愛知県の三河湾のほぼ真ん中に位置する佐久島。人口は約250人で、コンビニも信号もない小さな島だ。"芝ちゃん”こと神谷芝保さんは、この島に1人で移住し、カフェを営んでいる。彼女はなぜ島に移住したのか、島の暮らしはどんなものか尋ねた。

佐久島に通い始めたワケ

移住する前、芝ちゃんは名古屋市の自然食カフェに勤めていた。週の半分はカフェで働き、半分は自分の活動というスタイルで、環境問題に関心を寄せてマイ箸を普及することにも情熱を注いでいた。そんななか、カフェで働く他のメンバーがそれぞれ畑を持っているのを見て、自分もやってみたくなったという。

「カフェで料理を作っていたけど、ゼロから作るのをやってみたいと思いました。種をまくところから、ご飯を作って出すところまでやってみたいなって」

畑を探し始めた芝ちゃん。ある時たまたま佐久島に行く機会があり、島の人に聞いてみたら空いている畑があるという。

「畑あるんだ!じゃあ借ります!って。島だからとか、あんまり何も考えずに決めちゃいました」

現在の畑

そこから週の半分は名古屋のカフェで働き、半分は島に通う生活が始まった。名古屋から佐久島までは、電車とバス、船で片道2時間ほどかかる。

「当時は車を持ってなくて、交通費だけで月に5万円くらいかかったんですよね。これでは生活できないと思って『交通費分くらい島で稼げたらいいんじゃないか』とひらめきました。それで、じゃあお店やろう!と」

あまり深く考えず、思いついたときの勢いに乗って行動する芝ちゃん。島で空き家を見つけ、店をするための改装が始まった。

移住の決め手は意外な理由

家の周りは竹藪で囲まれ、家もツルに覆われていた。中に入ると畳はカビて、畳を剥がすと床は朽ち、物が大量に残されていた。この状態から業者は通さず、すべて自前で修繕したという。

修繕前の様子。畳が曲がっている。

「いろんな人に声をかけて手伝ってもらいました。島の人に声をかけたり、名古屋で働いていたカフェのお客さんをナンパして島に連れてきたこともたくさんありますよ(笑)。自分一人じゃできないから、人に頼るしかないんです」

「自分に力はない」と語る芝ちゃんだが、「やる」と決めているからブレなかった。一緒に面白がってやってくれる人を探して、どんどん巻き込んでいった。

「ある時、名古屋のカフェに建築をやっているお客さんが来ていて声をかけたんです。『今佐久島でこんなことやってるんですけど、協力してくれそうな大学の先生いませんか』って。それで大学の先生を紹介してもらって、建築学科の学生たちが家の修理を手伝いに来てくれました」

もんぺまるけは冬季期間の1、2月はお休み。

つぎつぎと人を巻き込みながら家を直し、2010年にカフェ「もんぺまるけ」をオープン。そのあとも約1年半は名古屋から通った。佐久島に本格移住を決めたのは、事故がきっかけだったという。

「途中で車を買って通ってたんですけど、事故を起こして短期間で2台も廃車にしてしまったんです。それで『これは通うの無理だな。住もう』と思い、名古屋のカフェは辞めて佐久島に移住して、もんぺまるけだけに集中しようと思いました」

レトロな雰囲気の店内

カフェ「もんぺまるけ」と島の暮らし

「まるけ」は名古屋弁で「~だらけ」という意味。「畑といえば、もんぺで作業するから」、そう名づけたという。

カフェの看板商品「芝どら」

カフェではなるべく自然な食材と、地元の野菜を使ってランチとスイーツを提供している。ランチのご飯は毎日かまどで炊く。これは建築学科の学生たちが作ってくれたものだ。

店の裏にあるかまどで料理をする

島に移住して12年。佐久島は移住者も少なく、芝ちゃんを含めて外から来たのは4家族ほどだったという。最初に苦労はなかったのだろうか。

「よくしてくれる人も距離を取って様子を見る人も、反応はさまざまでした。最初は島の暗黙のルールみたいなものがわからなくて、迷惑をかけたこともあったと思います。でも、私は島の人からも『鈍感で羨ましい』って言われるくらい鈍感力が高いみたいで。あんまりいろんなこと気にしないで、楽しんでここまでやってきました」

島では人口が少ないからこそのイベントもたくさんあり、子どもが少ないので学校の行事には大人たちも参加する。芝ちゃんは友人家族の子どもの入学式や卒業式にも参加するという。島のお祭りや行事を通して、島に溶け込んでいった。

看板ネコの「くろすけ」と芝ちゃん

「玄関に野菜やカキが置いてあることもよくあります。なんか昭和みたいだなって思いますよ。そんな暮らしが楽しいし、島だからって不便を感じることもないですね」

芝ちゃんは現在、佐久島に移住する人を増やすためにできることを考えているという。新しいアイデアを思いついた彼女は、キラキラした目で将来を語った。

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