はじめて高峰秀光(たかみね しゅうこう)さんをお見かけしたのは、1枚の写真でした。

(写真提供:木山郷土保存会)

えっ、どういうこと? お寺の方と神社の方が、並んでコーヒーを入れてる……。

聞けば、高峰さんは、1200年の歴史を持つ木山寺(岡山県真庭市)の第52代住職。大学教授が研究に訪れるほど、貴重な文化財、古文書がずらり。秘仏はもちろん、書架には珍しい仏教経典が収められていると言われています。

そんな木山寺の住職、高峰さんを中心に、おもしろい地域活動がいくつも行われています。木山神社と手を取り合いながら、子どもたちが遊べる公園ができて、牧場をつくってジャージー牛を放ち、マウンテンバイクのコースもできるなど。

「いま、木山地区が熱い!」

さらには最近、空き家を改修して、フリースペース・シェアオフィス・アトリエを兼ねた短期滞在が可能な「お試し住宅」をオープン。

たった3年のうちに、どうしてこれだけの「変化」をもたらすことができたのか。その秘密は、「お寺のあり方」にありました。

でも、とにかく取材は高峰さんの驚くべき一言からはじまりました。

木山寺は中国三十三観音霊場の第四番札所です。

お寺に生まれたけど、興味なかったんです

高峰:
お寺に生まれたけど、興味なかったんです。

木山寺からのぞむ美しい風景

まわりからいつも「お寺を継ぐんでしょう」と言われるからイヤになって、継ぐ気はなかったですね。仏教系の高校に進学するのも駄々をこねて地元の高校に進みましたから(笑)。音楽したりダンスしたり、夜も遊びまわっていました。

甲田:
それでも、お寺を継ごうと思ったのは。

高峰:
高校1年生のときに父が亡くなったことです。お寺を継ごうと思ったわけではなかったんですけど、なんとなく仕方ないかなと思って、高校卒業後に高野山へ1年間の修行に出ました。そこは電話NG、持ち込んでいい電化製品はひげ剃りと電気スタンドぐらいだったかな。

稲荷信仰があり、白い狐が佇んでいます。

甲田:
過酷ですね。「とんでもない世界に入ったな」と思いませんでした?

高峰:
おつとめ自体は大変でしたけど、入ってみて思ったのは「これまでお坊さんのことを偏見で見ていたな」ということです。真面目な人ばかりだと思っていたんですけど、みんな人間っぽくて。いちばん年下だった僕を可愛がってくれました。
そこでの暮らしも少しずつ面白くなっていきました。「できない環境でなにか面白いこと」を考えたり、なんでも楽しめば乗り越えられるなと思ったり。それはここ、木山にも同じことが言えるのかなと思います。

高峰住職「真面目な人ばかりだと思っていたんですけど、みんな人間っぽくて」

甲田:
修行期間があけたあとは?

高峰:
和歌山の大学に通って、こっちに戻ってきました。大学でもドレッドヘアにしたり、趣味でDJやダンスをしたり、けっこう遊んでいました(笑)。

甲田:
ドレッドヘア!(笑) こっちに戻ってから、お寺のことはお祖父さんに?

ドレッドヘアに驚く聞き手。

高峰:
いえ、あまり教わる機会はなかったと思います。こっちに戻ってきて、2年後に祖父も亡くなっているので。ただそのあいだは、だいぶケンカしましたね。祖父はとても厳格で真面目な人で、年代のギャップや考え方が原因でよくケンカになりました。
結局、2年間しか引継ぎができなかったので、いまも僕には「お寺とはこういうものでなければならない」というのがないんだと思います。

写真の右下には、なぜかハンモックが。

修行のときに感じたこと。できない環境でなにか面白いことを考える

甲田:
高峰さんから見て、木山ってどんなところですか?

高峰:
言い過ぎかもしれないですけど、信仰ありきの土地だったと思うんです。神社もお寺も山の上にあって、昔は参拝者が泊まる旅館もまわりに3軒ありました。
農家の方は山への信仰もあつかったので、この山へ毎年「しろみて(田植えが終わったことを祝う会)」が終わったら、木山にお参りに来て温泉に寄って帰るという流れがあったようです。観光とお寺参りがセットだったんですね。

木山寺客殿から木山神社本殿(奥宮)をのぞみます。

甲田:
やはり、昔ほどの信仰は。

高峰:
そうですね。農家の方に関していえば、農家さんの数そのものが減っています。あとは昔と違って、いまはみなさん時間がないですよね。手を合わせる、感謝をする、そういう時間が持てない時代かなと思います。

甲田:
そのなかで危機感が。

高峰:
ありましたね。しろみてもなくなって、お葬式や行事に若い人もなかなか来られなくなって。火がどんどん小さくなっていく感じがありました。「つぎの世代にお寺をつなげられるようにしないと」とは思っていました。

甲田:
地域の取り組みをはじめたきっかけを教えてください。

高峰:
修行のときに感じた「できない環境でなにか面白いこと」というのがずっと心に残っているなかで、ふと木山をあらためて見つめなおしたんです。どこへ行くにも送り迎えが必要とか、これまで不便な点ばかりに目がいっていたんですけど、木山って自然がゆたかで、自由なフィールドが広がっていて。結構恵まれているかもしれないな、これは生かせるかもしれないなと思いました。

お寺の中を案内してもらいながら取材しました。

甲田:
制限があるからこそ、見えてくるものってありますよね。

高峰:
でもアイデアがなくて(笑)。たまたまケータリングに来ていた保育園からの幼馴染だった沼本くんに、知恵を借りようと相談しました。すると、トントントンとアイデアが出て、じゃあやってみようということで、木山寺プロジェクトを立ち上げました。

ただ、はじめは木山寺プロジェクトという名前のとおり、お寺で完結するようなイベントをしていたんです。でもお寺だけでは宣伝力に欠けるし、入りづらさを感じる人もいるかもしれない。そこでもう少し広い意味を持たせた「木山郷土保存会」を立ち上げました。

お寺の境内で、ファイヤーショー!

甲田:
立ち上げのときには、もうチームとしてまとまっていました?

高峰:
そうですね。まずは1200年の法要に合わせて、少ないメンバーで「寺フェス」を企画したんです。これがチームとなるきっかけになったかなと思います。

甲田:
寺フェスですか?

高峰:
はい(笑)、2日間。屋台を出したり備前焼のにぎり仏をつくったり、夜には境内でライブをしたんですよね。ダンスやオーケストラ、ファイヤーショーなんかも。

甲田:
お寺の境内で、ファイヤーショー!(笑)

お寺とは思えないような幻想的な空間

高峰:
その中で、木山神社の鈴木さんにも来てもらって。神社とお寺、神仏の祈りを捧げたり、あと雅楽の奉納もしていただきました。

神社とお寺って、昔は交流がなかったんです。もとは神仏習合の木山宮としてあったんですけど、明治時代にそれぞれ分かれてしまったので。だから1950年代、60年代はお互い「口をきくもんじゃない」と言われてて、その頃からすれば考えられないことだと思います。

甲田:
一緒にするしがらみみたいなものは?

高峰:
はじめは気をつかうこともありましたが、僕も木山神社の鈴木さんも「一緒にできることは、一緒にしようよ」という考え方なので(笑)。

甲田:
お2人が並んでいるの、ほんといい写真です。反響はありましたか?

高峰:
ありましたね。いろんな方から「そういう関係なんだね!」と言っていただいて。僕としても、ときが来たから、こうして縁がまわってきたのかなと思います。

木山神社の宮司鈴木さん(左)と。僧侶と神職が一緒に活動しています。

甲田:
そして、「木山郷土保存会」としての活動がはじまったわけですね。

高峰:
そうです。チームとしても沼本くんをはじめ、まずは同級生が集まってくれました。住職という立場上、どうしても皆さん気をつかわれるんですけど、同級生だからぜんぜん気をつかわなくて(笑)。僕としても、悩みごととか言いやすかったですね。

寺フェスをしたことで、みんなが集まれる拠点があればな、という話になって、空き家をみんなでリノベーションして「門前カフェさかや」をつくりました。

親子連れから職人さんまでいろいろな人が出入りしています。

プロジェクトを進めていけば、つぎにやることが明確になる

高峰:
門前カフェさかやの後、岡山県立大学の学生さんたちが、授業の一環で来てくれて。「子どもたちが遊べる場所をつくりたい」という提案から、空き地だったところに「秘密基地(遊び場)」をつくってくれました。

大学生たちがつくった遊具は想像以上の大きさ。

聞き手も境内で童心にかえりました。

高峰:
実際に、学生さんと子どもたちが一緒に遊んだら、どちらからもとても好評で。つぎは学生さんたちと5反(体育館5つ分)ほどの牧場をつくって、ジャージー牛を放ちました。笹だらけだったところをみんなで拓いて、柵をつくったり、おかげで見晴らしが良くなりました。

もうひとつ、トレイルランやマウンテンバイクのコースづくりもみんなでしましたね。学生さんと地元の方々と、地域おこし協力隊の方にもお手伝いいただいて。

甲田:
たしか、3年のうちですよね。木山として変化はありましたか?

高峰:
やっぱりありましたね。なかなか管理が行き届いていなかった土地に、ちゃんと手が入って。ほんとに牧場は笹だらけだったので。景色が変わったと思います。あとは、プロジェクトを進めていくことで、つぎにやることが明確になっていった感じがありますね。

ジャージー牛と住職とライターの図。

甲田:
変化は、お寺としても?

高峰:
「木山寺の息子、お寺の息子」と顔がばれているなかで、なるべく人の目に触れたくないと思っていたから、お寺で完結させようと考えていたんですけど、やっぱりそれだと限界があって。手を取り合っていくことの大切さ、ありがたさを感じるようになりましたね。

そうして動いていると、少しずつ僕ら世代だけじゃなくて、親の世代ぐらいの方たちも手伝ってくださるようになりました。会という形があれば、ほかのイベントにも出店したり、こちらからいろいろ働きかけられるんだなという気づきもありました。