右足に痛みを感じた高2男子。病院へ行くと…医師「命を守るために治療を」その後、16年間向き合い続けた病とは

右足に痛みを感じた高2男子。病院へ行くと…医師「命を守るために治療を」その後、16年間向き合い続けた病とは
切断直後(@gisoku_maemukiさんより提供)

「義足パパ」として、講演会やモデルなどの活動をしている大塚一輝さん(@gisoku_maemuki)は、17歳のときに骨肉腫と診断されました。

その後、病気の後遺症と向き合うなかで、33歳のときに右足を切断し、義足生活となります。今回は、闘病生活を乗り越え、自身の経験を発信し続ける大塚さんの現在に迫ります。

右足に違和感を抱き、その後「骨肉腫」と診断されて…

大塚さんは高校2年の冬、最初は右足に少し痛みを感じる程度の違和感を覚えます。その後、歩くたびにビリビリとした痛みが出るようになり、接骨院で電気治療を受けても改善せず、腫れも引きませんでした。

そこで近くの整形外科を受診したところ、レントゲンに「影のようなものがある」と言われ、大学病院を紹介されます。MRI検査の結果、医師から「骨肉腫の可能性が高い」と告げられ、そのまま緊急入院となりました。

検査の結果、骨のがんである「骨肉腫」と診断されます。医師から病名を告げられた当初は実感がなかったそうですが、「命を守るために抗がん剤治療を始めます。治療は長くなります」と説明を受けた瞬間、高校生活や友人との時間、将来の夢など、それまで当たり前だった日常が一瞬で変わることに、頭が真っ白になりました。

精神的に最もつらかったのは、家族の姿でした。
大塚さんは「両親は私の前では気丈に振る舞っていましたが、不安や悲しみを抱えていたと思います。今振り返ると、私以上に家族の方が苦しかったのでは…と感じています」と語ります。

一方、身体的に最も苦しかったのは、術前5クール、術後3クールの計8クールにわたる抗がん剤治療の副作用でした。体重は10kg以上落ち、食事ものどを通らず、ベッドから起き上がることさえ難しい日もありました。

そんな中で支えになったのは、「家族の存在」「同じ病気と闘う仲間」「担当の看護師さん」、そして「絶対に乗り越える」という自分自身の強い気持ちでした。当時は思春期で気持ちのやり場がなく、看護師さんに強く当たってしまったこともあったそうですが、本音を話せたことは精神的にとても大きな支えになったと振り返ります。

悩み抜いた末に選んだ決断

病気は寛解したものの、大塚さんは人工膝関節の感染と炎症を12年以上繰り返していました。発熱や腫れ、痛みが続き、抗生剤で症状を抑える生活を送るなか、医師からは「いつか切断が必要になるかもしれない」と伝えられていたそうです。

そして33歳の夏、39度近い高熱が出て入院。3ヶ月間、1日3回の点滴治療を続けても炎症は治まらず、医師から「人工関節を入れ替えて治療を続けるか、それとも切断するか」という選択を提示されました。

「本当に悩みました」と語る大塚さん。それでも、これから先の人生を考え、「自分らしく生きるため」の選択として、33歳で右足の切断を決意します。

切断直後(@gisoku_maemukiさんより提供)

切断を決めるうえで最も怖かったのは、医学的なことではなく、「父親として、家族にどう見られるだろうか」ということでした。義足になった自分を奥さんや子どもたちがどう受け止めるのか、父親としての役割を果たせるのかという不安が、何よりも大きかったといいます。

そんなとき、奥さんから「どんな道でも、私は応援するよ」と声をかけられました。その一言で、切断という決断を前向きに受け止める覚悟ができたと明かします。

家族で(@gisoku_maemukiさんより提供)

前向きに歩み始めた義足生活

義足になって最初の1〜2年は、慣れない生活に苦労したと話す大塚さん。

切断手術で残った脚の先端部分の形が安定せず、義足が合わなくなることも多く、痛みや歩きづらさに悩まされました。当初は数歩進むだけでも必死で、転ぶこともあり、以前のように動けない自分に落ち込むこともあったのだとか。

義足になって(@gisoku_maemukiさんより提供)

しかし、少しずつ歩けるようになり、仕事にも復帰。子どもたちとも遊べるようになりました。

そんなある日、奥さんから「義足になってからのほうが明るくなったね」と言われたそうです。その言葉について、大塚さんは「感染の不安から解放され、前向きに生きられるようになったことが大きいからだと思います」と語ります。

現在も、夏場は汗で義足がずれやすくなったり、長時間歩くことで皮膚に負担がかかったりするほか、見た目では分かりにくい痛みや幻肢痛(足があるように感じる痛み)に悩まされることもあるとのこと。

一方で、「周囲の理解が広がれば、もっと暮らしやすい社会になるとも感じています」と話していました。

家族で(@gisoku_maemukiさんより提供)

「障がい=不幸」ではないことを伝えたい

現在は「義足パパ」として活動し、「不便だけど、不幸じゃない」をテーマに全国の学校や医療機関などで講演活動を行うほか、義足モデルとしても活動。
「義足は隠すものではなく、自分らしさの一つ」という前向きなメッセージを発信しています。

義足モデルとして活動(@gisoku_maemukiさんより提供)

こうした活動を始めたきっかけは、義足になって間もない頃、街中で見知らぬ人から「かわいそう」と言われたことでした。

もちろん悪気があって言ったわけではないと思いますが、大塚さん自身は家族にも恵まれ、仕事もあり、毎日幸せに暮らしていたため、複雑な気持ちを抱えます。

その経験をきっかけに、「障がいがあるだけで、かわいそうだと思われてしまう社会を変えたい」と強く思うようになりました。だからこそ、活動を通して「障がい=不幸」ではないこと、そして見た目や障がいだけで人を判断するのではなく、その人自身を知ろうとすることの大切さを伝え続けています。

講演会(@gisoku_maemukiさんより提供)

「私自身の人生を通して、障がいがあっても自分らしく幸せに生きられること、一人ひとりの違いには価値があることを、多くの方に届けていきたい」と話します。

今後は、看護大学や看護学校、医療従事者向けの研修などにも講演活動を広げていきたいと考えています。

大塚さん自身、闘病中に看護師さんの何気ない声かけや笑顔に何度も救われました。その経験から、未来の看護師や現役の医療従事者へ「患者さんに寄り添うことの大切さ」や、「何気ない一言や関わりが患者さんの人生を支える力になる」ということを、自身の体験を通して伝えていきたいといいます。

また、学校での講演を通して、一人でも多くの子どもたちが、見た目や障がいだけで人を判断せず、お互いを尊重できる社会をつくるきっかけになればうれしいとも話します。そして、「『義足パパ』といえば大塚一輝と言っていただけるような存在を目指し、これからも一つひとつの講演を大切に続けていきたい」と語ってくれました。

自身の経験を伝え続ける大塚さんの活動は、自分らしく生きることや、多様性について考えるきっかけを与えてくれるエピソードでした。

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