高校の部活中、頭から落下した16歳の少年。→緊急搬送され…医師「この2日が山場です」その後…21年経った現在の様子と思いに迫る

高校の部活中、頭から落下した16歳の少年。→緊急搬送され…医師「この2日が山場です」その後…21年経った現在の様子と思いに迫る
16歳のとき(@tenten_keisonさんより提供)

幼いころからスポーツが好きで、高校では体操部に所属していたてんてん(@tenten_keison)さん。
しかし高校2年生のとき、部活動中の事故によって頸髄損傷を負い、人生が大きく変わることになりました。

それでも21年の時を経て、再び体操と向き合い始めたてんてんさん。その挑戦と現在の思いを伺いました。

※頸髄損傷(けいずいそんしょう)…首の骨の中を通る神経(脊髄)が傷ついた状態のことで、手足のまひや感覚障がいなどが起こることがあります

突然の落下事故で失った感覚

当時高校2年生だったてんてんさんは、体操部に所属し、大会に向けて充実した日々を送っていました。

平行棒の練習中「後方抱え込み2回宙返り下り」という技をした際、本来であれば上方向に飛び出す技なのに、斜め前方向に飛び出してしまい、高さ不足と回転不足により頭から落下。

16歳のとき(@tenten_keisonさんより提供)

意識はあり、すぐに起き上がろうとしましたが、その瞬間、体が動かず首から下の感覚もないことに気づきます。何が起きているのか理解できなかったてんてんさんは、駆け寄ってきた仲間に「俺の手、持ち上げて見せて」と頼んだそうです。

そして、滑り止めの粉が付いたマメだらけの手が目の前に現れ「よかった。手はある」と一瞬安心したものの、持ち上げられている感覚も、触れられている感覚もありませんでした。

まるで他人の手を差し出されているように感じたてんてんさんは、そこで初めて自分の体に起こっていることを認識しました。

突然の事故(@tenten_keisonさんより提供)

医師の言葉に突きつけられた現実

病院へ緊急搬送され、検査の結果、頸髄損傷と診断されました。事故後しばらくは、感覚がないにもかかわらず、全身に強い痛みが続いていたといいます。

それでもてんてんさんは「手術やリハビリをすれば、また体操ができるようになる」と信じていました。

しかし、入院から1ヶ月ほど経った頃、医師から告げられたのは「歩けるように頑張ろう」という言葉でした。
励ましの意味だと理解しながらも、てんてんさんにとっては「体操に戻るのは難しい」という現実を突きつけられた瞬間でもあります。

頸髄損傷と診断を受ける(@tenten_keisonさんより提供)

事故当時、両親は連絡を受けて病院へ向かうと、管やセンサーがいくつも付けられたてんてんさんの姿を目にしたそうです。さらに医師からレントゲン写真を見せられながら「1週間は急変する可能性があり、この2日が山場です」と説明を受けました。

お母さんは、頭が真っ白になり何も考えられなかったといいます。目の前の現実を受け止めきれず「とにかく助かってほしい」という思いだけだったと話していました。

首から下の感覚がない(@tenten_keisonさんより提供)

事故当時のTシャツと新たな挑戦

てんてんさんは、事故後も体操への思いを失うことはありませんでした。ですが、体が動かないこと以上に、体操ができなくなった現実がつらく、次第にその気持ちを心の奥へ押し込めるようになります。

事故から18年が経ち、体操のない生活が当たり前になりつつあった2023年のある日。偶然、引き出しの奥から、事故当日に着ていた部員の名前入りTシャツを見つけたてんてんさん。

そのTシャツは、病院での処置のため片側が裾から首元まで切られていました。しかし以前、両親から「主治医が“部員の名前は絶対に切らないように”と伝え、看護師さんが切ってくれた」と聞いていたことを思い出します。

そんな現役時代の思い出と、事故当時の記憶が詰まったTシャツを見た瞬間「もう一度体操がしたい」という封じ込めていたはずの思いが一気に溢れます。

まだ終わらない(@tenten_keisonさんより提供)

そこで、鉄棒の大車輪に挑戦することを決意。
事故により、車いす生活となったてんてんさんにとって、誰よりも高いところで宙を舞い、風を切る大車輪はまさに自由の象徴でした。

てんてんさんはこの3年間、大車輪に必要な筋力や動きを意識しながら、リハビリやトレーニングを続けてきました。競技用の鉄棒で練習する機会も設け、少しずつ感覚を取り戻しています。

一方で、思うように体が動かなかったり、昨日できた動きが今日はできなかったりして、落ち込むこともありました。

それでも最近は「できないことも含めて楽しもう」と前向きに捉えられるようになったのだとか。そう思えるようになった背景には、支えてくれる人や応援してくれる人の存在があったと語っていました。

大車輪への挑戦①(@tenten_keisonさんより提供)

体操でもう一度、人生を動かしていきたい

てんてんさんが、自身の境遇をSNSで発信するようになったのは「自分にとっては人生を懸けて挑む挑戦になる。それを自分だけの挑戦で終わらせたくない」と思ったことがきっかけだったと言います。そして「この挑戦は、自分と同じように事故や病気で苦しむ人の希望や一歩踏み出す勇気につながるかもしれない」とその意味を考えるようになります。

また、頸髄損傷と診断された2005年当時は、SNSも今のように普及していなかったため、将来のイメージが持てず、不安だったと振り返ります。だからこそ、今の自分の姿を通して「こういう可能性もあるのか」と感じてもらえる人が一人でもいればと思い、発信を続けていることを明かしていました。

てんてんさんがSNSで伝えたいと考えているのは「人の可能性は、思っている以上に大きい」ということです。

「私の障がいは、一般的に半年〜1年ほどで症状が固定すると言われています。それでも挑戦を始めて3年、事故から21年が経った今、これまで動かなかった筋肉が動くようになったり、関節の可動域が広がって日常生活でできることが増えたりと、大車輪への挑戦を通じて、日常生活上の変化も少しずつ現れています」と話します。

そのうえで「無理だと決めつける前に、“もしかしたらできるかもしれない”と思える余地を残してほしい。その先に新しい景色があると信じています」と語っていました。

大車輪への挑戦②(@tenten_keisonさんより提供)

現在は、補助をつけた状態で大車輪に取り組めるまで回復。今後は少しずつ補助を減らしながら「自分の力で大車輪を回る」という夢を実現していきたいといいます。

最後に「事故は私の人生を大きく変えました。でもその体操で、もう一度人生を動かしていきたいと思っています」と話してくれました。

「もう体操はできない」と告げられてから21年後、てんてんさんは再び体操と向き合うようになりました。可能性を信じて挑戦を続ける姿は、多くの人にさまざまな気づきを与えてくれそうです。

※リハビリやトレーニングは、専門家の指導・監修のもと、安全に十分配慮して行われています

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