東京・杉並にある私立の中高一貫校である文化学園大学杉並中学・高等学校。ダブルディプロマコースがあり、卒業時に日本とカナダの高校卒業資格が得られるなどユニークな学校だ。次世代教育開発部で部長を務める染谷昌亮さんは、先進的な取り組みを進めて話題となっている。一度は教員を辞めた過去を持つ染谷さんが「日本の教育をもっと良くしたい!」と、熱い思いを抱く裏側に迫った。

子ども時代の染谷さん

染谷さんは、1993年生まれ。神奈川県のこどもの国近くの喫茶店を営むご両親のもとで育った。中学受験をして、私立の中高一貫校へ通った。

「電車で通学していたんですが、そこではいろんな大人たちをみました。もちろん楽しく生きる大人たちもいらっしゃいましたが、それ以上に目についたのが、人の悪口ばかり言っている大人、疲れ切って眠っている大人でした。両親が楽しく働く姿を見ていたので、このギャップは印象的でした。子ども心に、この社会をどうにかしないといけないと思っていましたね」

その後、明治大学農学部生命科学科へ進学。子ども時代の思いから教育者に興味を持ちつつ、研究も楽しかったため、研究者の進路も考えていた。研究室では、脳下垂体特異的転写因子Prop1に注目。Prop1がどのような流れで発現に至るかの研究に熱中した。一方で、大学4年間を通して塾講師にも熱中していた。

「作家の喜多川泰さんが設立した聡明舎という、非常に理念的な塾で働いていました。『どうせ無理をぶっとばせ』というスローガンや、授業の冒頭は講義ではなく、生徒のためになりそうな教科外の話をするなど、人間形成を重視していました。自分も学生アルバイトながら、塾なのに講義をしない授業を発案して実際にチャレンジしたり、社員研修を担当させてもらったりと自由にさまざまな経験をさせてもらいました」

人間形成に関わる面白さを知った染谷さんは、研究者の道と迷ったものの、人の自己実現を支えることにこそ大きなやりがいがあると考え、教員の道を選んだ。大学卒業後に文化学園大学杉並中学・高等学校で講師となった。

「16コマの授業を担当していましたが、社会を知らない先生になりたくないと思い、4つの仕事を掛け持ちしていました。学習塾で中学生クラスの責任者としてマネジメントを経験したり、学童保育の新拠点の立ち上げに取り組んだり、パクチーハウス東京という経堂のパクチー料理専門店でアルバイトをしたり。めちゃくちゃ勉強になりましたね」

その後、専任教員となり高校生のクラス担任などを経験した染谷さん。しかし、日に日にこのままでは駄目だという気持ちが高まっていったという。

「日本の教育をもっとよくしたいと思いつつも、自分の力不足を感じていました。いまの自分に人を動かせる力はない。定年間際になってようやく言いたいことが言えるようになる未来を想像しました。そこで、一念発起して教員を辞め、武者修行に海外で働くことにしました。まずは当時アジアのハブとなっていた香港へ向かいました」

香港の学習塾で働きながら、現地のインターナショナルスクールを見学したり、東南アジアの教育機関をまわったりしてアジアの教育を学んでいた染谷さん。そこで大きな転機を迎える。香港で民主化デモが起きたのだ。

「デモで若者たちが道いっぱいにあふれかえっていました。火炎瓶が飛び交い、交通機関は麻痺状態。中高生も学校に行かずにデモに参加していました。そのとき私は人生で初めて人の情熱を生で感じました。もちろん暴力的なことには賛同できませんし、個人としては、香港問題についてどちらかの肩を持つつもりはありませんが、現地で子どもたちが自分の人生のために情熱を注ぐ様子を目の当たりにして、自分が教育を通してどんな子どもを育てたかったのかを再確認しました」

香港デモの影響を目の当たりに

いてもたってもいられなくなった染谷さんは、もともと香港など各国で数年以上働く予定だったがキャンセルして帰国。ある企業の教育事業部に部長として迎えられ、新しい塾を設立することになった。だが、やはり学校が良くならないと教育は変わらないという気持ちがあった。

「そんなときに、かつて勤めていた文化学園大学杉並中学・高等学校から大きなチャンスをもらいました。これまでの仕組みにとらわれることなく、学校内外の仕事を通じて、学校創りに深く関わるチャンスです。若いうちにこんなチャンスはないんじゃないかと感じ、勤務先には本当にご迷惑をかけてしまいましたが、教員への復帰を決断しました」

2020年に復帰。まずは学校のブランディングに携わった。すぐにコロナ渦となり、時代に即した広報を模索。YouTubeチャンネルの開設などに取り組んだ。

「広報職として学校説明会で話す機会も多くあったのですが、学校の見られ方を整える仕事ばかりでなく、中身をつくる仕事もしたいという思いが強くありました。そこで、もともと塾の事業として考えていた内容を、学校向けにアレンジして実践していこうと考えました。ちょうど本校ではSTEAM教育を学校方針に掲げていたので、STEAMプロジェクトというものを立ち上げました。目指したのは『生徒自身の興味や課題意識を原動力に、学びたいことを何でも追究できる場』です」

STEAMプロジェクト立ち上げメンバー

STEAMプロジェクトは、生徒有志による課外活動のようなものだ。1年目は約70人でスタート。現在4年目で約120人の生徒が所属している。1期生が世界的なロボットコンテストWROでいきなり日本一になったり、サステナブル・ブランド会議のスチューデントアンバサダーに選出されたりするなど生徒たちが大活躍した。

「STEAMプロジェクトでは、STEAM教育をかなり大きな概念として捉え、ロボティクス関係だけでなく、スキルに偏らず、キャリア探究や社会課題探究など幅広い活動をしています。企業やNPO、大学と連携し、中高生が中高生だという自覚を忘れてしまうような、社会人のように振る舞える環境を目指しています。でも、本当に生徒たちに恵まれました。私がやったのは場を提供しただけです。生徒たちをいかに自由にして、対話の中で生徒たちが内省を深めて、自分の感情や意思を自覚し、そのための行動をデザインできる、かつそれを実践していいんだ、自分たちにできないことなんて何もないんだって伝える、そんな存在としてその場にいたというだけです」

直近のSTEAMプロジェクトの成果も目覚ましい。一例を挙げると「中学校におけるオーガニック給食の日の実現」を紹介したい。このプロジェクトは、もともと持続可能な農業の実現に関心のある高校生メンバー5人が1年前から活動を開始したという。

有機農園を訪問した際の一コマ

「都市型農業・スマート農業・有機農業等、多くの農業の仕組みを学外訪問しながら探究しました。そこから見えてきた有機農業の魅力を社会に広めることや、子どもたちに食や農の大切さを伝えることを目的に、付属中学校でのオーガニック給食(有機野菜を使用した給食)の実現を目指し、奮闘を重ねて今年1月25日に実現させました。多くの企業・NPO・有機農家さんと協働し、農林水産省の補助金も得て活動してきました」

校内でも染谷さんの活動に注目が集まるようになり、STEAMプロジェクトの考え方をベースにした、全学年向けの探究プログラムを実施するに至った。また、2年前に次世代教育開発部を設立し、生徒向けのプログラム提供に加えて、先生たちが新しい教育をデザインする手伝いをするためのプログラムや研修の提供にも取り組んでいる。毎月1回授業デザイン研究会を開催し、対話型授業検討会やワークショップデザインなどのさまざまな教育手法や、人工知能などの時代のトレンドを学ぶ場を作っている。また、全教職員研修を担当する機会も増えているという。

教職員研修の様子

「これからももっと教育研究に力を入れたいと思います。私は、いまの教育が間違っているという感覚ではなくて、もっとよくしたい、この社会の変化に追いつきたいという感覚です。染谷だからできる、文化学園大学杉並中学・高等学校だからできる、というのではなく、日本の学校教育全体をよくするような仕事をしたいと強く感じています」

今年度からも新たな「キャリア探究」プログラムを始動させた染谷さん。昨年9月のオープニングイベントには、高校1年生333人に対して、95人の社会人が参加。少人数グループで複数回の対話を行った。事前アンケートを踏まえて、生徒たちが興味を持つ業種に加えて、視野を広げるためにあえて興味を持っていない業種の話を聞く機会も設けた。教科書の枠に囚われず、次々と新たなチャレンジを行っている。

文化学園大学杉並中学・高等学校。そこには生徒の皆さんはそれぞれの興味関心に、先生方は子どもたちの教育に、心から熱中し、どうしたらもっとよくなるだろうかと考える気運が醸成されていると感じた。これがさまざまな学校に広がったら、たしかに教育は変わるだろう。これからは学校の枠を超えた仕事をしたいと語る染谷さんの活躍を大いに期待したい。

学校づくりに挑む仲間たち

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