も行っている。2021年の父の日に開いた親子お菓子教室は、とても好評だった。

千葉県稲毛市のコーヒー専門店「ROUPEMAP COFFEE ROASTERS」とのコラボ商品。コーヒーを使ったビスコッティ。

将来的にはECサイトを通じて、自分の作るイタリア菓子を全国の人に届けたいと語る敬子さん。

「地元岡山の人にも食べてもらい、イタリア菓子を身近に感じてもらえたら嬉しいですね」

furoのオーナーシェフ、野村有希さんと。

この記事の写真一覧はこちら