島流しにあった後鳥羽上皇ゆかりの島

島根県・隠岐諸島の一つである海士町(あまちょう)。日本史が大好きな人にとっては、海士町はとても興味深い場所だ。なぜならここは、鎌倉幕府時代に、執権の北条義時に討伐の兵を挙げた後鳥羽上皇が島流しにされたところ。上皇は『新古今和歌集』の編者であり、中世屈指の歌人でもある。 海士町に流された後も、『遠島御百首』(えんとうおんひゃくしゅ)にて、19年間を過ごした島での日々の徒然(つれづれ)を詠んだ。“遠島”とは陸から遠い島々の意味を指し、島流しの意味も持つ。

後鳥羽上皇ゆかりの隠岐神社。18時前後から始まる夜祈願が人気。

その遠島と同じ読みをするホテル「Ento」が熱い注目を浴びている。もともと「マリンポートホテル海士」という島唯一のホテルの本館の一部がリニューアル。別館が建て替えられて、2021年7月にEntoとなった。宿泊機能にユネスコ世界ジオパーク拠点の複合施設を加えたホテルは、日本初だ。フェリーや高速船の発着場・菱浦港から歩いて5分ほどの小高い丘に、Entoがそびえ建つ。乗船中のフェリーから見ても、建物のスタイリッシュさが際立っている。 しかし、これはEntoへのプロローグに過ぎない。部屋に入ってから目に飛び込んでくる「島前(どうぜん)カルデラ」の絶景に、思わず言葉を失う。カルデラは火山性の陥没地形であり、日本では阿蘇山が有名だ。島前カルデラは阿蘇山よりだいぶ古く、約500年前に形成された。

ガラス張りの窓から見える島前カルデラ、そして海を横切る船。

”外貨獲得”のためのリネン工場経営と二足のわらじ

Entoを率いる「株式会社 海士」社長の青山敦士氏は北海道出身。学生時代から発展途上国の支援をしていた関係から、14年前に海士町観光協会に就職。「海士の島旅」のブランディングに取り組み、地方の在り方を問う「島会議」の企画・運営を担当した。 青山氏が就職した当時、海士町は“外貨獲得”として、島の商品を首都圏など島の外に売り込むことを積極的に考えていたこともあり、彼は観光協会の枠を飛び越えたビジネスプランを模索することになる。

Entoを率いる「株式会社 海士」社長の青山敦士氏

「そもそも観光協会は海士町の外郭団体なので、自立して収益を得なければいけません。そこで観光協会の子会社として『島ファクトリー』というリネンサプライ工場を立ち上げました。というのも隠岐諸島では、宿のシーツやタオル類の洗濯物を船に乗せて松江市まで運び、洗濯されたものをまた船で戻していたのです。だから、リネンのクリーニングを海士町でできないかと画策しました」

島ファクトリーのリネンサプライ工場。熱気と騒音に包まれる。

これも“外貨獲得”の一つの手段。島ファクトリーでは、旅行ツアーの企画・造成、島内の民宿やホテルのサポート、隠岐のマーケティング支援など多岐に亘る事業を展開している。 そんななか、マリンポートホテル海士の経営者が引退することになった。地域やホテルに対して思いが強く、様々な形で地域貢献をしてきた青山氏が推薦されて次期社長に就任した。

「Entoを単なるラグジュアリーホテルにするつもりはなく、地域全体に根ざした拠点にしたかったのです。さらには、観光そのものを変えていく必要があるだろうと思っていました。私は宿泊業では素人ですが、それが良かったのか『えいや!』っと勢いに任せた大胆な事業計画ができましたね」

いい意味での“アマチュア感”が奏功し、従来のホテル像とは一線を画した建物が完成した。

部屋のドアを開けると、プライベートデッキが広がる。

seamlessとhonestの意味とは?

しかしEntoの完成までの道のりは、なかなか厳しかったとか。

「設計はMOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO、ビジュアルデザインは日本デザインセンターの三澤遥氏が担当しました。誰もが強いこだわりを持ち、設計やデザインに一切妥協しない。だから、AとBというプランがあれば、どちらかにするのではなく、どちらも生かしたいと考えたのです」

それゆえ、調整役を担う青山氏の苦労は大きかったはず。それでも「ハード面に関しては、seamless(シームレス=境目がない)とhonest(オネスト=ありのまま)というコンセプトが、2021年のグランドオープンまでにきちんと体現できました」と青山氏は満足げだ。

ところで、seamlessとhonestとはどういうことなのか? 筆者が宿泊した別館NEST DXでは、海に面した大きなガラス窓が、額縁のように海の景色を切り取る。ゆっくりと航行していくフェリーや漁船、ぼっかりと闇夜に浮かぶ月を見ていると、大型スクリーンで上映される映画のワンシーンのよう。

部屋から月を望むと、「地球にぽつん。」を感じる。

自然と一体化したかのようなseamlessな空間だ。ぽつんと一人。ひたすら波と風の音を聞く室内にはテレビも、オーディオも、時計もない。無駄を排除したミニマムな空間の中で聞こえるのは波と風の音だけ。 時には荒々しい風が吹き荒れ、島前カルデラは荒涼とした景色になる。ワイルドな地球のありのままの姿、つまりhonestだ。心を空っぽにして、波と風の音を聞いていると、まるで地球に自分が一人しかいないような孤独に陥る。青山氏はこれを「地球にぽつん。」と表現している。何やら甘美な匂いをまとう孤独だ。

別館1階のGeo Lounge。窓の外一面に広がるジオスケープと恐竜などの化石を展示したスペース。

家族や気のおけない友人と訪れるのもいいが、「地球にぽつん。」を感じるには、やはり一人旅がいい。自然と自分が向き合うことで、日々の生活で疲れた心身をリセットできる。明日からはじめる人生を、また頑張ろうと思えるのだから。

別館1階には、地球と隠岐の成り立ちなどを学べるGeo Room Discoverがある(入場無料)。 実際に島内に出かける前の予習になる。

隠岐四島が一丸となってDMOを発足

さて、島ファクトリーの事業もそのまま継続して行なっているので、青山氏は寝る暇もないほど多忙だ。取材日もクリーニングの研修を受け入れており、ハチマキ姿で汗を流しながらリネンのたたみ方などを指導していた。

「コロナ禍で経営的に苦しい部分もありますが、メリットもありました。観光産業が外的要因を受けやすい脆弱なものであること、地域振興の手段でしかないことを考えて、サスティナブルな地域活性を目指そうという思いが強くなったからです。うれしいことに、海士町だけでなく隠岐諸島が一丸となって、地域を盛り上げようというフェーズに来ています」

4月には、隠岐諸島の4つの島によるDMO(観光地域づくり法人)を発足予定。単なる観光のDMOではなく、ジオパークをテーマにしたDMOは世界初だとか。世界のジオパークのつながりは強固で、日本はもちろん香港、ギリシャ、イギリスなどの世界44か国が連携。もともと環境保全を目的としていたが、ツーリズムとして活用することも考え始めた。世界ジオパークネットワークの会長にも「今後の隠岐に期待している」と言及され、それが次のステップに挑むための励みになっていると青山氏は微笑む。

遠島だからこそ、際立つ個性と文化

「我こそは 新島もりよ 隠岐の海の 荒き浪かぜ 心して吹け」(我こそは新しくやってきた島守だよ。隠岐の海の荒い波風よ、十分気をつけて吹けよ)と後鳥羽上皇が隠岐を詠んだように、海士町は今も昔も風がとてつもなく強い。悪天候になれば、交通手段がストップするので、本土の観光地ほど安定しない。

Entoの最大の魅力は、遠島にあるからこそ発揮される。

しかし、こんな“遠島”だからこそ、「地球にぽつん。」を感じる場所だからこそ、際立った個性と文化が育まれた。それが旅人を惹きつけてやまないし、他の地にはないブランド力にもなる。

「交通手段がなくなって本土に渡れないとなったら、もう潔く白旗を揚げるしかない。これだけ文明が発達してもどうにもならないことがあると思い知らされます。その自然の大いなる姿に、私は魅了されているのかもしれません」

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