日本だけではなく、世界中を探しても同じ症例はないと言われた、花田はるかさん。
「両側線条体壊死症」という病気を患っており、病名も花田さんの主治医がつけたものだといいます。
治療法も原因も不明といわれていますが、花田さんは「今を目一杯楽しむ。後悔なんてしたくないから!」とSNSで発信しています。
この病気と向き合う花田さんに、さまざまな思いを聞きました。
「両側線条体壊死症」と診断され…
赤ちゃんのころの花田さんは歩き始めるのが早く、生後10ヶ月から歩いていたそうです。しかし、2歳を過ぎたころから言葉がどもるようになったり、ちょっとした段差でつまずいたりするようになります。
そこで異変を感じた花田さんのお母さんは、整形外科などを受診しました。診断の結果、問題はなく心因性ではないかと言われたため、小児精神科も受診しましたが問題ないと診断されたのです。
しかし問題ないと診断された後も、つまずくことが多くなり、すぐ疲れるようになり、長い距離を歩けなくなりました。
その後大学病院で、大脳を司る基底核の運動神経の一部が壊死していることが分かり即入院。そして「両側線条体壊死症」と診断されたのです。
花田さんと同じ場所が壊死している症例は日本にはなく、アメリカなどにも主治医が問い合わせをしましたが、症例はなかったそうです。

入院をしたとき花田さんはまだ3歳。入院してすぐ歩けなくなり、急に歩けなくなった自分を受け入れることができず「歩きたい!歩きたい!」と病室で泣き叫ぶことしかできなかったと話します。
お母さんは「あんたはもう病気で歩くことはできない。泣いていても歩けるようにはならないんだよ。泣いて1日が終わるのと、笑って楽しかったねって1日が終わるのと、どっちの生活をしたい?あんたがしたいようにしなさい」と言いました。
花田さんは子どもながらに「泣いて過ごす日々は嫌だな、笑って過ごしたいなと」笑って過ごしたいとお母さんに伝えます。お母さんはそのとき「泣いていられない、この子が大人になったときに困らないようにちゃんとしていかないと」と思ったそうです。
花田さんは全身の筋肉に運動障害があり、全身の筋肉が硬くうまく動かすことができないため、車いす生活を送っています。
筋肉緊張が強いため、常に全身に力が入っており、痛みや疲れやすさが症状として現れます。何もしていなくても100kg以上の重りを背負い、24時間マラソンしているような状態で生活しているのです。そのため、少し動くだけでも疲労感が大きくなるといいます。
体が不自由な中でも、花田さんには意識していることがあります。それはお母さんからいつも言われていた言葉でした。
「あんたはできないことが多いから、他人にやってもらうことが多いと思う。何かしてもらったらありがとうと言いなさい。逆に何かしてしまった場合は、素直にごめんなさいって言いなさい。他人にしてもらうばかりではなく、自分も何かできることがあればできる範囲でやりなさい」
その言葉から「この精神を心掛けるようにしています」と話してくれました。

まず私という存在を知ってもらいたい
花田さんは高校卒業後、週3回ほど就労継続支援B型へ通い始めます。その賃金は時給200円ほどで、送迎代や昼食代を引かれると、ひと月の手元に残るお給料は1000円ほどしかありませんでした。
普通に働いて自分で稼ぎたかった花田さんは、手元に入る1000円ほどの賃金では「働いている」という実感が持てず、虚しさから通うことを辞めたといいます。
そして現在は、2つの仕事をしています。
ひとつは人事労務ソフトの会社で、アクセシビリティの品質テストや障害特性を活かしたユーザビリティテストを行ったりしています。
もうひとつは、分身ロボットOriHimeという、ロボットを自宅から遠隔で操作して接客をする「OriHimeパイロット」という仕事です。


また、花田さんは自分の病気について、SNSで発信しています。それには「症例がない病気もあるということを知ってほしい」という思いがありました。
症例がない病気の研究はまったくされていないため、治療法や治療薬がありません。そこで、花田さんはパーキンソン病などの薬を代用して飲んでいます。
「まだ研究されていない病気がたくさんあると思うので、治療法や治療薬が研究されることを願っています。そのためにはまず私という存在を知ってもらいたいです」という思いから、SNSでの発信を始めました。
発信をしていく中で、病気を知ってもらえたこと、共感してもらえたことが嬉しいといいます。


また、お酒が好きな花田さんは「障がい者はお酒を飲まない、飲んではいけないみたいに思われていることも多くあります」と話します。
「もちろん病気などで飲酒が禁じられている方もいますが、そうでない場合、障がい者だから飲んではいけないということはないと思います」と、お酒を飲んでいるところもSNSにアップしています。
すると、障がいのある方から「お酒が好きなのを堂々と言えなかったけど、言ってもいいんだ!と勇気をもらえました」という反応が。こうしたことも「発信していてよかったな…」という思いに繋がりました。
症例がなく、誰にも知られぬまま終わりたくはない
花田さんが患う「両側線条体壊死症」は診断された当時も治療方法が不明、そして現在も治療法はありません。
訪問リハビリを受けつつ、筋弛緩剤やボトックス注射で筋肉緊張を緩和する対症療法しか現状ではできないといいます。

「症例がないので、この先この病気がどうなっていくかは誰にもわかりませんが、少しでも自分のやりたいことや好きなことをやっていきたいなと思っています」
その一つがいつか本を出すことです。
「症例がなく、誰にも知られないまま私の人生を終えたくないんです。私という症例があった、こんな病気もあったと残していきたいです」と話してくれました。
また社会に対しては「障がい者が抱えるバリアはまだまだ多いと思っています。社会で障がいがあっても当たり前に働けたり、生活できたりする世の中になればいいな」というのが花田さんの思いです。
まだまだ障がい者が働く場所の少なさや、働けたとしても賃金の低さなどたくさんの問題があるでしょう。こうした問題は、花田さんのように実際に経験した人でなければ分からない部分があるかもしれません。だからこそ、花田さんの言葉に目を向け、障がいがあっても当たり前に働き、生活できる環境を整えるためのサポートを考えていく必要があるのではないでしょうか。また、花田さんの治療法が見つかることを願うばかりです。