岡山県総社市の吉備路風土記の丘のシンボル、備中国分寺近くに蔵を構える三宅酒造は、創業115年を超える老舗蔵元。ここで毎年開催する「酒づくり大学」では、一般の希望者が酒づくりに参加できる。
蔵人と呼ばれる酒づくりのプロだけしか入ることが許されない蔵に、一般の人が参加して酒を仕込む。そのユニークな取り組みについて、三宅酒造5代目当主で杜氏の小澤佑二さんに話を聞いた。

創業110年の蔵に訪れたピンチ

三宅酒造は1905(明治38)年の創業。地元総社産の米と敷地内に湧く高梁川の伏流水を使い、機械化が当たり前の時代に今も一貫して手作りを貫いている。搾りだけは機械に頼るが、それ以外は洗米、蒸し、酒母づくりなど可能なかぎりすべての工程を手作業で行う。そんな昔ながらの作り方を復活させたのは佑二さんの父だった。

備中国分寺を擁する吉備路風土記の丘の近くにある三宅酒造

きっかけは創業以来、最大のピンチとなる出来事。三宅酒造ではオリジナル銘柄のほかに大手酒造メーカーに卸す大量の酒も長年にわたって製造してきたが、突然、一方的に切られてしまったのだ。売り上げの9割以上を失い、この先どうすればいい?という状況に陥った。佑二さんが高校生の頃のことだ。

絶滅危惧種の動植物を調査する会社で働いていたという佑二さん

幻の酒米を復活させる。そこに見出した新たなチャンス

そんな折、かつて吉備地方で栽培されていながら大正時代に絶えた酒米「都」を甦らせ、米づくりに携わる人たちが蔵に入って酒を仕込むという、地元コミュニティによるプロジェクトが立ち上がり、三宅酒造に話が持ちかけられた。佑二さんの父はこれを引き受け、新たな酒を醸すことに成功。

復活した幻の酒米「都」。収穫時には、来年のために一番状態のよい籾を残す
 

また、父は酒づくりの根本を変えていった。つまり、機械化による大衆向けの酒を大量に作ることから、手作りで少量、しかも地域の人に愛される酒づくりへと舵を切り直し、三宅酒造の個性を生み出すことにした。

ところが、ピンチに追い討ちをかけるように当時2人いた蔵人が相次いで病気になり、人手が足りなくなってしまう。仕方なく父は一人で酒づくりに向き合っていたが、あまりの大変さに10kgも痩せてしまった。「このままだと父は死んでしまうかも」と思った佑二さんは、会社を辞めて家に戻ることを決心。「父には、『先の見えない仕事なんか継がなくていい』と言われたんですけどね」と当時を振り返る。

蔵人不足を救った酒づくり大学の存在

そんな状況にあった三宅酒造を救ってくれたのは、「都」プロジェクトをきっかけに生まれた「酒づくり大学」に集まった学生たちだった。みんな純粋に酒が好きで、蔵の事情を知りつつ、酒づくりを学びながら小さな蔵の仕事を手伝いたいと言う人ばかり。そんな彼らに支えられ、今に至っている。

酒づくり大学は毎年春に募集し、30人程度が集まる。そのうち5〜10人は毎年参加している「留年生」だという。学生たちが学ぶのは、米を育てるところから始まる。田植え、草取り、稲刈りなど一連の作業を行い、酒づくりに関する勉強会の後、11月からいよいよ仕込みがスタート。最終的に搾り、瓶詰め作業も行う。

田植えは学生たちの家族も参加して賑やかに行う

仕込みの時期に入ると、蔵に他の菌を持ち込むことは一切許されない。特に納豆、ヨーグルトなどの乳酸発酵食品は、食べることも自宅の冷蔵庫で保管することもご法度。けっこう厳しい決まり事だが、みんな食べたい気持ちを我慢して蔵に入っている。

蒸し上がったばかりの米を手でほぐす

蔵では初心者もベテランも同じ作業を一緒に行う。米を洗い、蒸し、室(むろ)でほぐして麹菌をふり、酒母を作ると言った作業を実践で学んでいく。同じ手際で作業しているつもりでも個々のやり方は微妙に異なるため、味も毎年変わるが、それも個性のうちと佑二さんはとらえている。

蒸米に麹菌をふり、酒母をつくる

その後、長い発酵期間を経て酵母の具合を見極め、最終的に完成のタイミングを見計らうのは佑二さんの仕事だ。

「アルコール度数とか日本酒度とか言いますが、頭で考えて作るより自然に任せる方がいい酒ができる気がします。人間は酵母と麹がうまく働くように温度管理をするだけ。僕たちは自然の恵をいただいてるんだと思っています」

かい棒でもろみをかき混ぜて発酵を促す

持ちつ持たれつの関係がお互いのモチベーション

父が始めた酒づくり大学は、創業110年のうち四半世紀近くにもなる。その理由を「決して無理をせず、教えるというより一緒に作っていく感覚だったのがよかったのかも」と語る佑二さん。自分たちにとっては当たり前の仕事でも、慣れない学生たちが楽しそうに作業する様子を見て、改めて仕事への向き合い方も知る。教え教えられのいい関係だそうだ。

「みんなボランティアで来てくれ、いろんな形でサポートしてもらって本当にありがたいかぎり。仕込みが始まると朝8時から一日中、蔵に入る人もいます」

5年目の池田秀男さんは「歴史があるだけでなく、古くからの酒米を守り、人の手で丁寧に作る、その一端に関わることができるのは本当に幸せです。蔵に女性や初心者を入れることは抵抗があったはずなのにそれを受け入れ、真摯に取り組んでいるのはすごい。こうして酒づくりのすべてを知ると、いっそう酒が愛しくなりますね」と話す。

第24期生たち。最後列でかい棒を持つのが池田さん

父は2年前に他界し、今では佑二さんが杜氏の役割を担うようになった。学生のなかには佑二さんより長く蔵のことを知る人もいるが、常に謙虚な彼らは「今年のお酒もよくできて、お父さん喜んでいるよね」と言葉をかけてくれ、ありがたいことだという佑二さん。

まるで従業員のような気持ちで取り組んでくれる学生たちに、「僕一人だったら辞めていたかもしれません。みんなが手伝ってくれたのでこの蔵は残っているし、三宅の酒の味はそんな人の思いが詰まっている。そう思っています」

蔵びらきでは、学生が作った酒を蔵出し販売する

2022年の酒づくりに向けて

今後について、「三宅酒造の蔵人は僕一人なので、これからは学生にすべて任せられるような環境になればいいなと思います。1年生でも杜氏の仕事ができるようになってほしい。杜氏は味を決める大切な仕事ですが、どんな酒ができてもその年の味として受け入れていこうと思っています」

2022年春にできあがった24期生作。吟醸酒「都」はとろりと甘口に、純米酒「三宅のみやこ」はキリッとした辛口に仕上がった。今年で25期目を迎える酒づくり大学。今期の酒はどんな味に仕上がるだろうか。

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