飲酒後、ふらつく体に違和感を抱いた3年後… →医師「治療法のない、進行性の病です」判明した病とは  「それでも毎日楽しく生きていきたい」現在の活動を前向きに発信する男性に迫る

飲酒後、ふらつく体に違和感を抱いた3年後… →医師「治療法のない、進行性の病です」判明した病とは  「それでも毎日楽しく生きていきたい」現在の活動を前向きに発信する男性に迫る
落水さん(落水さんより提供)

PLS(原発性側索硬化症)という100万人に一人の難病と向き合っている、落水(おちみず)洋介さん。

この病気の治療法は見つかっておらず、徐々に手足が動かなくなり、言葉も失われ、やがて寝たきりになる病気です。
「そんな病気になったけど、毎日楽しく生きていきたい」と落水さんは語っています。

毎日楽しく生きるという言葉の根底には、どのような思いがあるのか、その経緯やきっかけなどについて聞きました。

PLS(原発性側索硬化症)と診断されるまでに3年弱

症状が出て2年で車いすに(落水さんより提供)

落水さんは33歳くらいのころ、お酒を飲んで酔っぱらったときに転ぶようになり、お酒が弱くなったと感じることがありました。その一年後には、お酒を飲んでいなくても転んだり、足が動きにくくなったりして、周りの人から見ても「歩き方がおかしいよね」と言われるように。

「今思えば、それが始まりだったと思っています」と落水さん。足が前に出づらかったり、走れなかったり、そのような感覚だったと話します。

落水洋介さん(落水さんより提供)

そうした症状が出始め、家族から「明らかにおかしいんじゃない?」と言われたことがきっかけで、病院に行きました。しかし、病院で症状名は出ても、病名がつくまでには3年弱くらいかかったのです。

病名がつくまでの間は、落水さん自身も今後どうなるか分からず、年金や障がい者手帳など、病気に関する手続きも進められない状態でした。そのため、病名が判明したときは、年金や手当ての不明瞭だった部分が明確になったことで、安心感を得られたと振り返ります。

症状が出てから2年で車いすに(落水さんより提供)

症状が出てから2年で車いすになったという落水さん。
「症状が進んでいるのはわかっても、保障や手続きが一切できない状態の時が一番怖かったです」といいます。

現代ではYouTubeなどで難病の人たちも情報を発信していますが、落水さんがPLSが進行性の病気だと知った10年前には、そうした人たちがほとんどいない状態。

そのため、何ができるか考えるまでに、時間がかかりました。

24時間ヘルパーさんがいる状態で一人暮らしを…

落水さんは現在、24時間ヘルパーさんがいる状態で一人暮らしをしています。その理由は、奥さん、子どもに介護してもらうことを望まなかったからです。

また、両親に世話になることも避けたかったため、一人暮らしをずっと目標としていました。しかし、夢だった一人暮らしでも、24時間そばに人がいる状況もしんどいと話します。

「慣れない部分も今はいっぱいありながら全員がいい生活になる方法を探しています。みんなが気持ちよく過ごせるように取り組んでいるところですね」と話していました。

「寝たきりになっても楽しく生きる」

落水さんが「寝たきりになっても楽しく生きる」と前向きに考えられるようになったのには、あるきっかけがありました。

発症当初は現実を受け入れられず、落ち込む日々が続いていました。
しかし、車いすでの生活を続けるうちに、「電動車いすがあれば、行きたい場所にも行けるし、会いたい人にも会える」と気づきます。
そこで「どうせなら、かっこいい車いすに乗りたい」と役場や病院に相談しましたが、前例がないことを理由に断られてしまいました。

それでも落水さんは諦めませんでした。
「前例がないなら、自分で作ればいい。僕と同じように困っている人もきっといるはずだ」と思い立ち、その思いを言葉にしてみようと決意します。
そして、「書くことで自分の未来が動き出すかもしれない」と感じ、ブログを始めたのです。

落水さん(落水さんより提供)

ブログは、落水さんらしくユーモアを交えて投稿していました。
するとそれを見た友人が次々と会いに来てくれるようになり、そこでみんなが口をそろえて言ったのは
「お前を見てたら勇気をもらえる。こっちが頑張れるわ」
という言葉でした。

応援しているつもりが、いつの間にか自分が応援されていた。
その出来事が、落水さんの心を大きく動かしました。

もともと営業の仕事をしていた経験もあり、「自分の体験を話すことで、誰かの力になれるかもしれない」と思い始めます。
さらに「これを仕事にできないだろうか」と考え、友人に相談したことをきっかけに、講演会の開催や、福祉事業所・福祉企業団体への広報支援といった活動が始まりました。

講演会①(落水さんより提供)

こうした出会いと経験を重ねるうちに、落水さんの中に「今が一番幸せだ」という気持ちが芽生えていきます。
「みんなが来てくれたことで、感謝の気持ちさえあれば、どんな状態でも幸せなんだと気づいたんです」と話します。

講演会②(落水さんより提供)

いま、落水さんの支えになっているのは、“応援の力”と“感謝の力”。
「自分の体験がいろんな人とつながって、安心感がどんどん広がっていきました。『寝たきりでも大丈夫』『なんとかなる』『今が一番幸せ』と思えるようになったんです」と笑顔を見せます。

実際に、寝たきりの状態でもできる仕事を生み出しているという落水さん。
30歳の頃、情報を調べる力はあっても、医療や行政の仕組みについてはわからず「情報難民」になってしまう現状を痛感したそうです。
「自分と同じように、情報がなくて諦めて家にこもってしまう人もいるかもしれない」と感じ、まずは“情報発信の場”を作ろうと決意します。

そこから、フリースクールやフリーマーケット、子ども食堂の運営など、地域を支える活動にも広がっていきました。
「誰もが関われる“おもしろい場所”をつくりたい」と語る落水さんの挑戦は、今も続いています。

サッカー選手のパフォーマンスで…

あるとき、友人で元日本代表のサッカー選手が、試合で日本最多ゴールを決めた際に、ユニフォームの下から落水さんの名前と「負けるな」と書かれたシャツを掲げるパフォーマンスをしてくれました。

その瞬間がテレビ中継で流れると、翌日のブログアクセス数は一気に跳ね上がりました。
それをきっかけに、全国から病気や生活の相談が寄せられるようになり、医療関係者からも多くの情報が届いたといいます。

「僕の“明日”を見てくれる人が増えたんです」と落水さんは語ります。

サッカー選手のパフォーマンス(落水さんより提供)

落水さんの発信を見て「自分も前を向こう」と希望を持つ人も少なくありません。
「そうやって誰かが前向きになってくれることが、僕自身の生きる喜びであり、これからも生きていく力になっています」と話してくれました。

現在は講演活動を通じて全国を回っており、「全都道府県で講演を行うこと」が次の目標です。
さらに「海外にも行って、自分の言葉を届けたい」と新たな夢も語っていました。

落水さん(落水さんより提供)

今は寝たきりではないものの、一度横になると起き上がるのは難しいといいます。
「お風呂にも自分では入れず、一つ山を越えたらまた次の大きな山がある。その繰り返しです。『今が一番幸せ』と言いながらも、しんどいと感じることもあります。でも、たとえ体が動かなくなり話せなくなっても、『今が一番幸せ』と思える環境を必ずつくりたいんです」と前を見据えます。

落水さんの写真は、どれも笑顔であふれています。
その笑顔は、「どんな状況でも幸せを見つけられる」という生き方そのもの。
私たちは日々の暮らしの中で、「なんて幸せなんだろう」と感じる瞬間を、どれだけ大切にできているでしょうか。
落水さんの姿が、“幸せとは何か”を改めて考えるきっかけを与えてくれます。

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