アルゼンチンの優勝で幕を閉じた、サッカーFIFAワールドカップ(W杯)カタール大会。盛り上がりを見せたW杯の裏側で、開催地のカタールへ、被災地の子どもたちを招待するというプロジェクトがサポーター有志によって進められていました。プロジェクトを企画した角田寛和さんに、活動への思いを聞きました。

被災地の子どもたちを現地へ

2022年「トモにカタールへ」のプロジェクトでは、震災や水害を経験した5つの地域(岡山県倉敷市、宮城県女川町、福島県南相馬市、愛媛県宇和島市、熊本県球摩村)から学生たち8人がカタールを訪問しました。

現地では、ドイツ、コスタリカ戦の観戦の他、カタール大学や日本人学校で、自らの被災体験や被災地の現状を、英語や日本語でスピーチしました。8名の子どもたちの渡航費と滞在費は、企業や協賛、募金、クラウドファンディングで集められました。

被災地5地域8人の子どもたちが、カタール大学で被災地の話、今の現状、世界に感謝の気持ちを英語で伝えた(提供:角田さん)

「一緒に行った8名の子どもたちの間に絆ができました。他地域の被災地の様子を知って、『僕も被災地支援に連れて行ってください』と行った真備の高校生や、『福島のことがまだまだ伝わっていなくて、もっとがんばらなきゃと思いました』と話してくれた南相馬の子。伝える、相手を知る、そのことが行動につながるのだと感じました」

現地では、日本人に馴染みが浅いイスラム文化も体験した子どもたち(提供:角田さん)

そう話すのは、このプロジェクトの企画者で、「ツンさん」の愛称で親しまれている角田寛和さん。今回のカタール大会で、東アジアから唯一のFIFA公認のファンリーダーに任命されていたサポーターです。

「トモにカタールへ」を企画した角田さん(右) 提供:角田さん 撮影:shigihara

ツンさんは過去にも、2014年に宮城県牡鹿半島の4人の中学生をブラジル大会に、2018年に福島県南相馬の3人の中学生をロシア大会に、全国のサポーター仲間などから募ったお金で、現地に招待した経験があります。

トレードマークはちょんまげ姿 

ツンさんがサッカー観戦に興味をもったのは今から29年前。W杯開催地であるカタールの首都・ドーハで、サッカー日本代表が初の本選出場を惜しくも逃した1993年の「ドーハの悲劇」でした。予選敗退した際に泣き崩れる選手の姿をテレビで偶然見たツンさんは、それ以来W杯に興味をもち、現地観戦をするサポーターとなりました。

ツンさんのトレードマークは、手作りの青いよろいとちょんまげのカツラ姿。サポーターの間では、ちょんまげ隊長とも呼ばれています。   

「世界各国のサポーターの自由な応援スタイルに刺激を受けました。日本人は何かなと思い、出てきたのがサムライでした」

ちょんまげ姿は2008年の北京五輪から。自国のアイデンティティを背負って観戦する他国のサポーターから影響を受けた(提供:角田さん)

東日本大震災の被災地で…

そんなツンさんが、被災地の子どもたちをW杯に招待する企画に至るには、2011年の東日本大震災が大きく関係しています。

「どうしようもないあの状況を見た時、アンチボランティアだった自分も、人生に1度くらい偽善をしてもいいかなと思い被災地に行きました」

千葉県で靴屋を営むツンさんは、震災後まもなく、大量の靴を車に乗せ、被災地に200足ずつ靴をおろしていきました。被災地は、真っ暗で、あちこちに瓦礫が残り、大変な状況だったそうです。

宮城県牡鹿半島の被災当時の様子(提供:角田さん)

「子どもの学びの場はなくなり、寒い体育館に、自分の子どもと同じ年齢の子がうずくまっているんです。なんとかしたいと思いました」

ツンさんは持ってきていたちょんまげのカツラををかぶりました。すると、暗い表情をした子どもたちは、ちょんまげ姿のツンさんを見て大喜び。以来、子どもに伝えた「来週もまた来るよ」を約束に、週末を利用して100往復以上、被災地に足を運び続けました。

被災地では、衣食住の安定させるための、泥出し、炊き出しの他、中古の洗濯機などを仲間と資金を出し合って運んだり、目の前の困りごとを解決するために支援を続けてきました。支援がなかなか入らない地域や復興のめどが立たない状況を目の当たりにし、無力感を感じることもあったそうです。

そんな中で、宮城のサポーターに誘われた被災後のサッカー観戦。「サッカーどころじゃない」と思いながら、足を運んだスタジアムには満員の人がいました。

「みんな一瞬でも今の状況を忘れたいという思いで観に行っていたのだと思う」

ツンさんは、被災地の方々の心のケアをする一環で、子どもたちをスタジアム、水族館、陶芸教室など、被災地から外に連れ出す活動をはじめました。それが、子どもたちをW杯に連れていくというプロジェクトにつながっていきます。

被災地福島の子どもたちを愛媛の試合に招待(提供:角田さん)

被災地に光を、子どもに究極の体験を

2011年の東日本大震災以来、宮城、福島、熊本、愛媛など様々な地域での支援活動を地道に行っているツンさんが、募金を集め、子どもたちをW杯に連れていくのには、大きなわけがあります。

それは、「被災地に光をあてること」と「子どもに究極の体験をさせ、世界を感じさせること」。

日本の勝利と被災地の復興を信じてるを意味する横断幕(提供:角田さん)

「4年に1度、大きなアドバルーンをあげるのは、被災地のことを知ってもらうため。一番辛いのは、無視と無関心。被災地の子どもたちがW杯で感謝を伝えることで、被災地に再び光があたることが大事なんです」

「また、W杯には32か国が来るので、子どもたちは、短期間で多様性を感じることができます。連れていける子どもは数人だけど、地方の子が海外やW杯を観戦できる経験はめったにありません。子どもたちに世界とのつながりや異文化を経験してもらいたいです」

岡山での募金活動での様子。岡山県倉敷・真備の大学1年生古角くんも本プロジェクトでカタールに足を運んだ(提供:原田さん)

ツンさんの取り組みに、「不公平だ」「お金がもったいない」などと批判する人もいるそうですが、それでもツンさんは行動し続けます。

「あえて、木を見て森を見ず。僕一人で森全部を幸せにはできない。でも、出会った木1本1本に多様性や可能性を感じてもらえるようにする。それをおもしろいなと感じる人が増えていくことで、一人が2本、十人で20本、千人で2000本になり、それはいつか森になる。一人一人に寄り添っていきたいです」

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