アクロメガリーという難病を知っていますか?
アクロメガリーは先端巨大症ともいわれ、脳下垂体にある良性の腫瘍が成長ホルモンを過剰に分泌することで引き起こされる病気です。症状として、前頭部や下顎が突出したり、鼻・口唇・耳が分厚くなったりする顔貌の変化、さらに手足の肥大、発汗、月経異常などが見られます。
代謝の異常から糖尿病、高血圧症、高コレステロール血症を併発することも多く、それらをすべて経験してきた山中登志子さん(以下、山中さん)。
発症率は年間100万人あたり3~4人という病気と、40数年付き合ってきた山中さんに話を聞きました。
思春期で太ったせいだと…
16歳までの山中さんは、病気知らずの元気な女の子でした。
中学入学時は、142cmで36kg、高校卒業時には170cmで80kgを超え、6年間で大きく成長します。顔や手足も大きくなり、容姿と体型の変化、月経不順は思春期で太ったせいだと思った山中さんは、ダイエットに励むことにしました。
急激な容姿の変化には周囲も驚き、物珍しく感じていたのだろうと山中さんは話します。その影響で、心ない視線や言葉を多く投げかけられたそう。
しかし、16歳の思春期に訪れた変化は、太ったせいではありませんでした。
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山中さんは大学2年の22歳のときに、大学の健康診断で腎臓病と糖尿病の疑いがあると言われ、精密検査を勧められます。そこでアクロメガリーと診断されました。糖尿病は、アクロメガリーの合併症だったのです。
そして、22歳、32歳、37歳に2回、計4回の脳腫瘍手術を経験します。
32歳から5年間は、成長ホルモン抑制と1日7回の自己注射を続ける毎日でした。
山中さんは「これが一生続くのかと思っていた時期もありました」と振り返ります。
その後、出会うことができた脳外科医に手術をしてもらうことができましたが、手が出せない腫瘍があったため「今でも脳の中で巻きついて残っています」と語ります。
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また、54歳のときには、心室の筋肉が収縮しにくくなり、心臓の内腔が拡張する「特発性拡張型心筋症」とわかりました。
現在、脳腫瘍と心臓病という2つの指定難病の患者で、身障者手帳をもって過ごしています。
「人生こんなはずではなかったと思うこともあります。それでもありがたいことに、投薬で落ち着いて過ごせていて、よく寝て、ご飯を美味しく食べて、快便だったら幸せだと思える日々です」
山中さんは「諦めない、でも闘いすぎない」というバランスで、できるだけ病気のことを忘れて過ごすようにしています…と話してくれました。
アクロメガリーと向き合う中で
アクロメガリーは少しずつ進行するため、周囲からも気づかれにくい病気です。山中さんも「痩せれば戻るよ」「思春期だから仕方ない」と言われ続け、長い間ダイエットに励んでいました。
合併症は手術で改善されたものの、最も大きな課題は容貌の変化でした。
「これは自分の本当の顔ではないと思いながらも、新しい顔を受け入れて生きていこうと決めました。顔が変わったことを1日たりとも忘れたことはありません」と語ります。
4回目の手術後に体調が回復してきた頃、同じ病気の患者のブログを通じて仲間と出会い、それが※『下垂体患者の会』の発足につながりました。そこで知ったのは、発症の経緯や症状が人によって大きく異なるという事実です。
それまで「病気の説明は難しい」「理解されない」と思い、周囲には語ってこなかった山中さん。しかし、患者会の活動をきっかけに「自分の顔を出してでも伝えよう」と決意します。
40歳のときにはメディア出演や書籍執筆を始め、病気を社会に広める啓発活動に取り組むようになりました。
※下垂体患者の会
間脳下垂体疾患を持つ患者さんとその家族が、病気に関する情報交換、同じ悩みを持つ人々との交流、医療機関や製薬会社と連携した講演会の開催、そして医療制度の充実などを通して、より良い生活を送ることを目指す患者団体
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患者会の声が届き、特定疾患に指定
2005年の『下垂体患者の会』の発足から4年で、アクロメガリーは特定疾患に指定されました。医療費助成を受けられることで、数百万円と高額な薬価の悩みが一つ解消されたのです。
山中さんは「患者、特に難病患者は、心と体の健康だけではなく、経済の健康も考えないといけないと思うようになりました」と語ります。
病気のことを話すようになってから、山中さんの表情は22歳当時の険しさとは大きく変わり、今は柔らかな顔つきになったといいます。さまざまな出会いや経験を経て、人と比べすぎず「自分の顔をもっと大切にしてあげたい」と思えるようになったのです。
「いまだに自分の顔を好きにはなれませんが、好きになってあげたいと思うようになって10年以上になります」と話していました。
「福祉美容師」としてヘナ染めを伝えていきたい
35年以上、編集者として現在も活動している山中さんは53歳のとき、美容師の免許を取得しました。
思春期にアクロメガリーを発症してからは、鏡や写真を見ることすらつらく、美容室も苦手な場所だったといいます。そんな過去を振り返り「悩みを抱える人を美容師として支えたい」と思うようになり、50歳で美容学校へ入学。
10代の若者に囲まれて学んだ3年間は、円形脱毛症になるほど大変な日々でした。
「もし私が難病にならなかったら、それも顔が変わる病気に出会わなかったら、美容師になることはなかったでしょう。そう思うと病気とも不思議な出会いです」
山中さんは、植物染料ヘナ(毛染め)を広めたくて「ヘナ染め専門美容師」を目指しました。しかし、免許取得直後にコロナ禍、そして心臓病と診断されたこともあり、ヘナのポータルサイト「ヘナ愛」を立ち上げることに。
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また、山中さんは美容師になるうえで病気で見送った両親との心に残っているやり取りがありました。
クモ膜下出血で意識がないお父さんが入院中、病院の理容師に「(お父さんは意識がないから)どうせわからないでしょう」と言われて、髪の毛を丸坊主にされそうになったことがありました。山中さんはその様子に悲しみと怒りを覚え「だったら自分が心も汲み取れる美容師になる」と決意したことを明かします。
多発性骨髄腫で療養していたお母さんには、山中さん自ら毎月ヘナで白髪染めをしていたおかげで、周囲から最期まで「髪がキレイね」と言われ、若々しく過ごすことができたそうです。

山中さんはこの出来事からいくつになっても、病気をもっていても「キレイね」「カッコいいね」と言われる人生を送ってもらいたい…と思うようになりました。
「福祉美容師として、高齢者や障がい者の方にヘナ染めを伝えるのが、残された人生での目標です」と語ります。

病気や容姿の悩みを抱える人へ
山中さんは病気を抱えている人や、容姿を気にしてしまう人に伝えたいことがあります。
それは「ままならない病気になったけれど、何かいいことがないかと探してきました。病気で諦めたことは数知れません。でも、別の扉が開くことも感じています。みなさんにも何かきっとあるはず。置かれた場所で、扉を見つけてみませんか」ということです。
残りの人生も「ラッキーもアンラッキーもすべてチャンス!」と言えるように過ごしていきたいです…と語ってくれました。
山中さんは「健康が当たり前だと思っていたのがそうではなかった」とも語っていました。本当に人生で何が起こるかはわからず、健康でいられることも当たり前ではないと感じます。また、アクロメガリーという病気への理解も必要だと感じた人も多いのではないでしょうか。

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