書道か絵画か、見る人に強烈なインパクトを与え、何かを問いかける。香川県在住のアーティスト、郷祥(ごうしょう)さんの作品には、侘び寂びや余白の美といった、日本人が誇る独自の感性が書という枠組みを超えて映し出されています。2月20日から高松市で開かれている個展に合わせ、郷祥さんに話を聞きました。

書は自分らしく生きるために必要なもの

郷祥さんにとって、昔から書は精神統一をするために欠かせないものだったそう。幼い頃から書に親しんできたこともあり、大学進学の際には書道科への道も考えたそうですが、“芸術で食べていくのは難しい”という周囲の声もあり、総合大学へ進みます。

社会人になっても、余暇を見つけては書道を続けていました。職場でやりがいのある大きな仕事を任され充実した日々を送るも、「もっと自分にしかできないものを突き詰めたい」という気持ちが強くなっていったといいます。そして、その自分にしかできないことは、“書”ではないかと考えるように。それから2年間編入という形で学校に通い、師範免許を取得しました。

しかし、書道の世界に身を置いてまもなく、行き詰まりを感じるようになります。書道はお手本という絶対的な美の基準がある世界。しかも、白い紙に墨で書くモノクロの世界が常識。そこにオリジナリティを表現することはできないのかもしれない。そんな現実を目の当たりにしながらも、芸術家として書の道を歩みたいと考えていた郷祥さんは、これまでのセオリーにとらわれず、書道を「より身近に、より芸術的に、より国際的に」することを目指し、書道家・アーティストとして活動していくことを心に決めます。

前回好評だった個展「書は語りかける」でパフォーマンスを披露する郷祥さん。

「書道一筋で生きてきた人と違い、私の場合、総合大学を出て社会人を経験しながら書道家になったという経歴もあってすでに異端児。だったらアウトサイダーという位置付けで、もっと自由に書と向き合い、表現していけるのではと思えるようになったんです」

「書く」から「描く」へ

はじめに取り組んだのは「書の立体化」でした。墨と蝋を混ぜて書く、蝋墨(ろうぼく)という技法を使い、書を立体的に表現しました。

「絆」という作品は海を渡り、日本とスペインのアーティストによる国際交流展「アートメゾン・ビエンナーレ」に日本代表として出品。そこでは郷祥さんの狙い通り、書を絵画として扱ってくれました。また、国際的な芸術家の証となるA.M.S.Cスペイン本部芸術家会員にも推挙されました。そして、このスペインでの評価を持ち帰ると、日本での認知度は高まっていきました。

日本人は「どうやって書くの?」という質問が多いのに対し、海外の人は「なぜこれを書こうと思ったか」という核心に迫る質問が多く寄せられるそう。

次に挑戦したのが脱モノクロ。西洋発祥のアルコールインクアートに、東洋発祥の書を組み合わせることで、色鮮やかな書を表現したのです。

ほかにも額装を工夫して光を当てて影を作り出すなど、「相反する二面性の共存」をコンセプトに書の概念にとらわれない、新しい試みに挑戦し続けました。

そして後に誕生したのが、郷祥さんが墨跡画(ぼくせきが)と呼ぶ、前衛的な書です。文字を書かない書は、墨跡という書道における重要なエッセンスだけが抽出されたもの。余白の美が際立ち、侘び寂びといった日本の精神性を象徴的に表現しています。

再現したい墨跡を追求するため墨は市販のものを使わず、墨の調達から調合まですべて郷祥さんが行なっています。

書を絵画として見せようとした場合、とくに日本人は、漢字の意味から表現の意図を探ってしまいがちです。しかし、郷祥さんの墨跡画は文字ではないため、見る人の感じ方によって、いかようにも解釈が広がっていくのです。

まるで絵画のような作品。

書を自由に表現する芸術として

最近では、自身を墨跡画家・アーティストと位置付けている郷祥さん。今後のビジョンは、「SNSや個展、メディアなどを通じて、書を文化ではなく、誰もが認める芸術へと昇華して、国内外に広めていくこと」です。

「今世界はあらゆるものに溢れていますが、日本の精神性には無駄を削ぎ落とした本質があるように思います。こういう日本の誇れる文化を、作品を通して発信できればいいですね。そして、見る人に、本質を考えるきっかけを提供できればうれしいです。書が文化として守られるものではなく、日本を守る芸術に昇華させていくこと。それができれば、日本は世界からより魅力的に見えると思います」

お手本通りに書くことを求められる書の文化から、自由に表現する芸術へ。見る人の数だけ解釈が広がる郷祥さんの作品に触れてみませんか。郷祥さんの個展は2月27日まで、高松市香西本町のグリュックにて開かれています。

開催中(2月27日まで)の個展の様子

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