2023年は弘法大師・空海の生誕1250年。香川県善通寺市にある総本山善通寺の僧侶、中嶋孝謙さんが、大手書店と協力するかたちで空海をテーマにした全国書籍フェアを企画した。中嶋さんは本の元営業というユニークな経歴の持ち主。かつて一緒に働いていた先輩と善通寺で再会した縁が、中嶋さんの「夢の実現」を導いてくれたという。

偶然の再会から始まった企画

「空海さんの業績や考えを伝えるためには、本が大切だと思っていました。御誕生1250年に合わせて、小規模でも書店と『何かできたらいいな』と夢を語っていたら、偶然が重なって全国フェアが実現しました」

“空海”を伝えるために「本の役割が大切」と語る中嶋さん

中嶋さんは、空海の生誕地とされる善通寺で広報を担当している。大学卒業後は、書籍流通・販売業「丸善」(当時)の営業として、図書館や書店に足を運んでいた。僧侶になって10年。善通寺市立図書館の管理運営をグループ企業の丸善雄松堂などが担っている縁で、中嶋さんは2018年にかつての先輩と善通寺で約7年ぶりに再会した。

2人はお互いの仕事について語り合った。中嶋さんは、20代の頃に深い関わりがあった書籍を通して、「多くの人に“空海”を届けたい」と書籍フェアの夢を語った。

そんな中嶋さんの思いを先輩が東京に持ち帰ると、社内でも共感された。「善通寺市の地域財産を発信するお手伝いができるなら」と、グループ企業の丸善ジュンク堂書店に企画アイデアが橋渡しされた。

中嶋さんとグループ企業側の担当者3人で、オンライン会議を開催。「一緒に何ができるだろう」という話し合いを経て、中嶋さんが空海にまつわる本の選書サポートを担うことに。空海関連書籍の全国フェアが正式に企画された。

「空海さんと聞いて、『教科書で習った』と思い出す人は多いと思います。ただ、密教を日本に伝えた宗教家の顔に限らず、文化人として多くの業績を残していることもあり、どこから空海さんを知れば良いのか、入り口が分かりにくいんです」と中嶋さん。

高松市のジュンク堂書店高松店でも空海関連書籍フェアを開催。全国共通のポップは中嶋さんが作成した

そこで、空海を知るにあたっての重要度を3段階に分け、34冊の書籍リストを作成。全国の丸善・ジュンク堂書店などのうち29店で、2023年2月から6月にかけてフェアを開催することになった。各書店はリストを参考に棚づくりをする。

中嶋さんと選書を担当した丸善ジュンク堂書店の喜田浩資さんは、「書店の仕事をよく知っている中嶋さんのおかげで、準備はスムーズに進みました。棚のポップを作ってくれたのも、中嶋さんです。専門的な知識を踏まえて選書できたので、助かりました」と話す。

中嶋さんにとって、全国の書店で展開されるフェアに携わるのは初の経験。売り場を作る仕事に関わることができたことも、もう一つの「夢がかなった」かたちだ。

時代の変化がもたらした縁

「実は、善通寺の僧侶養成学校で修行を始めるまで、空海さんについては知識ゼロでした」という中嶋さん。なぜ、善通寺で勤務することになったのか。

背景には、急速に移り変わる時代の流れがあった。中嶋さんが丸善を後にしたのは、本のインターネット通販が広がった頃。「別の道で頑張ろう」と退職した。

次の人生を模索して、中嶋さんは当時住んでいた福岡県内の寺に通っていた。そこで「善通寺の僧侶にならないか」と声を掛けられて、仏教の道に入った。

「気づいたら、目の前にレールが現れたという感じでした」と中嶋さん。厳しい食事制限や読経など1年間の修行を積んで、30歳で僧侶になった。

母のために、空海が池に映った姿を自画像に描いたエピソードを説明する中嶋さん。その自画像「秘仏瞬目大師」は2023年4月23日から6月15日まで善通寺で特別公開される

善通寺の境内で中嶋さんは「この場所は、将来もあり続けると思えるんです」と話す。空海の生誕は50年ごとに祝っているが、「1250年は通過点です。ずっと続いてきた空海さんの道を後世に繋いでいくことが私たちの役割だと思っています」。

おすすめの読み方は

中嶋さんに、空海の入門者に向けた本の選び方を聞いた。おすすめの読み方は「三教指帰(さんごうしいき)」など、空海自身が書いた本から始めて、次に関連する解説書で深めていく流れだという。

「空海さんが書いた本は内容が難しくて、私たちも理解できないことがあります。でも、分からないながらも読み進めていくと、少しずつ空海さんの世界観が理解できると思います」

空海生誕1250年を記念して出版された「お大師さま」

生誕1250年を記念して、善通寺が2022年3月に出版した「お大師さまー足跡とおことばー」(福田亮成著)も、入門書の一冊という。空海の軌跡と言葉を分かりやすくまとめた。

また、フェアを開催しているジュンク堂書店高松店の店長・高崎立郎さんは、入り口として歴史小説を提案。夢枕獏さんの「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を挙げて、「若い頃から空海が天才だったことや、仏教が西洋文明よりも構造的に世の中を捉えていた先見性が描かれており、面白かった」と話した。

将来の予測困難と言われる時代だが、継続と新しさのバランスは、善通寺でも議論されているという。

「空海さんは、中国(唐)から持ち帰った曼荼羅をわかりやすく表現するため、東寺で立体的な3Dの手法を取り入れました。いまの時代、空海さんだったらどんな技術を使うだろうと考え続けています」

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