ヤンチャだった10代 →約20年後、男性の”予想外な現在の姿”に「カッコ良すぎる」「すごい」「人生楽しそう」

ヤンチャだった10代 →約20年後、男性の”予想外な現在の姿”に「カッコ良すぎる」「すごい」「人生楽しそう」

人生には歩み方がいろいろあります。最初から目指す道にまっすぐ進む人もいれば、多くの経験を重ねながら進むべき道を見つける人もいるでしょう。

岡田将人( @masato15 )さんが、医師になるまでの経歴を振り返った様子をInstagramに投稿すると「すごい」「カッコ良すぎる生き様」「人生楽しそう」などのコメントが寄せられ、話題になっています。

これまでの経歴について、岡田さんに話を聞きました。

救急医になるまで

現在32歳の岡田さんは救急医です。周りの人たちから「そんな人生送ってきた医者はほかにはいない」と言われることがあり、これまでの経歴を振り返ってみることに。

「この10数年間で多くの経験と出会いがありました。現役生より5年遅れて医師になりましたが、その時間は無駄ではなく、宝だと思っています」と岡田さん。

「医学部に入る前は医師の世界とは程遠い環境で生活していたので、当時の自分も今の自分を見たらびっくりだと思います(笑)」と話していました。

そんな岡田さんは、10代の頃はたくさん遊び、少し尖っていたといいます。

幼少期の頃(@masato15さんより提供)

20歳で単身タイへ、ムエタイ修行の挑戦

高校を卒業すると、仕事を掛け持ちし、昼夜ほぼ休みなく働きました。そして、2年間お金を貯めて、20歳のときに単身でムエタイ修行のためにタイへ。

タイにムエタイ修行に(@masato15さんより提供)
タイへ(@masato15さんより提供)

子どもの頃から勢いと行動力があり「格闘技をやるなら、本場のタイでやろう」と思い、タイへ行くことを決めました。

タイでは現地選手と毎日トレーニング。素人ながら「やれる気がする」と思っていた岡田さん。

しかし、現実はそう甘くなく、ビザの期限もあり、1年半ほどタイに住んで日本に帰国しました。

ワーキングホリデー(@masato15さんより提供)

日本に戻ってから、岡田さんは医学部を受験します。子どもの頃から父が外科医だったため、医者という職業は身近に感じていたそうです。しかし中学1年生のとき、父は大腸がんで亡くなりました。

タイで1人暮らしをしていた中で、父のことや将来を考え「医師になりたい」と思い、医学部受験を決意します。

現在は救急医(@masato15さんより提供)

医師と格闘家、両方に全力投球

救急医になった理由について、岡田さんは「道端で人が倒れているのに何もできないのは嫌で、緊急のときに対応できる医師になりたいと思いました。また、将来的には発展途上国で医療活動をしたいと考えており、最先端医療よりも、医療資源の限られた国で幅広い知識を生かせる仕事に興味があります」と話していました。

また、岡田さんは23歳の大学1年生のときに、日本で格闘家としてプロデビューしています。

格闘家としてプロデビュー(@masato15さんより提供)
現在の様子(@masato15さんより提供)

今後の目標について「格闘家としては、医師になる前に日本チャンピオンのベルトを巻いたことがありますが、今度は医師をしながらチャンピオンベルトを巻きたいと思います」と話します。

さらに「医師としては、タイのあまり裕福でない地域で貧しい生活を経験しました。その中で多くの人に助けられたことから、医師になった今、発展途上国で恩返ししたいと思っています」と教えてくれました。

格闘家としても医師としても二刀流で全力で取り組んでいる岡田さん。
「しっかりと結果を残して、見てくれている人たちにパワーを与えられる存在になりたいと思います」と力強く話していました。

とてもパワフルで行動力のある岡田さん。さまざまな経験を経て培った知識とその行動力で、今後も多くの人々の命と希望を支えていくことでしょう。

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