「なんか不思議な感じです。皆様のおかげで続いています」
そう話すのは、NPO法人「フードバンク イコロさっぽろ」代表の片岡有喜子さん。幼い頃から田舎町で食品に囲まれ、食のありがたみを身をもって感じてきた片岡さんの半生を聞きました。

5歳で「命をいただいている」と悟る

今までを振り返り、思いの丈を語る片岡さん。

北海道・十勝の清水町で生まれ育った片岡さん。

幼少期は父が教員として、食品加工に携わっていたこともあり、肉をミンチにして作ったり、牛タンを塩漬けにしている様子を間近で見ていました。その隣には加工されている牛がいる牛舎が隣にあり、当時5歳だった片岡さんは「命をもらっている」という実感を強く持ったそうです。

また、自宅近くに広がる畑では多種類の野菜が栽培されており、それをきっかけに「食品に関わりたい」と思いました。

留学して社会課題を学ぶも、就職氷河期に

元々は食品関連の専門学校へ進学を考えていましたが、親の進言と海外で社会勉強をしたいという思いから、高校卒業後は小樽商科大学へ進学。当時はゴミの分別や、障がい者福祉、貧困など、社会課題に対する取り組みの先進国であったドイツへ短期留学し、知見を広げて帰国しました。

しかし、就職しようとした当時の日本は就職氷河期であり、正規雇用の就職先がなかなかありませんでした。面接では「女はそこにいる社員と結婚するためにいるものだ」と酷い言葉をぶつけられたことも。

「これなら好きな仕事じゃないと続かないな」と感じた片岡さんは、食品に関わることができるからと、レストランなどの飲食店で働き始めます。しかし、そこでも廃棄の数々を目の当たりし、「なんとかしたいな」と思いを募らせていきます。

ほぼ前例のないフードバンクを設立

イコロさっぽろのロゴ。

その後、結婚と出産を経て、社労士補助者として勤務。その時に、障がいを持っていて働けず、貧困にあえぐ人たちを目の当たりにしました。

そして「フードロスを防ぐ取り組みと、貧困で困っている方を助けられる仕組みが北海道でもできないとまずいのではないか」と考え、国内での活動書籍やデータを調べ、2018年、当時札幌ではほとんど存在しなかったフードバンクを設立しました。

協力企業を探すため、ドラッグストアやスーパーなどに電話。しかし、当時は食品ロスの理解はされておらず「社内規定が無いから」と、声をかけた100社以上の企業すべてに断られてしまったと言います。

しかし「自分たちの育てた野菜を無駄にしたくない」と、農家から多数の問い合わせを受け、貧困や母子家庭などで充分な食事を摂れていない子どもに食事提供する「子ども食堂」への寄付がスタート。フードロス、そして生活困窮者への支援の第一歩を踏み出しました。

知名度アップにSNSを活用。少しずつ応援してくれる人が増えてきた。

個人からの寄付段ボール。これをボランティアスタッフが仕分けし、個人宅へ届ける。

イコロさっぽろは、個人の寄付と「赤い羽根」などの寄付型の助成金のみで運営されています。

運営費を捻出するために、片岡さんは広報活動にも注力。どんな活動をしているのか随時SNSで発信し、寄付されたものを適切に対応をしていることを、寄付者が見てわかるようにしました。

また、「フードドライブ」と称し、市内の各地に出向いたり、教会や地元の学校の生徒会とタッグを組んだり、他事業所と食品の寄付を募る取り組みも実施。そのコツコツと積み上げてきた信頼により、寄付金を出してくれる個人が増え、なんとか運営を続けてきたといいます。

「なんか不思議な感じです。皆様のおかげで続いています」と、片岡さんは笑顔で話します。

必要だと思っている人に1人でも多く知ってほしい

新たに荷物を運べる軽バンを導入。業務効率はかなり上がったとのこと。

イコロさっぽろは寄付者が増え、ボランティアや支援も多く集まるようになったので、倉庫拡張のために移転しました。荷物を運ぶ車を導入するなど規模を拡大しています。

「今は明日の食事にすら困る状況に、誰でもなる可能性があります。だからこそ、フードバンクの存在を知って頼ってほしいと思います」と片岡さんは語ります。

廃棄と貧困の社会課題に挑む、片岡さんの挑戦は始まったばかりです。

後ろの段ボールは協力企業からの寄贈品。

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