首がすわらない娘に違和感。 その後、判明した病に…母「頭が真っ白になった」15年後の現在、前向きに活動する母の強い思いに迫る

首がすわらない娘に違和感。 その後、判明した病に…母「頭が真っ白になった」15年後の現在、前向きに活動する母の強い思いに迫る
病気がわかった日(加藤さんより提供)

障がいのある子が生まれても、誰もが希望を持ち続けられる社会を目指して、さまざまなプロジェクトを推進している社会調律家・加藤さくらさん。
嚥下障害のある子どものためのコミュニティ「スナック都ろ美」の立ち上げにも携わり、最近では2冊目の著書『障害のある子が生まれても。』が出版されました。

こうした活動の原点には、加藤さんの次女・真心(まこ)さんが「福山型先天性筋ジストロフィー」という難病と診断された経験があります。今回は、真心さんの診断当時のことや、これまでの取り組みについて話を伺いました。

生後9ヶ月で「福山型先天性筋ジストロフィー」と診断

加藤さんと真心さん(加藤さんより提供)

生後9ヶ月、「福山型先天性筋ジストロフィー」と診断された真心さん。
真心さんは、元気でニコニコとよく笑う健康的な赤ちゃんでした。しかし、生後3〜4ヶ月を過ぎても首がすわらず、寝返りもせず、筋力も弱く、明らかに発達の遅れを感じていたといいます。

そこで生後6ヶ月のとき、発達の遅れが気になり、街のクリニックで健診を受けたところ、大きな病院での診察を勧められました。血液検査やMRIなどの検査を経て「筋ジストロフィーの疑い」と診断されます。

その後、症例数の多い女子医大を紹介され、精密検査の結果「福山型先天性筋ジストロフィー」との確定診断を受けました。

幼少期の真心さん(加藤さんより提供)

診断を受けたときの心境

診断直後の加藤さんは「真心の予後がまったく想像できず、ショックというよりも、何が起きたのか分からないほど頭が真っ白になった」と振り返ります。筋ジストロフィーという病名は、ドラマやドキュメンタリーで聞いたことはあったものの、自分とは無関係だと思っていました。

当時、真心さんはまだ生後6ヶ月。
「まさかこの子が重い病気を抱えているなんて…」と信じられず、心の中で「うそだ」と現実逃避していたとも話します。

診断を受けたその日、病室に戻ってから携帯で病気について調べはじめ、少しずつその重大さを理解していった加藤さん。それでもなお「きっと何かの間違いだ」と自分に言い聞かせていたそうです。

確定診断を受けた生後9ヶ月までの間「間違いであってほしい」と願い続け、現実的な準備や対策をまったくしていなかったと当時を振り返ります。

好奇心旺盛な真心さん

真心さんは「生まれつき立ったり歩いたりできる筋力はない」と言われていました。実際、歩行はできませんでしたが、3歳には座位を保てるようになり、上肢もほぼ自由に動かせていて、食事や遊びも自分でこなしていたといいます。

しかし小学校低学年になると、上肢の筋力も弱くなり、自走用の車いすから電動車いすへ移行。現在15歳の真心さんは、全身の筋力が低下し、座位の保持や上肢の動作が難しくなったため、日常生活すべてに介助が必要となっています。

それでも、真心さんの心はとても自由で好奇心旺盛。「ここに行きたい」「これをやりたい」と次々にアイデアが浮かんでくるそうです。

加藤さんは「そのリクエストが数分おきに届くので、自分で動けたらもっと助かるのに…と思うこともあり、正直、疲れを感じる瞬間もあります」と率直な気持ちを打ち明けてくれました。

空港での真心さん(加藤さんより提供)

加藤さん一家が大切にしているのは、真心さんのリズムを尊重しつつ、家族それぞれのペースも守ることです。高校3年生のお姉さんには、無理のない範囲でお世話をお願いし、「一緒にいたくないときは遠慮なく『NO』と言える関係性」を何より重視しています。

加藤さん夫妻も日常的には真心さんに合わせることが多いものの、数か月に一度は「レスパイト入院」を利用し、睡眠や生活リズムを整える時間を意識的に確保しています。

※レスパイト入院…医療的管理が必要な人が在宅で療養している状況において、介護者(家族)が一時的に休息やリフレッシュできる機会を目的として、短期間入院する制度。

加藤さんと真心さん(加藤さんより提供)

家族会の立ち上げが、活動の原点に

加藤さんが障がい児家庭への支援に乗り出すきっかけになったのは、福山型筋ジストロフィーに特化した家族会を立ち上げたことでした。筋ジストロフィー協会はあっても、同じタイプの症状や悩みを共有できる場がなかったため、同年代の子どもを育てる家族同士でコアメンバーを組み、交流と情報交換のための場を作ったのです。

診断を受けた当初、加藤さん夫妻は治療法がない現実に戸惑いを抱えていました。

しかし、真心さんとの日常の中で「こんな支援があれば助かる」「こうすればもっと過ごしやすくなる」と感じたアイデアを少しずつ形にしていくうちに仲間が増え、「ひとりではない」と実感できるようになりました。

その経験を通じて、加藤さんは「障がいとともにあっても、工夫すれば生活は広がる」と考えられるようになり、「悲観だけで立ち止まる必要はない」と前向きに捉えられるようになったといいます。

「視点が変わったことで、私自身の人生も豊かになりました。以前は孤独や閉塞感を覚えることもありましたが、今では気持ちを切り替え、必要ならとことん悩んだうえで、“さあ、動こう!”と思えるようになりました。仲間とのつながりが、前へ進む原動力になっています」と、加藤さんは笑顔で語ってくれました。

家族の「やりたいこと」は止まらない

「大変なこともストレスも多いですが、“どうしたら心地よく生活できるか”を軸にすれば、家族それぞれが自分の人生をデザインできると思います」と話す加藤さん。

そして、真心さんから学んだのは「やりたいことをやっていいんだ」ということ。

福山型先天性筋ジストロフィーは進行性の病気で、できていたことができなくなることもありますが、真心さんは「やりたいこと」への思いがとても強く、それを何度でもしつこいほど伝えてくれるそうです。

「忍耐力が本当にすごいなと思います。そして、生まれたときからずっと、とても幸せそうに生きています」と加藤さん。

「だから心配はしていません。これまで通り、目・指など非言語のコミュニケーションで思いを伝え、やりたいことをやって、周囲との関わりを楽しんでいってくれたら。それだけで十分です」

そして、これからも…

真心さんは、これまでに10回以上も大好きな沖縄へ行っており「やりたいことを叶えるプロフェッショナル」だと加藤さんは笑います。

「だからこそ、体も動き、言葉も使える私が挑戦を怠ってはいけないと、いつも勇気をもらっています」

これから家族で挑戦したいことは、以前よく乗っていたテーマパークのアトラクションへの“リベンジ”。筋力低下により一人で座位を保てなくなってから乗れなくなってしまったため「もう一度、乗れる方法を探したいね」と話しているそうです。

また加藤さんは、真心さんが特別支援学校の高等部を卒業したら、シェアハウスなど家族と離れて暮らす環境を用意したいと考えています。
「真心はかなり社交的なので、人との関わりを楽しんでいます。家族以外の深いつながりを人生に刻んでほしい、そして健康的な親離れを目指したいです」

加藤さんと真心さん(加藤さんより提供)

今後の活動について

加藤さんには、今後も活動を続けていくうえでの目標があります。

それは「障がいがある子が生まれても、誰もが希望を持ち続けられる世の中を目指したい」ということ。その実現には【つながり】が鍵だといいます。家族会やコミュニティ運営などを通してつながりを広げ「一人じゃない」と感じられる場をつくることを大切にしています。

人生の困難も、人と手を取り合えば乗り越えられると信じ、言葉や声を通じて発信を続けたいと語ります。
「過去の私を救うことで、誰かの未来が明るくなれば本望です」とも。

これまで加藤さんは、真心さんの同級生や友人を何人も見送ってきたと話します。「この地球で思いきり楽しめたかな?」旅立った友にそう問いかけるたび、同じ言葉が加藤さんにも返ってきました。「私はじゅうぶん楽しめているだろうか?」
「重度の障がいがある子の親になったとき、自分の人生が閉ざされたように感じたのは、やりたいことを我慢しなければと思い込んでいたから。お空に還った友達から人生の有限さを学び、全介助が必要なのに自由に遊ぶ真心の姿から、やりたいことをやっていいと気づかされました。だから私は、思いっきり遊んで生きると決めたんです」

そして力強くこう語りかけてくれました。
「遊びましょう!やりたいこと、やりましょう!一人で抱え込まず、周りにヘルプを出しながら叶えていきましょう!」

障がいのある子が生まれると、親は悲観的になりがちかもしれません。でも加藤さんは、真心さんやお空に還った友人たちから、やりたいことをしていい、悲観しなくていいと学びました。一人で抱え込まず、助けを求め、つながりのなかで前へ進むこと。それが何より大切なのかもしれません。

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