面白いことがやりたい。常にその思いを抱き続けた元テレビマンは、プロレスの世界に辿り着いた。福岡が誇る人気番組「ゴリパラ見聞録」などの制作に携わり「このままずっとテレビを作っていくんだろうな」と考えていた永山哲平さんは現在、福岡県を中心に活動する九州プロレスで広報・興行を担当している。目指しているものは何なのか、話を聞いた。

九州プロレスに移ったきっかけ

いつも笑顔の永山さんだが、コロナ禍の影響を受け難しい時期を過ごしていた。初めて立ち上げから関わった番組「バリすご8(テレビ西日本)」が、打撃を受け終了。新たな番組を担当したものの、どこか気持ちが晴れなかった。

「喪失感で、心にぽっかり穴が空いたような感じになってしまいました。コロナ禍でできないことが増え、楽しいこと、面白いことができなくなって、転職を考え始めたんです」

そんな時に出会ったのが、九州プロレス。2008年に世界初のNPO法人プロレス団体として立ち上がり、保育園・幼稚園訪問や児童養護施設の訪問、高齢者施設や障がい者施設への訪問を積極的に行っている。また長期的な目標として、20周年となる2028年には福岡PayPayドームでの試合開催を目指している。積極的に活動の幅を広げている団体だ。

現在2年目。周囲から学ぶことも多い

永山さんは決してプロレスに触れた経験が多いわけでも、知識が豊富なわけでもなかった。ただ子どもの頃に、東北地方を中心に活動するみちのくプロレスの試合を見たことがあり、面白いなと感じたことが記憶の片隅に残っていた。

フロントを強化したいと考えていた九州プロレスと、面白いことがやりたいという永山さんの考えが一致したことで、意外なタッグが組まれることとなったのである。

自分のスキルを反映したい

九州プロレスに入社して、2022年で2年目。テレビという大きなメディアで働いてきた永山さんから見て、どういった部分に課題を感じているのだろうか。

「目標のドームでの試合というのは、知名度がないとできません。まだ九州プロレスを知らない人が多いので、自分が持っている映像や演出のスキルを反映できたらいいなと思っています」

テレビマン時代に培った技術をいかしている

九州プロレスは知名度を上げるために、福岡を中心に九州の各地域で大会を開催している。地元企業などの協賛を受けることで、年間の試合の多くが無料だ。

「今頑張っているのが、福岡の子ども達の認知度を100%にしようと。そのためには生で見てもらうのが1番です。無料の大会に多くの人に来てもらって、プロレスを知ってもらいたいですね。今は種を撒く時期で、その先にドームがあるのかなと思っています」

試合会場の設営も仕事の1つだ

テレビマン時代から変わらない思い

永山さんは試合映像の撮影に編集、試合会場の設営など多種多様な仕事をしており、多忙な日々を過ごす。けれど、大変というより充実感が勝っている。九州プロレスが上を目指し、前進していることを最前線で感じられているためだ。

「YouTubeチャンネルなどどんどん新しいことに挑戦しているので、ブースターになれるように努力しています。忙しいのは好きです。テレビ業界の時からずっと、楽しいことをやっているのが好きなんです。業界を移ったとて、それは変わってないですね」

もちろん大変なことがないわけではない。けれど、テレビマンの頃は視聴者の反響や、面白かったよと言ってもらえること。現在は会場に来てくれた方が笑顔で帰っていく姿を見ること。それによって、全て昇華されてきた。

「つらいが楽しいに勝つことは以前も今も、1度もないんです」

服装からも九州プロレスへの愛が感じられる

入社するまでプロレスのことをあまり知らなかった永山さんだが、取材の前後にはプロレスの面白さを熱く語ってくれた。人を楽しませる秘訣は、自分が楽しむことなのだろう。その力はきっと、2028年のドーム大会へと繋がっていく。

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