現在23歳の未来(みらい)さんは、704gで生まれました。出生時に酸素が十分に届かなかったため脳性麻痺と診断され、軽度の知的障害やてんかんも抱えています。
車いすと杖を使い薬を飲みながらの生活ですが、いじめや不登校を乗り越え、周囲の支えの中で「今を楽しむことができている」と語ります。
さまざまなことに挑戦していく未来さんに話を聞きました。
脳性麻痺、軽度知的障害、そしててんかんも…
未来さんは、保育園や小学1年生のころから「自分は他の子と少し違う」と感じていました。小学2年生の授業で生い立ちを振り返る機会があり「脳性麻痺」「知的障害」という言葉を知ります。中学1年生になると、ようやく自分の症状について詳しく理解できました。

未来さんは軽度知的障害と診断されており、計算や漢字の読み書き、金銭管理が苦手です。さらに中学生のころには、てんかん発作が増えました。
てんかんの症状は人によって違いますが、未来さんの場合は、めまいや吐き気の後に全身が硬直してけいれんが起こり、意識を失って倒れることもあります。緊急搬送されたこともあり「初めての発作はとても驚いて、怖かったです」と振り返ります。
幼少期から毎月通院していたため、病院は生活の一部でした。中学生になると、月1回の大学病院での受診と薬の受け取りに加え、半年に1回は脳波や血液検査で薬の効果を確認していたといいます。

未来さんは仮死状態で生まれ、すぐに保育器での生活が始まりました。家族は大きなショックを受けながらも状況を理解し、脳性麻痺と診断された後も「少しでも歩けるように、運動機能を保てるように」とリハビリに連れて行くなど、支え続けてくれていました。未来さんの両親は「できることは自分でしよう」という厳しくも前向きな方針で育てられました。

未来さんは「今振り返ると、私ができることが増えるように、ほどよい距離感で見守ってくれていたんだなと感謝しています」と話していました。
高校からは支援学校に進学
未来さんは困難を抱えながらも学校に通い続けました。体力や動きの面で周囲と同じペースで動くことが難しく、体育や移動は特に大変だったとのことです。
「時間がかかって授業に遅れてしまうこともあり、悲しかったです…」と、悔しい思いをしながらも、友人や先生の支えが励みになりました。小・中学校は地域の学校へ通い、高校からは車いすユーザーが多い学校へ進学。サポート体制が整い、やりたかったスポーツにも打ち込むことができました。

高校3年間続けたのは卓球バレーで、高校2年生で全国大会にも出場して大切な思い出になりました。

現在、未来さんは社会人5年目として事務補助の仕事に従事。デスクワークが多い仕事で体が硬くなりやすいため、歩く時間を増やすことや、外出先で立つ機会を見つけて体を伸ばすことを意識しています。さらに、すり足になりやすいため、できるだけ足を上げて転倒を防ぐ工夫もしていると教えてくれました。
同じ障がいの人たちに「希望を持ってほしい」
小学6年生のころ、友人関係がうまくいかず、つらい時期を過ごした未来さん。学校に足が向かなくなる日もありましたが、SNSの言葉に励まされたり、カウンセラーや兄弟、お兄さんの友人の支えを受けたりしながら、少しずつ学校に戻ることができました。
その経験から、支えてくれた人への感謝を伝えたい気持ち、そして自分の歩みを記録したい思いが芽生えます。同じような思いを抱える人に少しでも希望が届けばと願い、未来さんはSNSでの発信を始めました。

未来さんはSNSを通して「やりたいことを全力で。後悔しないよう、今できる瞬間を大切にしていろいろな経験をしよう!」という思いを発信しています。
その背景には、東京で開催されたイベントに「行きたい、新しい挑戦をしたい」と強く思った経験がありました。しかし、一人で行くのは不安で「私には無理かもしれない」と自信を持てず、両親にも反対されて大号泣するほど落ち込んでいました。
そんなとき、お兄さんと大好きなおばあちゃんが「挑戦してみてもいいんじゃない?」とさりげなく後押ししてくれていたことを後から知り、とても嬉しく感じたといいます。
お兄さんは県外の大学院に進学して忙しい今でも、ふと心に響く言葉をかけてくれる存在で、小さい頃からリハビリや入院で寂しい思いをさせてしまったのに、障がいではなく“一人の人”として接してくれたことが何より心強かったそうです。
悩んでいた時期には友人も話を聞いて支えてくれ、さらに恩人となる看護師ご夫婦との出会いにつながっていきました。
ご夫婦に思いを打ち明けると「私でできることがあるならサポートしたい」と心強い言葉をかけてくれ、事前準備を手伝ってくれたうえ、東京に到着した際には空港まで迎えに来てくれたそうです。そのおかげで、2泊3日を安心して過ごし、ついにイベント参加という夢を叶えることができました。
支えてくれた人たちとのご縁が、未来の挑戦を後押しした
「そのイベントに参加できたことで、今の私があります」と未来さんは話します。初めて参加したそのイベントは、未来さんの世界を大きく広げてくれた“大好きな場所”でもあります。そこで出会った方々と共に運営にも関わることができた経験は、未来さんにとって大きな喜びとなりました。新しいつながりが生まれ、応援してくれる人や大切な友人も増えたといいます。
また、学生時代から続けていた動画編集では「一度やってみない?」と声をかけてもらったことをきっかけに、Instagram・TikTok・YouTubeの動画編集としても活動の幅が広がりました。未来さんの想いに向き合い、丁寧にフィードバックをくれる大好きな方々のもとで編集に携われることに「嬉しいし、幸せです」と明かします。
これらの経験を通して「やりたいことは、言葉にして動けば叶う」と強く実感した未来さん。今後は、自分の想いや経験をもっと多くの人に届けることを目標に、講演活動や誰もが過ごしやすい居場所づくりにも挑戦したいと考えています。さらに、海外旅行やイベントでの登壇、本の出版、動画編集の研究など、挑戦したいことは尽きません。
「これからもいろいろな形で発信していきたいです」と力強く話していました。
車いすや杖での移動が必要ななか「行きたい」という気持ちを形にした未来さん。その経験は、多くの人にとって学びや気づきのある出来事だったのではないでしょうか。
今後も、誰もが安心して参加できる環境づくりや、多様な挑戦を後押しできる仕組みについて考えるきっかけになれば幸いです。

