25歳のときに、悪性リンパ腫という血液のがんの一つである「ホジキンリンパ腫」と診断されたかな(@kananan_95)さんは、つらい治療に向き合い寛解します。その後、結婚して出産しますが、あるとき胸にしこりを感じ「乳がん」と診断されました。
現在、悪性リンパ腫への再発の恐怖や心配を抱えながらも、子育てをしながら乳がんの治療をしています。そこでかなさんに話を聞きました。
※ホジキンリンパ腫…白血球の中のリンパ球ががん化する悪性リンパ腫の種類の1つ
「ホジキンリンパ腫」と診断、そして抗がん剤の開始
2020年春、コロナ禍の時期にかなさんは38〜39℃の原因不明の高熱に見舞われ、5日ほど発熱が続きました。コロナ検査は陰性。その後、7月ごろに首元を触った際、左側の首と鎖骨付近に押すと痛むしこりが2〜3個あるのに気づき、病院を受診します。
医師から「血液内科を受診するように」と紹介状を渡され、9月初旬に紹介先の病院へ。血液検査に異常はありませんでしたが、エコーでは左頚部と鎖骨に最大3cmほどのリンパ腫瘤が複数確認されました。原因は特定できず、2週間ごとの経過観察が続きます。
しかし10月には体調が急激に悪化。なかなか回復しない状況に不安を覚え、生検を強く希望しました。そして体調不良が始まってから約8ヶ月後の2020年12月「ホジキンリンパ腫」と診断されます。
※生検…病変の組織の一部を採取し、顕微鏡で詳しく調べて病気の診断をつける検査
通院と検査だけが続き、原因が分からないままの時期には、偶然見つけた悪性リンパ腫のブログが頭をよぎり「もしかしたら自分も…」と感じることもありました。それでも実際に告知された瞬間は、強い衝撃を受けたといいます。


抗がん剤治療が始まると、副作用は重く、一週間ほど高熱や粘膜障害、扁桃腺炎、吐き気などが続きました。髪が少しずつ抜けていく現実もつらく、洗髪やドライヤーのたびに変化を実感し、涙がこぼれる日もあったそうです。

治療中はクリスマスから年末年始まで入院が続き、面会もできない状況でしたが、患者支援カウンセラーとの出会いが心の支えになりました。退院して自宅療養と通院治療に切り替わってからは気持ちも前向きになり「今しかできないおしゃれ」としてウィッグを楽しめるようになったと話しています。
結婚、そして妊娠、出産
悪性リンパ腫は2021年の9月の終わりに寛解し、かなさんは2022年の4月に結婚。

主治医と相談のうえ、悪性リンパ腫が寛解し、寛解から一年後の検査を無事に終えたら妊娠を考える方針にしていたかなさん。医師の判断も後押しとなり、その一年後に無事授かることができました。
さらに「寛解状態であれば、一般の妊婦さんと同じように考えて大丈夫」と主治医から説明を受け、希望していた自宅近くの産院で出産することに。悪阻はあったものの、抗がん剤治療の吐き気に比べれば乗り越えられる程度で、妊娠中は「2年前の闘病が嘘のように」健康に過ごせました。
とはいえ、悪性リンパ腫は医学的に“完治”という表現を使わず、一定期間の経過観察が必要とされる病気。そのため、順調な妊娠生活のなかでも、再発への不安は心のどこかにありました。
悪性リンパ腫寛解から3年後「乳がん」に…
悪性リンパ腫は2021年9月末に寛解しましたが、寛解から3年目、胸にしこりを見つけたかなさんは乳腺科で検査を受け、乳がんと診断されました。
診断を受けたとき、2〜3分ほど大泣きしたそうです。その後は「子どもはいるけれど2人目を考えているので、妊孕性温存可能な施設で治療を」と伝え、淡々と治療方針を聞くかなさん。
「この気持ちの切り替えには自分でも驚きました」と話しています。
5年前の悪性リンパ腫で抜けた髪は、ロングにまで伸びていました。再び抗がん剤で失うことに最初は戸惑いますが、ヘアドネーションでショートヘアにしたり新しいウィッグを用意したり、前回の経験を生かして「髪はいずれまた生える!」と前向きに過ごせたといいます。

旦那さんは今回の治療では一緒に坊主になると決めていました。最初にかなさんの髪の毛をバリカンで坊主にしてから、予告もなく自分の髪の毛を刈り始めたそう。
旦那さんは「悪性リンパ腫や乳がんになったから、見た目の変化があるからといって今までの妻が妻でなくなるわけではないし、僕自身が妻の病気を意識することはありません。大事な人には変わりないので、本人がつらいときにはしっかりサポートする。ただそれだけです」と明かしてくれました。
困っている人に手を差し伸べたい
かなさんは、ホジキンリンパ腫の患者数がとにかく少ないこと、若いがん患者が周りにいないこと、診断前にがん患者さんのブログが参考になったことなどから「自分も情報発信して誰かと情報交換したい、困っている人がいれば手を差し伸べたい」と思い、SNSで発信を開始しました。
現在は乳がん治療と育児で手いっぱいのかなさんですが、落ち着いたら、若い世代のがん患者をサポートする活動や、自作のケア帽子の販売なども考えています。
現実的な目標は第2子の出産。乳がんがわかる前に2人目妊活をしており、2回の流産も経験していました。
かなさんは「ホルモン陽性がんなので、全摘手術・抗がん剤後に10年のホルモン療法を最初に2年治療し、9ヶ月休薬したのちに凍結した受精卵を戻して妊娠、出産後残りの8年の治療を続ける計画は乳がん治療前から決まっていたことです。悪性リンパ腫も乳がんも経験したけれど、子どもを授かった前例を作りたい。同じようなケースは多くないと思います」と語ります。
若い世代でがんになった場合、妊娠や出産に不安を抱く人も多いでしょう。2つのがんを経験し、治療と子育てを両立しているかなさんの発信は、同じ境遇にある人たちに希望と勇気を与えてくれます。

