「ブラインドボクシング」を知っているだろうか。アイマスクをした選手が、首に鈴をかけたトレーナーに対してその鈴の音だけを頼りにパンチを打ちこみ、コンビネーションの正確さやフットワークなどを競うスポーツだ。主に視覚障がい者に向けて考案された日本発祥の競技で、対面するトレーナーは防御に徹して攻撃はしてこないため、安全性も担保されている。

このブラインドボクシングやボクシングトレーニングを通して、障がい者の自立支援に奮闘している男性がいる。元プロボクサーの村松竜二さんだ。

2018年に立ち上げた、東京都昭島市にある自身のボクシングジムを拠点に、活動に邁進する村松さんに迫った。

障がい者支援に携わるようになったきっかけ

村松さんは36戦を戦い抜き、日本ライトフライ級1位にまで上り詰めた元国内トップボクサー。現役引退後に後輩に誘われ、障がい者自立支援施設でのボクシングトレーニングを手伝ったのが、現在に繋がるきっかけとなった。

何気なく参加してみると「障がいを持っている方々が目をキラキラさせながらパンチングミットに向けてパンチを打っている」、そんな光景に驚いたという。そして参加し始めて何回目かのとき、こんな出来事があった。

「知的精神障がいをお持ちで表情も乏しかった方に『パンチを打つときはどういう顔をすればいいんですか?』と聞かれました。長いことボクシングをやってきましたが、そんなことを聞かれたのは初めて。悩んでから『いいパンチを打てばミットからいい音が鳴るから、そういうときは笑ったらいいし、鈍い音だったときはあんまりよくないパンチだから、納得いかない顔をすればいいんじゃないかな』と答えたところ、その方はいいパンチが打てたらその通りに笑顔を見せてくれたんです。その時に『あ、これは俺が続けていかなくちゃいけない活動なんだな』と感じました。『自分が打ち込んできたボクシングで、障がいを持つ方々の自然な感情や持っている力を引き出し、彼らが輝くお手伝いができるんだ』と」

村松さんがボクシングを通した障がい者支援に携わるようになったのにはもう一つ理由がある。実は村松さん自身にも障がいがあるのだ。

プロ7戦目の試合を1週間後に控えた練習の帰り道、ひき逃げ事故に遭った。大型トレーラーに倒されて左手の腱を4本損傷し、左手首が内側に曲がらなくなる障がいを負ってしまう。左手の握力も大きく低下し、左拳は満足に握ることもできなくなった。
以来、左手での有効なパンチは打てなくなり、ほぼ右手一本で戦わざるを得なくなる。

さらにキャリア後半には眼窩底骨折によって右目外側の視野も失ってしまう。それでもこれらのハンデを隠し、残った右拳を鍛え抜き、立ち位置やパンチの打ち方も工夫するなどして戦い続け、国内トップ選手として活躍した。左手関節機能全廃の障がい者手帳を取得したのも、現役を引退して20年以上経ってからのことだ。

現役時代の村松さん

「そんな自分だからこそ伝えられることがあるんじゃないかと思ったんです。障がいがあるからできないと諦めるのではなく、残された他の感覚や能力を最大限に生かしていけばいい。そうすればできることはたくさんあります。それをボクシングを通して伝えています」

ジムに貼ってある村松さんの心訓。この精神を伝えている

トレーニングは笑顔で楽しく

取材に行った日は、弱視の障がいを持つ関章芳さんがブラインドボクシングのトレーニングをする日だった。その様子を見学させてもらった。

前半はシャドーボクシングやミット打ちといった健常者のボクシングと変わらないメニューをこなし、後半は村松さんや他のトレーナーを相手にしたブラインドボクシングのスパーリング。関さんは視覚に障がいがあるとはとても感じさせない軽快な動きで村松さんを追いかけ、バシバシとパンチを当てていた。

関さん(左)のブラインドボクシングのスパーリングパートナーをする村松さん(右)

印象的だったのは、雑談を交わしながら終始とても和やかな雰囲気の中でトレーニングが行われていたことだ。村松さんはこう話す。

「まずは笑顔で楽しんでもらうことを大切にしています。やっぱり楽しくないと続かないですから。どんなスポーツでもきつい部分はありますが、そんな中でも笑顔があればやり切ることができます。トレーニング中は冗談などを言い合ってコミュニケーションを取ったり、きつそうな顔をしていたら『はい!笑って!』と声をかけたりして、笑顔で楽しく取り組んでもらえるように心がけていますね」

休憩中も笑いが絶えない

関さんはブラインドボクシングを始めて4年ほどになる。続けられている理由を聞くと、村松さんの言葉通り「何よりも楽しいから」と教えてくれた。ブラインドボクシングをきっかけに運動習慣だけでなく自信もつき、2024年2月には村松さんの伴走で10kmのマラソンにも挑戦するそうだ。

トレーニング後はスタッフみんなでジムの最寄り駅まで送っていく

過去には怪我をして車椅子生活になってしまい、医師から「もう一生立って歩くことはできない」と言われた知的障がいを持つ方がいた。しかし村松さんのサポートのもとボクシングトレーニングを重ねることで、足を引きずりながらも歩を進められるまでに改善したという。

村松さんのジムの特徴

楽しんでもらう以外にも、村松さんは活動で意識していることがある。

「自分でできることは自分でやってもらいます。脳性麻痺で身体が不自由な練習生もこのジムに通っていますが、たとえば歩いて物を取りに行けるのであれば、多少時間がかかってでも自分で歩いて取ってもらいます。視覚障がいを持つ方たちも自分でグローブを外してリングを降りて自分の荷物を探していますよ。場所がわからなくなったり危ない場面など、手助けが必要なときはもちろんサポートします。だけどそうでないなら基本的に自分でしてもらっています。このジムは障がい者の自立を促すジムです。本来はできるはずなのになんでもかんでもやってあげていたら、彼らの自立する力を奪ってしまいます。表面的な『優しさ』は優しさじゃないんです」

そうは言うものの、他のスタッフからは「会長は優しすぎる。心を鬼にすることも愛情」と注意されることもあるんだとか。

「心配でどうしてもすぐ手助けしたくなっちゃうんですよね。でも最近はその気持ちをグッとこらえて、やっと自分も『プチ鬼』になれてきました(笑)」

村松さんのジムには特徴的な点がもう一つある。障がい者の練習生を軸に、一般の練習生も受け入れているため、障がい者と健常者が同じ時間にトレーニングしているのだ。

「これは障がい者と健常者の間にある壁をなくすことを目的としています。一般の練習生が障がいを持っている方の指導をしてくれることもありますし、足に障がいを持つ練習生がリングを降りるときなどは、健常者の小学生の練習生が、こちらが何も言わなくても自分からロープを下げてサポートしていたりもしますよ」

取材に行った日も、18時からは全ての練習生を受け入れる時間だったため、知的障がいを持った練習生たちと一般の練習生たちが共に汗を流していた。

障がいの有無を問わず、さまざまな人が一緒にトレーニングに励む

ジムの外へと広がり始めた活動

障がい者支援を中心に据えて運営しているボクシングジムは、村松さんのジム以外には見当たらない。前例のない中、日々手探りだ。

しかし現在、活動への認知は着実に広がりつつあり、賛同者も増え、ジム外での活動の機会も増えてきている。2022年8月には後楽園ホールで行われたプロボクシングの興行にて、ブラインドボクシングを披露。一般社団法人ブラインドボクシング協会の会長も務める村松さんの夢は、ブラインドボクシングをいずれパラリンピック種目にすることだという。

「ボクシングの聖地」、後楽園ホールでブラインドボクシングを披露した(撮影:福田直樹)

そして2023年12月には小学校から招かれ、5・6年生へ向けて初の公開授業を実施した。村松さんが講演を行い、関さんをはじめとした視覚障がいを持つ練習生たちも体験談を直接伝え、さらには児童たちにブラインドボクシングの体験もしてもらった。子どもたちに対して障がい者への理解を促すことが目的だ。

公開授業で講演をする村松さん

児童たちはアイマスクをしてブラインドボクシングを体験。保護者もその様子を見学

「障がいを持っている部分を少しサポートするだけで、障がい者はその持っている力を発揮することができます。障がい者についての理解が進めば、障がい者も健常者も共に支え合い、認め合うことがもっと当たり前になっていくはず。そんな共生社会を実現していきたいと思っています」

障がい者の自立支援、そして健常者に対する障がい者への理解の促進。ボクシングを通してこの両輪を推し進め、すべての人が活躍でき、輝ける世界の実現を目指して、村松さんは今日もパンチングミットを持つ。

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