骨肉腫は、100万人に1人といわれる希少ながんで、骨にできる悪性腫瘍のひとつです。
高校2年生の16歳という若さで骨肉腫が見つかったみやび(@miyabi_udenashi)さんは、右腕の一部を取り除き、抗がん剤治療など想像を絶する闘病生活を経験しました。留年を経験しながらも「もう一度高校生活を送りたい」と受験に挑戦し、合格します。
みやびさんに、闘病生活のことや、もう一度高校生活を送りたいと思ったきっかけについて聞きました。
右腕を切断すると言われ…
みやびさんが最初に気づいた異変は、右腕の痛みでした。しかし、部活動や学校が忙しかったため、単なる筋肉痛だと思い、深刻にはとらえていませんでした。
ところがある日、夜中に激痛で目が覚めます。
「やはりおかしい…」と感じ、複数の病院へ行きますが、原因が特定できませんでした。最終的には自宅から車で1時間ほど離れた大きな病院でレントゲン撮影を行い、その結果「骨肉腫」と診断されます。

さらに、担当の医師からは「右腕を切断する」といわれたのです。

骨肉腫であることがわかったときみやびさんは「まさか自分ががんになるなんて思っていなかった」といいます。
「本当にドラマや漫画の架空シーンを見ているようで、とても自分事とは思えないまま、治療や手術が進んだので事実に気持ちが追いつかず…『明日や未来があるのか』『学校に戻れる日は来るのか』と不安を抱えていました。」
そこから、みやびさんの闘病生活が始まります。
留年が決まってしまい…
闘病生活の中で最もつらかったことは、抗がん剤治療の副作用でした。1日に数十回も嘔吐を繰り返し、固形物を口にすることができなくなったため、食事はすべてミキサーにかけたものをチューブで摂取することに。また、髪の毛が抜け落ちてしまうなど、身体的にも精神的にも大変な苦しみを経験しました。
当時高校2年生だったみやびさんには、学校生活にも大きな影響が出ます。感染症のリスクによって他の人との接触が制限されるため、体育の授業への参加はできません。また、通学の際にも満員電車を避けなければなりませんでした。

みやびさんは思うように学校へ通えず、友人にも会えない日々を過ごします。 さらに通学が困難となり、留年も確定。そのときは深く傷つき、家出をして野宿をしたり、心を許せる友人の家に泊めてもらったりしたと話します。
街中を歩いているときも、ごく普通の日常を送っている同世代のを見るたびに「いいな~」と、すべての人がうらやましくなり、自身の境遇に深い絶望感を抱えていました。

それでも、みやびさんの心には「やっぱり、いいなと思うなら、もう一度学校に行けばいいじゃないか」という思いが芽生えていきました。
「もう一度、高校生活をやり直したい」その強い気持ちから、再び受験に挑戦。
そして見事合格。2度の留年を経て、3度目の高校生活がいよいよ始まったのです。
少しでも誰かに勇気や元気を届けたい
みやびさんがYouTubeを始めたのは、入院中に動画投稿している方にとても勇気と元気をもらったこと、そして幼いときから特撮番組のヒーローに憧れていたため、自分もそんなふうになりたい、誰かに少しでも誰かに勇気や元気を届けたいと思ったことがきっかけでした。
「どんな状況でも自分自身を信じて、自分の好きなことややりたいことを諦めず、前向きな気持ちになってほしいです!」
右肩の骨と筋肉と関節を取り除いたことでハンデを持ったみやびさんは「ハンデを抱えた人が挑戦する姿は、人の心に強く訴える力を持っています。だからこそ、それをマイナスではなく“自分だけの個性”として受け入れたい」と話していました。

今後について、このように語ります。
「再発や再手術は正直怖いですが、何事にも目の前のことを全力で楽しんでいます。もっとたくさんの苦労を積んで、今よりも多くの人に前向きになってもらいたいです。そして幼いときに憧れたヒーローに少しずつ近づけたら嬉しいです!」
みやびさんが語った「ごく普通の日常がうらやましかった」という言葉は、当たり前に過ごせることの尊さを改めて気づかせてくれました。
そして、逆境に立ち向かうその姿は、人の強さや希望を私たちに教えてくれているようです。

