舞台手話通訳者として活躍している田中結夏(たなかゆか)さん。舞台手話通訳とは、舞台の上に立ち、手話を必要とする聴覚障害者に通訳する仕事だ。舞台上の台詞や音情報を通訳することに加え、時には1人の出演者としてともに演じながら、役者の演技や熱量までも通訳にのせて客席に伝えていく。今回は、そんな田中さんに、手話通訳者になったきっかけや今後の夢について話を聞いた。

演劇が好きな幼少期、舞台に励まされた中学時代

小さいころから舞台や演じることが好きだったいう田中さん。舞台を観て勇気をもらったことも多いという。

幼少期の田中さん:本人提供

「劇団四季の演目の中で、いい魔女と悪い魔女が主人公の物語があるんです。悪い魔女にならざるを得なくなった流れを劇中で知った時、自分の頭が世界とつながった感覚がしました。そして物語全体を通して主人公が幸せを掴むために困難に立ち向かうところに心を揺さぶられました」

 田中さんは中学生のころ、人間関係に悩んでいた。当時は、よく舞台チケットを予約し、「この日までは頑張ろう!」と自分を奮い立たせていたことも多かったという。

「舞台を観終わった後には、いつも“よし!自分も頑張る”と思えましたね」

自分も貰った勇気を返したいと、ミュージカル俳優を目指し、舞台芸術科コースのある高校に進んだ。

5回の手術で挫折も、ろう者との出会いが新たな夢のスタートに

ミュージカル俳優という夢に突き進んでいた高校時代、田中さんは両膝に怪我をして計5回の手術を受けることになる。

 「さすがに気持ちは参りました。夢が断たれたと思いました。それでもどんな形でもいいから舞台に関わりたかった」

その後、保育を通して演劇の本質を学ぶため大学の子ども学科に進学した。卒業後は、再び演劇を本格的に学びたいと演劇学校に入学。そこで運命の出会いを果たすことになる。ろう者の同期生との出会いだった。

インタビュー中の写真

「とてもユーモアなお人柄の人で、会うたびどんどん仲良くなりたい!と思いました。彼女の話し方がとても素敵だったんです。彼女の言語が英語やフランス語だったら、その言語を勉強したのかもしれませんが、 彼女は手話を言語としていました。飲み会の時に手話通訳者に間に立っていただいて会話をしたんですが、なぜか悔しかったんですね。 彼女の話の内容を知りたい。彼女がわかる言葉で話したい!と強く思いました」

田中さんは、彼女との出会いがきっかけで手話に夢中になったという。 「もっともっと学びたい!」と思うようになり新たな夢が思い浮かんだ。

「彼女のようなろう者と、手話を使った芝居を作るプロの現場に関わってみたい!と思ったんです」

障害ある・なしの垣根を取っ払った世界で

 その後田中さんは、ろう者と聴者で取り組む演劇で手話に関する仕事に携わることに。

「ろう者と聴者とで一緒にやる演劇でした。 その空気がとびっきりに楽しかったんです! 私の手話はまだまだでも、みなさんとっても優しくって。今まで持っていた障害ある・なしの垣根を取っ払った世界を感じました」

数年後、手話が上達していくと、田中さんの元に舞台関係の依頼がだんだんと入り込む。

タカハ劇団「美談殺人」稽古:塚田史香(撮影)

「演劇を勉強したことがあり、また手話ができる私だからお願いしたいと頼まれるようになりました。 手話に出会ってから5年後、そのご縁で舞台手話通訳者になるための養成講座を紹介されました。 ぜひやりたいと思いました! 私は演劇も手話も好きで、更に、ろう者を含む聴覚障害者と聴者をつなぐ役目をいただけたことは幸せな気持ちでした」

タカハ劇団「美談殺人」稽古:塚田史香(撮影)

人をつなぐ舞台手話通訳者でありたい

手話で舞台の上の世界を通訳し、聴覚障害者に伝える。そして、舞台手話通訳者がいることで、聴者に聴覚障害者が使う手話の面白さ、かっこよさ、美しさを伝えたいという田中さん。誰もが楽しめる舞台を作っていきたいと話す。

「私の名前に“結”がついているんです。 人と人を結ぶ人に、と両親の思いが込められたためか、小学生の時から誰かと誰かをつなぐのが大好きなんですね。 転校生がきた時、校内を案内し、同級生の輪に入っていけるようにさりげなくサポートしてました。頼まれたわけじゃないのに(笑)。 今もその原点は変わらないんです。きこえるきこえないに関係なく舞台という世界を爽やかに楽しむことができるように人と人を“つなぐ人”でありたいですね」

舞台手話通訳者として舞台に立つ田中さん。東松山市民文化センター「枇杷の家」:佐藤智(撮影)

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