生涯に彗星を12個、新星を11個も発見した世界的なアマチュア天文家、本田實さん。天体発見王とも呼ばれた彼の名前をご存知だろうか。彼は岡山県倉敷市の人気観光地、倉敷美観地区の近くにある天文台を拠点に観測活動を行っていた。その本田さんゆかりの場所が「倉敷天文台」だ。
2022年3月、同天文台の敷地内に、本田さんのかつての住まいを改装したブックカフェ「星の光の澄みわたり」がオープンした。開店準備に関わったのは倉敷天文台理事長の原浩之さん。同天文台開設に尽力した原澄治(はらすみじ)さんのひ孫に当たる。

倉敷に全国初、民間の天文台が誕生

倉敷天文台は1926(大正15)年11月21日に開設された。当時としては珍しい全国初の民間天文台であり、国内最大級の口径32cm反射望遠鏡を備えた立派な施設だ。

現在、天文台内部は資料室となり、当時使われていた望遠鏡をなどを見ることができる

天文台といえばすべて官立(現在の国立)が当たり前の時代。そんななか、倉敷の気象条件のよさに着目した京都大学の山本一清教授と、山本教授が設立した天文同好会岡山支部長の水野千里さんの積極的な働きかけにより、一般の天文愛好家でも気軽に利用できる民間の天文台をという機運がわき起こり、当時、倉敷紡績の役員だった原澄治さんが出資することで実現した。

開設当日の来館者の芳名帳が残る

彗星発見王の本田さんが倉敷天文台の台員となったのは1941(昭和16)年。その後、結婚して住まいを天文台の敷地内に構え、主事として働きながら観測研究にも力を注いだ。

原澄治さん(右)と本田實さん(左)

残された資料で認知度アップ! ブックカフェを作ろう

天文台の管理は代々澄治さんの会社が行い、浩之さんの父親の代を経て現在は浩之さんが引き継いでいる。浩之さんは市街地で「倉敷路地市庭」を企画・運営するなど街づくりイベントに10年ほど関わってきた経歴もある。

「子どもの頃の僕は父親の仕事の関係で大阪、東京を転々としていたし、中学生の時も部活で忙しく、星なんてまったく興味がありませんでした。そんな僕に天文台の管理をと言われても最初は戸惑いました。2010年のことです。でも、ここで初めて望遠鏡で生の木星を見た時は感動して。さすがの僕でも、この天文台は後世に残していかなければならない施設だと思いました。それ以後はごく自然にいろんなことに興味が湧くようになり、今に至っています」

「この場所を目指して来てくださる人に向けていい空間づくりをしていきたい」と原さん

とはいえ、残すためには何をどうしていけばいいのか。そこで考えたのがカフェを開くことだった。

「現在、天文台では毎月の観望会のほか、希望があれば予約制で天体観望も行っていますが、2026年に天文台開設100周年を迎えるので、それに向けて何かをしようと思ったのがきっかけです。天文台は基本的に収益を生む場所ではないので、少しでもお金を得られるものをと、ブックカフェを思いつきました」

本田實さんの住まいを改装したカフェ「星の光の澄みわたり」

敷地内には、かつて本田夫妻が住んだ家と本田さんはじめ天文台に関わった人たちが残した数多くの雑誌や書物がある。これをうまく活用し、天文好きにたくさん来てもらえるような施設を作れば、天文台の認知度も上がってくるだろう。それが原さんの狙いでもあった。

何しろ、日本最古とはいえ倉敷在住の人ですらその存在を知る人はあまりに少ない。それではもったいないというわけだ。

天文の魅力が詰まった空間が完成

カフェを作るにあたり、駆体や間取りはそのままに、台所、風呂だったところを厨房やエントランスにリフォームするなど若干手を加えるだけで、あとは可能な限りもとの空間を生かした。

店内には天文に関する書籍や雑誌がずらりと並ぶ

大変だったのは、資料として残された雑誌や書物の整理。素人の目にはその重要さがさっぱりわからず、店内にどれを展示すればよいのか見極めるのが難しかったそう。

判断の目安として、1990年に本田さんが亡くなる以前のものを展示することにしたが、それでも保管に回すものはダンボール何十箱分もある。

「それらの保管場所に悩んでいた時、本田さんの故郷・鳥取県八頭町でその偉業を検証する動きがあるのを知り、声をかけたところ、資料すべてを借り受けてくれたのです。本当にラッキーでした」

こうしてでき上がったカフェは、約1000冊の書籍や雑誌に囲まれたとても落ち着く空間。ゲストは、柔らかい日差しが降り注ぐソファ席や中央の大テーブル席、カウンターと小さなテーブルがある書斎のような部屋など、思い思いの場所で気になる本をめくりながらゆっくり過ごすことができる。

天文ファンが大喜びするような貴重な書籍もたくさんある

今はまだ大々的にPRしていないため、訪れる人も多くはないが、それでも時折、天体好きな人がやってきて本を手にしては興味深そうに読み耽っている姿を見かけるそうだ。

書斎のようにこぢんまりとして落ち着く空間

それにしても、不思議な響きの「星の光の澄みわたり」という店名について。
「本田さんの作品の一節からとったものです。彼は星にまつわる詩もたくさん書いていたんですよ」

大テーブルの前には、その一節が含まれた詩をしたためた本田さん直筆の色紙が飾られている。もし本田さんがそれを知ったら、思いもよらないアイデアに驚きながらも、きっと喜んだことだろう。

店名の由来となった本田さんの詩

開設時の役割をこれからも

天文台開設100周年に向けて原さんが行なっている取り組みはもう一つある。「くらてん講演21」と題したイベントで、倉敷天文台の維持・運営のために寄付での支援を行うサポーターを対象に、天文に関わりのある人を招き、講演会などを開催するものだ。

「多くの人たちに星を観る場を作るという使命のもと、今後、このサポーターの数をもっと増やしていきたいのです。イベントも100周年まではあと86回。でもそれで終わるのではなく、その後もずっと続けていかなければ」と原さん。

5月に開催された音楽コンサート。星にまつわる曲を中心に演奏(写真:原浩之さん提供)

「倉敷天文台は、みなさんにとって天体に興味を持ってもらうきっかけ作りの場です。観望会に来て望遠鏡で木星を見て感動したり、素直な驚きを体験したり。カフェで書籍を見て星のことを知ったり。そしてもっと興味が湧いたら今度はもっと大きな天文台に行けばいいし、図書館で調べるのもいい。そういう意味では、最初に澄治がこの天文台を開いた時に掲げた役割を、今も果たせているのかな、と思います」

現在、カフェの営業は火、水、木曜の昼にドリンクとケーキのみで行なっているが、今後は夜の営業も考えているそう。もしかしたら、ワインや料理を楽しみながら星を観望できる日がやってくるかもしれない。

飲み物とケーキが楽しめる

「先人が作ってくれたものをしっかり守っていくことは大事だけど、現代風にカスタマイズしていってもいいはず。路地市庭での経験も生かしながら」と原さん。これからのカフェの動向、倉敷天文台の歩みを楽しみに見守っていきたい。

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