「黒田ニンジン」や「桃太郎トマト」などブランド野菜や水菜、ナス、ピーマン。日本で品種開発された種、または日本式の栽培方法で作る野菜がインドネシア人富裕層の間で人気です。これは国際協力機構(JICA)のプロジェクトの一つで、2016年からインドネシア西ジャワ州を舞台に、日本式野菜の普及や物流システムの改善を支援するというもの。岡山県出身で国際NGO・AMDA社会開発機構(AMDA-MINDS)の梶田未央さんもプロジェクトメンバーとして当初から参加しています。日本に一時帰国中、日本式野菜の人気の秘密やプロジェクトについて話を聞きました。

品質に厳しくなった消費者の目

「今、首都ジャカルタ近郊にはイオンモールが4つもあります。丸亀製麺や大戸屋、IKEAなど、日本でもお馴染みの企業が多数進出し、国民全体の生活水準が豊かになっていることを実感します」と梶田さんは話します。
特にジャカルタでは中高所得者層が増加し、消費者の嗜好が多様化。鮮度はもちろん、食の安全や品質にも関心が向けられるようになったといいます。

そこでスタートしたのが「官民協力による農作物流通システム改善プロジェクト」。インドネシア農業省をカウンターパートとして、ジャカルタ近郊の小・中規模農家約1000軒を対象に日本式野菜の作り方を指導。プロジェクトは2025年まで段階的に続き、農家とバイヤーをマッチングするなど販路拡大まで支援します。

農村部で日本式野菜の作り方を説明するプロジェクト専門家(提供:梶田さん)

徳島大学で国際政治学を学んだ梶田さん。

「実は大学4年時、単位がわずかに足りず留年しました。ずっと徳島にいる必要はなかったので、担当教官の勧めで、AMDAのインターンとして2か月、内戦状態だったスリランカに行きました。これが初めての海外。海外で多様な人たちと一緒に仕事をする楽しさを感じるのと同時に、片言の英語しか話せず悔しい思いもしました」
その後、2005年、梶田さんはAMDAに入職。07年には、AMDAから中長期の開発支援事業を引き継いだAMDA-MINDSへ移籍しました。仕事をこなす中で、独学で英語やインドネシア語を習得し、現地のスタッフらともスムーズに意思疎通できるようになりました。

梶田さんは海外事業運営本部のプログラムコーディネーターとして、ベトナムやホンジュラス、ガーナでも経験を積みました。「インドネシアは通算10年。スマトラ島沖大地震で被災したアチェでは子どもの心のケアを実施するプロジェクト、南スラウェシ州マカッサルでは酪農プロジェクトに携わりました。イスラム教の戒律が厳しいアチェ、華僑が多数住むマカッサルなど、インドネシアは多様な人々が暮らしていて興味が尽きません」と島嶼国家・インドネシアの魅力を話します。

西ジャワ州スカブミ県の農家と梶田さん(左から2人目)らスタッフ(提供:梶田さん)

梶田さんの仕事は主にプロジェクトの後方支援で、総務、労務、会計、調達、広報など多岐にわたります。広報活動では、「日・ASEAN食料・農業友好親善大使」を務める元JKT48のメロディー・ヌランダニ・ラクサニさんをインゲン農家に案内したこともあるそう。

日本で特許切れた「黒田ニンジン」に着目

日本式野菜プロジェクトについて聞きました。

「ニンジンの例では、これまで地元農家が作っていたのは芯が黄色の細長い品種。プロジェクトでは日本で特許が切れた黒田ニンジンに着目して、栽培を開始しました。栄養価が高く可食部が多いほか、サラダやジュースなど生でもおいしく食べられる品種というのが特徴です」
苦労したポイントとして、正式な手続きを経て種子を持ち込むために、インドネシアの農業省種子局に何度も掛け合い、輸入のサポートを行ったところだといいます。

芯まで栄養が豊富な黒田ニンジン(左)と芯が黄色くなってしまうローカルのニンジン(提供:梶田さん)

同時に日本式の栽培管理も徹底しました。農薬の使用を制限して減農薬を実現したほか、ニンジンの大きさや形を揃えるために、視覚的に分かりやすいパネルを使って規格を統一。また、収穫したニンジンを洗う機械を試験的に導入しました。

梶田さんが作成したパネルを使って、収穫したニンジンの規格を統一する農家(提供:梶田さん)

機械導入後、100キロのニンジンを洗うのに、手洗いで2時間かかっていたものが、わずか10分に短縮。薄皮が剥けて、日本と遜色ないきれいなニンジンに仕上がるようになりました。

「現地の大手スーパーマーケットのバイヤー基準も格段に上がっています。大きさや品質を揃えるのはもちろん、細かいヒゲを取り除かなくては規格外になります」
出荷された黒田ニンジンは、インドネシアのイオンモールや日本食スーパーにも並び、少し割高でも高品質のニンジンを求める消費者のもとへ届けられました。

イオンモールのスーパーに並んだ「黒田ニンジン」。一袋に5、6本入りで25800ルピア(当時のレートで約230円程度)で販売されました(提供:梶田さん)

相手のプライドを考えた援助のあり方

「これまでローカルマーケットにキロ単位で出荷していたのが、品質が向上したことで、近代的なマーケットで高値で売れるようになりました。最初は日本式の栽培方法をいぶかしむ人もいましたが、実際に野菜が高く売れることがわかると、参加する農家が増えました。何より所得が向上しますし、販路が広がることでやりがいを感じられるようになったと思います」と梶田さんは話します。

農家とバイヤーのマッチングイベントも開催(提供:梶田さん)

今後の目標は、栽培に適した環境や気候を考慮した“産地形成”を行い、栽培時期をずらしてマーケットに安定的に供給すること。
「AMDAグループが大切にしている考えに『人道援助の三原則』という言葉があります。その中に、『誰でも他人の役に立ちたい気持ちがある』。『この気持ちの前には国境、民族、宗教、文化等の壁はない』という考え方があります。いつも忘れないようにしているのは、一方的に援助をするのではなく、相手のプライドを大切にしながらプログラムを進めるということです」と梶田さんは話します。

安心・安全で高品質な日本の野菜。インドネシアを訪れた際、スーパーで日本式野菜を探してみるのも楽しみですね。

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