「肌荒れ」が続き違和感を覚えていた男性…その1年後、医師「ガンです」まさかの病気が判明。 夢を追い、葛藤し続けた元Jリーガーに迫る

「肌荒れ」が続き違和感を覚えていた男性…その1年後、医師「ガンです」まさかの病気が判明。 夢を追い、葛藤し続けた元Jリーガーに迫る
サッカーをする宇留野さん(宇留野さんより提供)

高校卒業後、本田技研工業株式会社のサッカー部「Honda FC」に選手として所属していた、宇留野純さん。

25歳のとき、腹部にこれまで経験したことのない激しい痛みを感じ、病院を受診しました。
ところが、判明した病気に「選手生命が終わるかもしれない」という気持ちに…。

サッカーを諦めきれなかった宇留野さんが、病気判明後、葛藤しながらもチャレンジし続けた思いに迫りました。

25歳で告げられた「精巣腫瘍の疑い」

当時、JFL(日本フットボールリーグ)の名門「Honda FC」でプレーしていた宇留野さん。

2005年1月、下腹部に刺すような痛みを感じます。
それは、これまでに経験したことがないほど激しい痛みで、耐えることができず、近くの泌尿器科を受診することにしました。

宇留野純さん①(宇留野さんより提供)

さまざまな検査の結果、「腫瘍の可能性がある」と医師から告げられ、大きな病院を紹介されました。

翌日、紹介状を持って総合病院を訪れた宇留野さん。症状や痛みのある部位などから、医師は精巣腫瘍の可能性が高いと判断し、検査結果を待たずに手術を受けるよう勧めます。進行が早い可能性が高く、結果を待つ余裕がない状況でした。

「トップパフォーマンスは難しい」医師の説明

精巣腫瘍は、睾丸にできるがんのことですが、あまりにも突然の出来事だったことに、がんという診断を受け止める時間も余裕もなかったと当時を振り返ります。
また、下腹部の痛みが起こる前に何か予兆がなかったか振り返ると、1〜2年前から肌荒れが続いていたこと以外に思い当たることはなかったそうです。

その後、高位精巣摘除術が行われ、がん細胞の検査結果をもとに今後の治療方針を決めることになりました。

検査の結果、他の臓器への転移は見られなかったものの、精巣腫瘍の中でも「非セミノーマ」と呼ばれる転移リスクの高いタイプであることが判明します。そのため抗がん剤治療が必要とされましたが、副作用が非常に強く、数ヶ月にわたって4〜5回の治療を繰り返す必要がありました。

さらに医師からは、「今後サッカーを続けるとしても、元の状態に戻り、トップパフォーマンスでプレーするのは難しいかもしれない」とも告げられました。

指導者としての現在の写真(宇留野さんより提供)

宇留野さんは、このとき「抗がん剤治療が始まれば、選手生命が終わる…」と、もうサッカーができないという絶望感の方が強かったと語ります。

Jリーグでプレーする夢を諦めたくないという思い

宇留野さんの夢は、Jリーグ(日本プロサッカーリーグ)でプレーすること。その夢はすぐには叶わず、高校卒業後は会社の社員選手としてサッカーを続けますが、Jリーグでプレーする夢を諦めてはいませんでした。

宇留野純さん②(宇留野さんより提供)

どうしてもサッカーを諦めたくなかった宇留野さんは、医師に相談しました。医師から示されたのは、「現時点で転移は見られないため、腫瘍マーカーなどをこまめに確認しながら経過観察を続けるという選択肢もある」というものでした。

リスクは決して低くなかったものの、医師と相談を重ねながら、宇留野さんは定期的に検査を受けつつプレーを続ける道を選びます。

その際、医師からは「進行が非常に早く、転移の可能性は50%以上ある。ただし、転移するとすれば今後1年間のリスクが特に高く、それを過ぎれば可能性は大きく下がる」とも告げられました。

宇留野さんは、いつ転移するかわからない不安を抱えながらも、1年後にJリーグでプレーするという夢を実現するため、毎試合、持てる力を出し切り、悔いを残さないようプレーしていたといいます。

一方で、転移への不安から体調の変化にも敏感になっていきました。サッカー選手であれば日常的に体のどこかに痛みを感じることもありますが、そのたびに転移と結びつけて考えてしまい、病院で検査を受けることも少なくなかったそうです。

月に2回ほど検査を受けながら競技を続ける中、精神的に不安定になることもありました。しかし、Jリーグからオファーをもらうという明確な目標と、寄り添ってくれた両親や家族の支えを力に、リーグのベストイレブンを受賞するなど結果を残していきます。

そして、複数のJリーグクラブから獲得オファーが届いたのです。

一度は諦めたものの…ある出来事で一変

転移も見られず、J1クラブからのオファーを受ける決断をしたという宇留野さん。

ところが、その後の検査で腫瘍マーカーの数値が急上昇。医師から「転移の可能性が高まったため、抗がん剤治療に切り替えましょう」と告げられます。

宇留野さんは、オファーをくれたクラブに事情を説明して辞退し、抗がん剤治療の準備を進めることにしました。しかし、周囲にはその決断を諦めきれない人も多く、セカンドオピニオンを勧められたといいます。

それが、これまでの出来事を一変させることに…。

セカンドオピニオンを受けるため、がん専門の病院を訪れた宇留野さん。事情を聞いた医師は、「腫瘍マーカーの数値上昇だけで判断するのは時期尚早です。1年間サッカーを頑張ってこられたのだから、もう少し様子を見た方がいいですよ」と助言しました。

その後、数回にわたって検査を受けたところ、腫瘍マーカーは正常値に戻っていたそうです。そこで宇留野さんは、オファーをくれたJリーグクラブに改めて事情を説明し、了承を得て入団することになりました。

「家族含め周りの人たちの後押しの中、自分の夢を叶えたい一心で安定した会社員生活を離れ、今を全力で生きるために、そして、夢であったJ1のピッチに1分でもいいから立ちたいという気持ちで、Jリーグにチャレンジしました」と当時の気持ちを語ります。

サッカーをする宇留野さん(宇留野さんより提供)

幸いその後は転移もなく、Jリーグで約150試合に出場。
そして、海外にも渡ってプレーし、36歳までプロサッカー選手として全力でプレーを続けました。

宇留野純さん③(宇留野さんより提供)

現在はサッカー指導者として活動

2016年に現役を引退した宇留野さんは、現在サッカーの指導者として活動しています。

「あのときの決断、そしてがんになったことが自分自身と向き合えて、人生一度だと夢にチャレンジするきっかけになり、その中で周りの方々への感謝の気持ちを心から感じることができました」と語っていました。

Jリーグに出場するという夢を叶えた宇留野さん。その道のりには、たくさんの葛藤や不安がありました。夢に向かって歩み続ける人の背中を、そっと押してくれるような挑戦だったのかもしれません。

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