小豆島の中山間地域に位置する約700枚の棚田が広がる中山千枚田。田植えの時期を迎え、水を張った田が美しい風景を作っています。

日本の棚田百選「小豆島・中山千枚田」水を張った棚田の風景

山から湧き水が出たことで稲作が始まった

中山地区で稲作が始まった正確な時期は不明ですが、備前(現在の岡山県)の豪族だった佐々木信胤(のぶたね)が詠んだ、千枚田に映る月影を称えた歌が残されていることから、室町時代には稲作が始められていたと考えられています。中山地区にある湯船山に湧き水が出たことから、標高150メートルから250メートルの傾斜面に上から少しずつ田んぼを作っていき、今のような棚田になったようです。狭い傾斜面にできるだけ広い田を作るために、垂直に石垣が積まれる工夫がされています。

5月下旬でも夏のように暑かった日

慣れた手つきで田植機を操縦するのは船波哲雄さん。中山地区の田んぼは湾曲しているので、端の方は手でないと苗を植えることができません。哲雄さんが田植機で苗を植えていくのに続いて、妻の碧さんや、父の惠市さんが手で苗を植えていきます。

苗を手植えする碧さん

哲雄さんは中山地区生まれ。普段は役場職員として勤めていますが、田植えの時期は、毎週末、田んぼ作業で忙しくしています。妻の碧さんは千葉県出身。高知の大学へ進学後、大学のプログラムをきっかけに小豆島へ滞在し、中山地区の棚田保全活動に参加するようになりました。

「滞在してみて、ここがすごく好きになりました。関東平野に住んでいたので、中山のような棚田を見たことがなかったんです。地元は地域の関係が希薄だったので、しんどいと言いながらも行事で団結している中山の人たちが楽しそうに見えました」と碧さん。

活動の中で哲雄さんと出会い、毎年船波家の田んぼ作業を手伝うようになりました。大学卒業後、碧さんは小豆島に移住し、哲雄さんと入籍。米作りは5年目になります。

生活スタイルの変化と米づくり

船波家の田んぼは、惠市さんが3代目。11枚の田んぼを保有し、今年からはさらに借地4枚が加わったのだとか。半分は自家消費に、残った分を販売しています。

「昔は自給自足で、戦前まではみんな小作人ばっかりやったんや。収穫した米の半分は地主さんに渡して、半分を自分たちで食べよった。それだけでは生活費を賄えないので、山で薪をこさえたり、炭焼きをしたり、草鞋を編んだりして生計を立てていたらしい」と惠市さんは話します。

田んぼ1枚に苗を植えるのにかかるのは1時間ほど

今では会社勤めをしながら、休日に田んぼ作業をする人がほとんど。田植えが終われば、収穫までのしばらくの間は、水の管理のみになるため、哲雄さんたちが出勤している平日は、毎日、惠市さんが水を管理しているそうです。

時代とともに増えてきた休耕田

「休耕田はますます増えるやろね。今、おおきにしよる人が70歳以上ばっかりやから、一人辞めると、6反、7反ぐらいがいっぺんになくなる。多分、その後を引き受ける人がおらんと思う。だからもうあと10年が棚田の危機やな」と惠市さんは話します。

「失礼だけど、最初は作業のしんどさをあまり分かっていなかったから、えっ、こんなに休耕田増えてもったいないなとか、みんな田んぼしたらいいのにとか、軽い気持ちで思っていました。でも、実際米づくりをしてみたらしんどくて、そりゃ休耕田が増えていくよなと思うようになりました。それでも米が育ったらやっぱりうれしいです」と碧さん。

「綺麗にできたらうれしいですね。昨年の新米は美味しかった」と哲雄さんも話します。

田植機が苗を植え損ねた場所は手で植えていく

休耕田が増えていくのをどうにかしなければと小豆島町が2014年から棚田オーナー制度を開始。棚田のオーナーは、1組3万円支払うと、年に数回の田んぼ作業や行事への参加、収穫した米約20キログラム分が提供されました。

この棚田オーナー制度は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020年からは中止になったものの、2021年4月からは小豆島町と地域おこし協力隊員で新たな棚田保全活動の取り組みを始めています。

伝統行事の由来は米づくりにあり

日本の伝統行事の多くは、米の豊作を願い、稲作の神様を祀る儀式と言われています。そんなことから中山地区は小豆島の中でも伝統行事が多い地域でもあります。

中山虫送り 薄暗くなった棚田のあぜ道に点々と火が灯っていく様子は壮観

田植えが終わったら、毎年7月の夏至から11日目の半夏生に行われる「虫送り」。火手と呼ばれる竹の松明を田にかざしながら、あぜ道を歩いて害虫を退治し豊作を願う伝統行事です。薄暗くなった棚田のあぜ道に点々と火が灯っていく様子は壮観。毎年約300名が参加します。

中山農村歌舞伎本番の様子

9月に入り、稲穂が垂れる頃に米を収穫。10月の第2日曜日には棚田の近くの春日神社境内にある舞台で、収穫を祝う中山農村歌舞伎が奉納芝居として上演されます。役者も裏方もすべて地元住民。約350年前から続いています。今では観光客や、他地区の人も観に来るようになりましたが、昔は中山地区の住民しか観客はいなかったそう。地元民にとっては、厳かな「行事」というより「娯楽」の意識が今でも強いようです。2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、奉納歌舞伎の上演は中止。2021年の開催の有無もまだ決まっていません。

右から2番目が船波哲雄さん(写真:本人提供)

左から2番目が船波哲雄さん(写真:本人提供)

米づくりとともに、育まれた独特の文化・風習が色濃く残る中山地区。担い手が不足する中でも、変わらず米づくりを続けている人たちがここにいます。