母屋に連なる納屋にシニアカーが見える。百一歳にしてなお足は丈夫だが遠出に欠かせない吉村さんの愛車だそうだ。とくにスーパーへの買物には欠かせない。独り暮らしだから自炊。おかずの調達も自分でする。好物の「鰻を買いにな」と笑う。

先ずは激動の支那(中国)の戦場体験から。結婚後二十五歳で妻を残して三年十ヵ月、砲火に身を曝してきた。南昌、岳州(岳陽)、広東州を転戦、「難しいとこばっかしやらされてな」と米軍のB29基地撃破の桂林作戦に触れる。「相手の支那軍は機関銃やから単発銃では適わん」としながら、敵に向けて発砲できなかったことをもちらりと匂わす。人が人を殺し合うなどあってはならないことを伝えたかったのだろうし、穏やかな性格の吉村さんに銃は似合わなかったのだろう。結局六人小隊のうち三人が死に、自分だけが助かったと銃弾が貫通した足を擦りながら仲間を偲ぶかのように天井を仰ぐ。

復員後、農業のかたわら始めた大菊づくりがその後の人生をかたちづくる。夫唱婦随の傑作は大菊三本立で名を知られた。品評会で何度も賞を得、審査員もした。その美しさは役場や公共の場の飾りに引っ張りだこだったそうだ。

今の楽しみは毎週のグランドゴルフ。「今日も行く予定だったけどな」とその気満々。その元気、その気概はどこから来るのか教えを乞いたいが、くよくよしない、ともかく体を動かすことにありそうだ。九死に一生を得て生還しこの長寿、稀有の人生を貫かれた吉村さんとお会いできたのは幸甚と感謝するしかない。「このお陰かも」と披露するサプリメントの高麗人参はご愛敬とも受け取れる。

微笑む吉村さん

八年前に奥様に先立たれたが、息子さん二人に孫二人、曾孫二人と年齢の割に家族はそう多くはない。その時息子さんの一人から電話が入った。誰か彼かが身を案じてくれているのが羨ましい。庭に出て「菊がなくて寂しいけど……」と花のない鉢を擦りながらの写真一枚。まだまだお元気でと祈りながらお別れした。

この記事の写真一覧はこちら